第六話 どうしたら…… -2

 放心しながらも真理恵の家にかけた。

「おばさん? 母さんが電話でごめんって……母親って言えないって……俺、話しできなかった……」

『華ちゃん、おばさんね、3時前にかけたの。時差で向こうでは7時くらいだって聞いたから』

「おばさん、なに言ったの!?」

『違うのよ、華ちゃん。私もまともな話が出来なかったの。向こうの人たちに酷い母親だって言われたって泣いてた。ピアノなんか放っておいてさっさと帰りなさいって。でも……それは無理だって……』

「無理……無理? 俺、やっぱりピアノに負けたの? そうだよね、勝てたことなんてないんだ……」

『お父さんは? かけてみた?』

「いつだって電源入ってないよ。母さんの電話かけてきたホテルにもすぐ掛け直した……たった今チェックアウトした……って……」

 電話の向こうが静かになる。間が空いて静かな声が聞こえた。

『華ちゃん、ウチにいらっしゃい』

「……いやだ」

『そこにいても辛いだけでしょう?』

「いやだ、ここにいれば電話かかってくるかもしれない、いやだ!」

 叩きつけるように電話を切った。

(きっとかかってくる。絶対にかかってくる。さっきはきっと動転してたんだ、イヤなこと言われて。落ち着いたら俺の声が聞きたくなるはずだ、絶対にかけてくる)

 電話から離れるわけにはいかないと思った。冷蔵庫から必要なものを取ってくる。食べるものはクラッカーとチーズを用意した。薄い毛布と枕を持ってくる。すぐにでもかかってくるはずだ………


 チャイムが鳴った。のろのろと時計を見ると8時半。向こうは真夜中だ。けれど父も母もたいして時間を気にしない。いつかかってくるかなんて分からない。

 またチャイムが鳴る。やっと立ち上がって玄関に出た。

「いるじゃないか」

 朗だった。大きな紙袋と学生鞄、修学旅行に使うようなデカいショルダーバッグを持っていた。

「朗、どうしたの?」

「居候」

 ずかずかと中に入ってきてどすんと荷物を下ろした。

「ああ、重かった! 冷蔵庫近けりゃどこでもいいや。部屋借りたい。なんなら家賃払う」

「どうして……」

「受験勉強するのにあの家は向かないんだ。ちょうど誰もいないって聞いたからこれ幸いと部屋を借りに来たわけ。いいかな、借りても」

 何を考えることもなく頷いた。というより、何を考えていいのかも分からない。

「良かった! 勝手に居候してくるって言って出てきたから、断られたらどうしよう! って思ってたよ。助かったぁ! 適当にやるからさ、俺のことは気にしなくていいから。これ、食事。俺の今夜の飯、分捕って来たんだ。でもちょっと多かったから一緒に食わないか?」

 それにも頷いた。喋る気力が無い。

「台所ってあっち? ちょっと借りるな、あったかい方が美味いから」

 朗がキッチンに行くと華はまたソファに戻った。

(どうして来たんだろう)

そんなことを思ったけれど、また電話を見つめた。見ていれば鳴るような気がして。


「美味いか?」

「うん」

「お代わりするくらいにあるぞ」

 普段の華なら気づくだろう、居候の意味や、この多い料理。けれど何も頭に浮かんでこない。その様子を朗はじっと見ていた。

「腹一杯! 華もよく食べたな!」

 半分は残っていた。けれど食えとも言わず、朗は片付けた。

「風呂借りる。部屋はどこを借りていい?」

「好きなとこ、いいよ」

「サンキュー! じゃ、風呂入ってその後は部屋で勉強する。華、ありがとう。助かったよ」

 ソファで足を抱いて膝に頬を載せた。急に電話のケーブルが心配になった。ちゃんと繋がっているのを見て不安になる。

(ケーブルのせいじゃないんだ……)

 そうやって明け方まで過ごした。

「おはよう! 飯は……食ってないよな。じゃ、勝手にやっていい?」

「うん」

「よし!」


 朗は気になっていた華のことを母から聞き出した。両親が出て行った理由を聞いて思わず怒鳴った。

『なんだよ、それ! なに、考えてんだよっ! 華が可哀そうじゃないかっ!」

 その後はさっさと荷物を詰めた。

『ちょうどいいや、ここじゃ勉強になんないし。なんか変わるまで居候するよ』

『食事は運ぶから。着替えも。あんたがいる間だけでもいいから変なことしないように、それだけ見てやって』

 明日の朝食くらいは持ってきた。スープはパックで売っているお湯を入れるだけのもの。フランスパン。ゆで卵を4つ。冷凍のパスタと、5個入りのラーメンを2袋。

「お前、甘くなきゃなんでも食えるよな。ってか、食えよ」

「うん」

(『うん』しか言わない……)

 いつもの憎まれ口も偉そうな顔も、世の中を分かり切ったような冷めた目もしない。自分の方が腹が立つ。

 電話にも出ない、話そうともしない、帰ってこない。その両親からの連絡ただを待っている華。

(チクショウ!!)

