第六話 どうしたら…… -1

 朗は中学3年。この家らしいほんわかした雰囲気を持っているが、ちょっと大人びている。

 部屋に二人になって、朗がベッド、床に華の布団を広げた。部屋の中はもうそれでいっぱいだ。

「ごめん……急に泊まりに来ちゃったから……迷惑かける気じゃ」

「気にするなって。友だち泊まりに来た時なんて、誰もそんなこと言わないよ。この前は3人も泊りに来てさ、ベッドには2人で寝たんだけどそいつの寝相があんまりひどいから下に蹴落とした」

 目が丸くなる。この部屋に4人?

「華、何かあったんだろ? お前がここに泊まるなんてよっぽどのことなんだな。あ、話せって言ってんじゃないからな、ただお前も大変だなぁと思ってさ」

「朗は……『普通の家』って、どういうのだと思ってる?」

「普通の家? ……そうだなぁ、少なくともウチは普通じゃないよ」

「え、そうなの?」

「親子の仲が良すぎる。結構引かれるんだ、家族とべったりしてると。別にマザコンってわけでもシスコンってわけでもないんだけどね」

(仲が良くても普通じゃない?)

「華、自分ちが普通じゃないって思ってるんだろ?」

「思ってる」

「確かにお前んとこは変だよな。なんかさ、ホントに仲いいのかなって思う時がある」

「仲……そういうの、考えたこと無かった」

 今回のことがあってからいろんなことを考えてしまう。

「話さなくってもいいけどさ、これだけは言いたいんだ。華は華でいいと思うよ。年下だけど、俺には『カッコいいな、こいつ』って思える。お前のツッパリは見てて気持ちいいよ。いいか悪いかじゃなくってさ、お前の自分を貫くってとこが俺は気に入ってるんだ」

「俺、もしツッパれなくなったら朗はもう話もしてくれない?」

「ばぁか。お前はそんな柔なヤツじゃないって知ってるよ。悩むのはいいことだろうって思う。俺さ、去年本気で家出しようと思った」

「どうして!?」

「小遣い値上げしてくんないから腹が立ったわけ。で、友だちんちに潜り込んだんだ。あっさり見つかったけどね」

 笑っていいのかどうか分からない。

「大丈夫か? 普段のお前なら笑い飛ばすのにな。もう寝ろよ。疲れた顔してる」

 さっさと電気を消されて、狭い部屋に二人で寝ることに緊張するけれど朗はすぐに眠ってしまった。

 朗の話に(普通って難しい)と華は思った。


 翌日は真理恵も学校に行き、茅平家はがらんとしていた。けれど自分の家の『がらん』とはかなり違う。みんながバタバタしていた名残が強く残っている。家に立ち込めるキッチンの匂い、バスルームの匂い、みんながいたという匂いがしっかり残っている。

「華ちゃん、本当に帰るの?」

「うん、帰る」

「そう。無理に引きとめないけど何かあればいらっしゃい。夕飯食べに来るだけでもいいのよ。真理恵は今日合気道で遅くなるけど」

 そうだった、合気道。何時でも開いていると言っていた。今日はまだ学校に行く気になれない。

(行ってみようか、申込書あるし)

やることが見つかって気持ちが久しぶりに華やぐ。


 がらんとした家に入った。帰って来たとは思えない。そう言えばいつもそうだった。ピカピカに磨かれていつもきれいな家。羨ましがられても(どこがいいんだか)といつも思っていた。

 売りに出すと言われてショックだったのは、そのことを相談されなかったからだ。思い出はあっても思い入れがない……

 バスルームに入って、これだけは自分の家の方がいいと思った。真理恵の家で風呂に入るなんてとても無理だ。誰が来るか分からないあの状態はいたたまれなかった。中に入ってその手狭さにもしばらく唖然としてしまった。

 着替えて申込書を持つ。たいして乗ったことの無い自転車に跨る。念のため、月謝になる4千円と借りる道着用の500円も別に持った。6月にしては爽やかな陽気だった。


「こんにちは」

 誰もいない。入って取り敢えずあちこち眺めた。来ては見たものの、何をしたらいいのか。道場着だってまだ無いのだし、誰もいないなら申込書も月謝もどうすればいいか。

「済まん! 誰か来てると思わなかった!」

 野太い声だ。振り返ると髭面が立っていた。頭を下げて申込書を突き出した。

(髭面じゃなかった、……遠野師範)

名前を思い出してほっとする。

「宗田……なんて読むんだ? お父さんの名前」

「まさなりです」

「ずい分大胆な名前だな! そしてお母さんが夢さん。お前は華」

 確かにそう考えると個性的な名前ばかりだ。

「ちょっと座れ。これを預かったんだからもうお前は俺の弟子ってことになる」

「はい」

「どうして合気道をやろうと思ったんだ?」

「マリエが……茅平さんが誘ってくれたから」

「なんだ、それが理由か」

 大きな声で笑う。

(この笑い声、好きだ)

