第八話 エスカレート -3
「おい! これなんだよ、衣装合わせでこんなの無かったぞ!」
「お願い! 宗田くんにどうしてもつけてほしくて。みんなで作ったの」
「お前ら、キモいよ! 俺にそんな趣味はない」
「1回だけ、お願い、ずっとじゃなくてもいいから。リンゴを食べる場面だけでいいから」
(くそっ! やっぱり休むんだった。欠席3日じゃ割に合わない)
渡された造花の冠を引き千切りたい衝動に駆られる。
それでも30分ほどで終わる小劇。メインはその間に観客にクッキーと飲み物を買ってもらうことだ。だから芝居は割といい加減な中身。みんなにすれば、華は客引きだ。女子がたくさん来ていた。
途中までは良かった。
「宗田くん、急だけど小人が他の人に交代したの。大丈夫だよね?」
「誰だろうが変わんないだろ」
「喋んないけど宗田くんのドレス姿素敵! 言った通り声が出ない設定で良かったかも!」
「あっそ」
あと10分くらいだ。言ってみれば詐欺みたいなクッキー販売。試食と言われて一つ食べたが、半分残した。不味いとは言わなかったが。
先に一人で舞台に立つ。ナレーションが流れる。華の冠をつけて手にはりんご。後は食べて倒れれば自分のやることは終わり。ベッドに横たわって最後にちょっと舞台あいさつで頭を下げるだけ。そのはずだった。
リンゴを食べる時に小人たちが出てきた。大声で囃子立てる。
「姫、なぁんて美しい!」
「そりゃもう! きれいな肌、大きな目、流れるような髪!」
「花の冠がよく似合う、一生つけていても違和感がない」
芝居にかこつけて出てきたのはあのグループだ。丁寧な言葉で蔑んでいる。
(バカバカしい。さっさと倒れるか)
それを後ろから抱きしめられた。
「姫の香りって素敵!」
観客から きゃー と歓声が上がる。
「誰かキスしたい人ーー」
一斉に手が上がった。
「ステージに上がって来いよ、順番にキスだ」
「やめろ」
「いいじゃん、お前に列成しててさ、気分良くね?」
「ふざけるなっ!」
暴れて後ろからの腕が離れた途端に思い切り殴った。殴り返そうとしてくるのを突き飛ばしてドレスを腰まで捲り上げて胡坐をかいた。
「いい加減にしろよっ! 止めた! 知らね、後のことなんか」
ビリっとした声が体育館に響く。ステージに駆け上がろうとしていた女子が固まっていた。
「帰る。芝居は終わりだ」
花の冠は引き千切った。少し手を切ったが知ったこっちゃない。ドレスを脱ぎ捨てる。もう担任が何を言おうがいい。着替えて学校を出た。
結構な時間が経っている。自分たちの出し物は4時からだった。冬の夕暮れはあっという間に夜へと変わる。
カッカしていたから気がつくのが遅れた。後ろから足音がずっとついて来ている。振り返ろうとして首筋にビリっと痛みが走った。体から力が抜けていく。
「そうだ、はなくん。華っていう名前なんだ。きれいだった、君のドレス姿。あれを着てくりゃ良かったのに。いいや、家には着替えがたくさんあるんだ。コスプレ用だけどね。行こうか、華」
頬に唇がくっついた。何も出来ないまま、唇まで下りてくるのを耐える。体が痺れて震えさえ起きない。
唇を舐め回されて舌が入って来た。流し込まれる唾液がそのまま口から流れ出ていく。暗がりの道。誰も通らない。
「さ、行こうか。しばらく動けないと思うけどそんなに強くしてないんだ。スタンガンって僕も使ったことないから怖いしね」
道路の端に引きずられる。少し経って車のライトが寄ってきた。
「お待たせ! 君にぴったりのお城に連れてってあげるね、華」
死にたいと思った。
いっそ気を失えたら良かったのに。そしてそのまま目覚めなければいいのに。車の揺れの中で何度も思った。
せめて動けるようになれば。そうも思っても指先までピクリとも動かない。かなりの時間が経過したように感じていたが、実は5分も経っていなかった。だからスタンガンの効き目がまだ抜けていない。
さらに少し経って体の強張りが解け始めた。僅かに口が開いて指先も動き始める。効き目が切れてしまえば逃げるチャンスが増える。
ちょっと坂を下りるのを感じた。その辺りで車が減速し始める。そして車はゆっくりとまった。
(車から降ろされる時に誰かが見るかもしれない)
それを期待した。ガチャっとドアが開いて男は外に出た。足音が響く。
(……この音の響き方、変だ)
ドアが開いた。
「華は背が高いよね、とても抱えて行けないよ。ごめんね、エレベーターまで引き摺っちゃうけど」
通りじゃなかった。駐車場。地下のように見える。必死に抗おうとするけれど体に力が入らない。焦るせいで頭が働かない。
「すぐベッドに横にならせてあげる。だから我慢して」
エレベーターがあるということは普通の家じゃない。マンションだろうか。だとすれば中に連れ込まれたら誰にも気づかれない……恐怖に呑み込まれそうになる。動けないということが、抵抗できないということが恐ろしい。
(どうせ俺は男だ、体を触られるくらいどうってことない!)