自分にはいつもの通りの自分でいてやることしか出来ない。


 それからの華はソファで生活する日々が続いた。学校には朗から様子を聞いた時恵が当分欠席すると電話した。担任は理由を聞いたが、まさか本当のことなど言えない。身内の具合が良くなくてそばについているのだとそう伝えた。華の家が特殊なのを知っている担任は理由さえつけば別に構わないようだった。

 真理恵は2度ほど顔を出したが何をしてやることも出来ず、料理を運び、洗濯をした。時恵と真理恵は華を痩せさせたくないと、共通の意識でそっと世話をした。もしかすると一生誰も華の面倒を見ないのかもしれない……


4日目。誰もいない昼下がり。電話が鳴った。

『華? 一人?』

「ダディ!!!!」

『……夢さん、電話かけてきた?』

「かけてきたけど……なにも話せなかった……」

『そう……』

「どうしたの? いつ帰って来る!?」

『夢さんと連絡がつかないんだ……だから華のところにいるかと思って」

 父の言葉の違和感。

『華のところにいるかと思って』

「ダディ」

 震える声になっている。

「ここは、俺のいるところ? じゃ、マムは? ダディは? もうここは俺だけがいる場所ってこと?」

『華……だって夢さんがいない……』

「俺は!? 俺はいるよ、ダディ! 俺がいる!!」

 何を言われるのか返事が怖かった。あんなに電話を待っていたのに切りたい。

『華、君は私たちの愛の結晶だよ。美しいマイボーイ。君は私より夢さんより強い。私も夢さんも互いがいてやっと生きているんだ。私は夢さんを探しに行く。いつか華のところに行くよ。夢さんと二人で。愛してる、マイボーイ』

 切れた電話に、何もかも終わったと思った。

   


 静さんはあれから3週間ほどしてやっと来てくれたけれど、すっかり様子が変わっていた。やつれた顔、疲れて落ちた肩。

「ごめんなさい、こんなに遅くなって。今日からまたよろしくね」

「静さん、本当は無理なんでしょう? どうして無理をするの? 俺が可哀そうだから?」

「奥さまと旦那様からくれぐれも華を頼むと……」

「いいんだ、もう。静さんここに来るの辛かったんでしょう? 恭一さんは?」

 静は座り込んだ。

「華さん……私がいなくてもやっていけるの?」

「大丈夫だよ」

「だって……一人に……」

「恭一さんが大変なんでしょ?」

「右手は……治らないかもしれないって。ある程度動くまで時間がかかるって……」

「じゃ、そばにいるのは恭一さんのとこだよ。もう俺のこと忘れて」

「でも!」

「本当にいいんだ、俺、強いから。俺は強いんだよ」

 静の胸に抱きついた。

(みんな、俺がいなくても大丈夫だ。俺もみんながいなくて大丈夫だから……)

「ありがとう、今日まで。本当にありがとう。静さんの料理、大好きだった。俺の好きなものも嫌いなものも全部分かってくれていて。大好きだったよ」

 涙は流さなかった。それが静さんに対してできる最後のことだ。

「ちょっと待って」

 メモに電話番号を書く。

「ここに電話して。おじいさまの番号。俺からも電話しとくから。必ずかけて」

「ありがとう……あのね、華さんのことも息子みたいに思っていたの。ちょっとは親代わりになれて嬉しかったわ。最後に親孝行、ありがとう」

 泣きたくなかった。もう絶対に泣かないと自分に誓っていた。華は笑って静さんを見送った。

 祖父には電話で出来るだけのことを静さんにしてあげてほしいと頼んだ。

『心配するな。静さんは特別な人だったからな』

 そして静さんのことは思い出にした。



 ケンカに明け暮れた卒業までの毎日。

 あれきり合気道の道場にも行かなかった。真理恵にも会わない、ただ朗は受験が終わるまでずっと居候をした。

 時々朗の連れてくる友だちの声が聞こえた。それを聞いているのが好きだった。


 高校に受かった朗は荷物を引き上げた。朗の目標は全寮制の学校だった。

「大丈夫か、華」

「何が?」

「だって……」

「ちゃんと勉強して。俺は朗よりいい大学に入るからね」

「言ったな! 俺は優秀なんだぞ」

「俺の次にね」

 そんな会話は出来るようになっていた。けれど華の心には誰も踏み込めなかった。


 父と母は今一緒にいると電話があった。華は、『あっそう』とだけ答えて電話を切った。たまにかかってくるが華はすぐ電話を切るようになった。父と母から手紙が来ると破って捨てた。


 高校は進学校に受かった。勉強で明け暮れそうな学校。頭が忙しくなりそうなところを選んだのだ。

 卒業式に来ると言っていた祖父は腰を痛めて出てくることが出来なくなった。祖母はその祖父の面倒を見ている。


 最低な卒業式だった。最後の皮肉を言いに来た連中に飛び掛かっていった。殴って蹴飛ばして、そして殴られた。目の脇にバンドエイドを貼り、口が腫れあがったまま卒業証書を受け取った。

 式が終わった後、職員室に呼び出しを食らって説教されたが気持ちが冷めていたから気にもならなかった。どうせこの学校ともおさらばだ。

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