「あ、これも」

 月謝を取り出した。剥き出しの4千円を見て、「ちょっと待ってろ」と遠野は奥に入った。すぐに出てきて袋を渡す。

「今度からそれに入れて持ってきてくれ。後でハンコ押して返すから。月謝を持ってきてもらうのはいつも20日までとしている。それが翌月の分だ」

「じゃ、今月の分は?」

「もう22日だからな、いいよ。さ、道着を合わせてみよう。君は背丈はあるんだな」

 真っ新まっさらな道場着を渡された。

「良かったな、やめた者の道着になる場合もあるんだ。じゃ、着替えて出てこい。着方は分かるかな?」

「はい。この前見たから」

 着替えをしていて不思議なことに気がついた。『学校はどうした?』と聞かれていない。


 道場に出て行くと遠野は額に向かって頭を下げていた。その後ろに座って自分も頭を下げてみた。その様子に遠野がまた笑う。

「意味も分からずに頭下げてるのか」

「だってみんなそうしてた」

「みんながやるからやるのか? お前のことを知りもしないヤツに『分かるよ』って言われても本気にしないだろうに」

「やんなくてもいいってことですか?」

「少なくとも意味が分からない内はやらなくていい」

「はい」

 不思議なことだらけだが、華には楽だった。束縛されることにはやっぱり抵抗がある。

「合気道はどういう武道だと思う?」

「よく分かりせん」

「じゃ、合気道をやってどうなりたい?」

「強くなりたいです」

「何のために?」

「ケンカでケガせずに相手を倒したいからです」

「ふぅん……合気道やっても強くはならないよ」

「え、だって」

「誰かに対して強くなるためにやる武道じゃないんだ。敢えて言うなら自分に対してかな? ケガをしないようにするのには向いている。だがもう一つある」

「もう一つ?」

「相手に余計なケガを負わせないこと」

 イメージが湧かない。ピンと来ない。

「試合とか」

「合気道に試合は無いよ」

「じゃ、目標が無いってこと?」

「それは考え方だ。私はこう思っている。合気道は自分を知るための研究だってね。それから物理だ。いかに自分が楽に相手の力を利用するか。そういう意味でも研究だな」

「物理……」

「まだ物理って習ってないだろう?」

「はい」

「エネルギーの向かう方向とかそういうことの勉強だよ。きっと君の気に入る学科だろうな。合理的にものを考えるんだ」

 それなら好きそうだ。

 何人か入って来た。年配の人たちだ。

「こんにちは」

「はい、こんにちは。今日は早いね」

「やることが無くなったもんだから。新人さんかい?」

「今日からですよ。挨拶して」

 手を突いて挨拶した。

「宗田華と言います。よろしくお願いします」

「よろしく。華くん? 珍しい名前だね!」

「よく言われます」

「でもよく似合ってるよ」

 そう言って着替えに行った。そう言えば祖父母以外の年寄りに接するのも初めてだ。

「何をやったらいいですか?」

「さっきの人たちが来たら準備運動を一緒にやろう。私もやるから」

「はい」

「君はそんなにいい子に見えなかったがな。今日はずい分素直だ」

 前回だって大人しかったのに。

「どう見えたんですか?」

「こりゃ一筋縄ではいかんなってな」

 準備運動で周りに驚かれた。自分でも驚いた。あまり体育の時間はまじめにやったことがない。けれどすごく体が柔らかい。確かに身体能力は高いが、それを試したことはなかった。目的をもって体を動かすことはすごく気持ちが良かった。


 久しぶりの学校は変わり映えがしなかった。話をする相手はいるが、いつもと変わらず会話を流して聞いている。相手にしても自分にそこまでの答えを求めちゃいない。

(詰まらない)

 ふいと立って教室を出て行く華を見ても、誰も引きとめるわけでもないしどこに行くのか聞きもしない。

(きっと俺が外国に行ったからって誰も変わらないんだろうな)

そう思って、自分の中に外国に住んでもいいという気持ちがあるのだと知った。

(いよいよとなったらそれでもいいか……)

あの時の怒りも憎しみも薄らぎ始めていた。



 玄関を開けた時に電話の音が聞こえた。何となく予感がして走った。

「はい!」

 息が切れている。

『華?』

「母さんっ!?」

 電話の向こうから伝わってきたのは沈黙。

「母さん?」

 長い沈黙の末、やっと声が聞こえた。

『ごめんなさい、私母親とは言えないのね』

「母さん」

『謝りたくて電話をしたの。それだけ。本当にごめんね』

 電話は切れた。華は受話器を持ったまま呆然と立っていた。

 とろとろと受話器を置いてソファに落ちるように座った。

(今のは、なに?)

 ――母親とは言えないのね

(なんのこと? 俺、なに言われた?)

 はっとして、すぐに電話の履歴を見て今の番号を書き写す。母は持っていても携帯をほとんど使わない。手紙が好きで、どこかから送って来た手紙の住所も下手をすると移動する前のホテルの住所だったりする。

 折り返しすぐにその番号に掛けた。


『Royal Firenze Hotel. May I help you?』

(ロイヤルフィレンツェホテルです。ご用件を承ります)

「Please connect a room for Mrs.Yume Soda.I'm calling from Japan.」

(宗田夢の部屋に繋いでください、日本から掛けています)

「ワタシ、ニホンゴワカリマス。ソウダサマハ タッタイマ チェックアウト サレマシタ」


 何かを呼びかけられているが電話を切った。母の携帯にかけてみたが繋がらない。思い余って父の携帯にかけた。父はどこのホテルにいるかも分からない。やはり電源が切れていた。これなら携帯を持っていない方がマシだ、本当なら喋るのに困らないはずなのに。

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