きっといつか忘れられる、きっと。自分に言い聞かせる。大丈夫、ほんの少し我慢すればいい、男が自分を放り出すまで。
エレベーターはかなり上がった。ドアが開いたがそこから滑るような床を引き摺られた。たいした距離じゃなかった。
(やっぱりマンションか……)
廊下はそれなりに明るい。けれど誰も通らなかった。
「待ってね、ベッドの上を片付けてくる。今日連れて来れるなんて思ってなかったからさ、華の写真を見ながら一人で自分を慰めてたんだ。すぐにきれいにしてくるよ」
(なんて……? 俺の、写真を見ながら…?)
辛いほど鼓動が早くなる。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ…… 動けよ! 動けよっ)
けれど手足は自由に動いてくれない、ほんのわずかもぞもぞとするだけだ。
「あ、動き始めたね。ちょっと待ってて、手を縛んないと」
(いやだ! いやだいやだいやだいやだ)
せめて男を蹴りたい、倒れたら気を失ってくれるかもしれない。けれど足は恐ろしくのろのろとして、膝さえ持ち上がらない。
「待った? 先にベッドに連れてってあげるよ。ここじゃ体が辛いもんね」
「あ、え……」
やめろ! と言うつもりだった、けれど出てきた声は自分で聞いても無様だった。
「なんて言いたいの? ああ、まだ喋れないんだ…… 強すぎちゃったのかな……」
どかっ! と体がベッドに倒されて足を持ち上げられた。
「痛かったかな、僕にもっと力があればいいんだけど。そうだ、縛っちゃう前にお着替えしよう! 華には何色が似合うかな」
(こいつ、狂ってんのか?)
楽しそうな声にゾッとする。男は服を選ぶのに時間がかかっているのだろう。少しずつ体が言うことを聞き始める。
(早くっ! 早くっ!!)
考えることが出来るから余計に辛い。いつ入ってくるかと、目は開いているドアに釘付けだ。それにこのベッドはいやな匂いがする。
頭が動かせるようになり始め、周りをゆっくりだが見回した。
『きれいに片付ける』
そう言ったのに、ベッドの上はお世辞にもきれいとは言えなかった。くしゃくしゃになったティッシュがいくつも転がっている。顔のそばにあるティッシュがイヤな匂いの元だと知っておぞけが立った。
(あいつ、ホントに俺の写真で……)
不意に喉元に酸っぱいものがこみ上げそうになり息を止めた。この状態で吐いたら窒息する。そんなことを考えられるくらいには頭が働くようになってきた。
(何か、考えるんだ、助かる方法……)
少しずつ体が回復しているが、とても充分には程遠い。
「あのさ、」
ハッとした、あまり動くと本当に縛られるかもしれない。
「僕はあの学校の自販機に飲み物を運んできてるんだ。分かるかな、街なんかで見かけない? 缶とかペットボトルとか入れ替えるの。あれを華の学校でやってるのが僕なんだ。華を見た時にときめいたよ! ああ、この子にドレス着せたい! ってね。それから何枚も買ったんだ。結構高いんだよ、こういうの。それにサイズ大きいしね」
男が黙ったから(喋ってくれ!)と怒鳴りたかった。話し続けていれば男がどこにいるのか分かる。そばなのか、離れているのか。
「でさ、仕事休んで華が学校から出てくるのを待ってたんだよ。でもなかなか分かんなくて。やっと見つけるまでずい分休んだんだ。それって華のせいだからね」
(やっぱりこいつ、おかしい!)
「それで華の後をついてったの。華の家ってすごいね! あんなお屋敷でどんなカッコでいるんだろうって思ったらもう堪んなくてさ! 近くのコンビニのトイレに慌てて駆け込んだよ。あん時は焦った」
(家を? 家を知ってる? いつから!?)
だとすれば、これから先もずっと脅かされるのか。
「遠い人だ、そう思うと余計あれこれ考えることが出来てすごく楽しくて。で、電車の中で華の真後ろで『あの遠い人が目の前にいる!』って興奮しちゃって。僕の手で大きくなってくれるなんて嬉しかったよ!」
もう耐えられない、これ以上何も知りたくない。声だけ聞こえていればいい。話を理解しようとしなければいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます