第二話 親からの卒業

 小学校はそれでも良かった。変人は変人でもそれなりに『いいトコのお坊っちゃま』という前置きが付いたから。ケンカはしても大きく発展することは無い。

 それにみんなは華の勢いに気圧されていた。口でも頭でも勝てないから心がコテンパンにされる。だから傷を負うほどの喧嘩の相手はたかが知れていた。



 中学校入学。

「華、今度ばかりは行くからね。スーツもちゃんと用意したし」

「私もよ。何を言ってもだめ」

 確かに今回ばかりはどうしようもないと思った。さすがに入学式に来るなとは言いにくい。

「分かった。ありがとう、わざわざ明日の入学式のためにルーマニアから戻ってくれて。でもさ、どうせならもっと早い時間が良かったな。今、もう11時半だよ。俺がいい子だったらとっくに寝てる時間」

「ごめん。個展の打ち合わせで時間がかかったんだよ。責めるならダディを責めておくれ」

「じゃ、ダディ。この瀬戸際でバタバタするのは良くなかったと思うよ。もっと早く連絡を入れること。入学式に出たいってもっと早く言ってほしかった、俺にも心の準備が要るから。だから反省して」

「華、反省する。許してくれるかい?」

「んんー。無事に入学式が終わったら、許すかどうか検討するよ」

「じゃ、明日の午後評価をしておくれ。立派に大人しく参列するよ」

 少しは安心したが、何か忘れている気がした。自分の部屋に戻りかけて、くるりとターンする。

「ダディ、マム。明日着る予定の服を見せて」

「え……」

「え、じゃないでしょ、マム。ほら、出して見せて」

「あのね、うんと質素にしたのよ。本当よ、華が怒るようなこと、するつもり無いから」

「なら見せてよ。チェックするまで寝ないからね」

 父も母も恐る恐るトランクから服を出した。

「作ったんだ。明日のために」

「私もよ。別々に作ったから乱れたリズムになっているけれど、それは許して欲しいの」

 腕組みをしている華の前で二人とも服を広げた。

「ダディ、却下」

「なぜ!」

「マム、却下」

「そんな!」

 悲痛な顔をする二人は泣かんばかりに手もみして息子に訴える。

「さっきも言ったけれど一緒に揃えなかったからいけなかったのね。ごめんなさい。でも今はこれしか……」

「そういう問題じゃないんだよ。ダディ、普通のお父さんはこんな……あずき色っていうの?」

「日本語で言えばエンジ色だよ」

「そういう色は着ないんだよ。マム、白いって言うのはいいんだけどね、こんなに胸と背中が開いちゃダメ。ダンスパーティーじゃないんだから」

「でも!」

「いいよ、一緒にクローゼットに行ってみよう。来ちゃダメって言わないから俺がこれっていうのを着てよ。いいね?」

 二人は大人しく華の後をついて行く。

(俺、ふつーってのが分かんないよ、マリエ。ふつーの親子関係ってどんなだろう? 少なくともこれが違うって言うのは分かるけど)


 両親のバカでかいクローゼットのドアを開ける。中にはマネキンに着せてあるものもあるし、見慣れているから華は何とも思わないが、ソファと洒落たガラスのテーブルがある。片側の壁は一面鏡。奥にはもう一つ小部屋があって、そこにはずらっと二人の靴が並んでいる。父と母、それぞれに100足近くはあるだろうか。


 まず、決めやすそうな父のスーツを端から見ていった。足も止めずにずんずん歩くから、父が不安そうな顔をする。

「華……一つくらいあるだろう?」

「考えてる」

「華……」

「待って」

 最後まで見て、もう一度向こうから戻ってくる。やっと手を伸ばすのを見て父はホッとした。

「んん……しょうがない、これだね。靴は……」

 父にスーツを持たせて靴の並んでいる部屋に入った。今度はすぐに戻ってきてそれにも父はホッとした。

「こんなのがいいのかい?」

 父は少々唖然とした顔になっている。

「これはいつ着たか覚えてないくらいだよ。あることすら忘れていた」

 グレーのスーツ。ワイシャツは白はこれしか無かった。袖の膨らんでいるドレスシャツ。けれどスーツの上着でうまく隠れそうだ。靴は当然のように黒。


 母のドレスコーナーに行く。やはり端から見ていくが、頭を横に振ってばかりの息子にすでに涙が零れている。

 やっと手を出して華が取ってくれたのが……

「華! それは喪服だわ!」

「普通の人はこれを喪服とは言わないよ、マム。大丈夫。待ってて」

 アクセサリーの小棚を眺めて二つばかり取った。

「ほら、これで合わせてみて。これなら素敵だよ、マム」

 部屋の隅にあるマネキンを一つ持ってきた。それに着せていく。父のグレーよりもう少し濃いスーツ。けれど華やかなグレーだ。中にクリーム色のブラウスを合わせてある。首元には大粒のパールのネックレス。母が手渡されたのはそれとお揃いのパールのイアリング。靴は黒のローヒール。

(この靴があったのは奇跡だ!)

「この服で来てくれる?」

「あなたが望むのなら」

「マイボーイ、言うことを聞くよ」

「良かった! 朝食は一緒に取れそう?」

「もちろんよ! 朝露の頃には起きてるわ」

「そんなに早く起きないよ。朝食は6時半。いい? そうだ、マム、髪はシンプルに束ねてくれる? ほら、キッチンに立つ時みたいに。そんな顔しないで! 俺、あの髪型が好きなんだ。じゃお休み」

 父と母が求める顔をするから頬を突き出す。両方から軽くキスをされた。

「お休み、華。後で覗きに行くよ」

「ああ、それは勘弁して。もう僕はプライバシーを侵されたくない。もうキッドじゃないんだ」

(どこかで分かってもらわなきゃ。もう今までとは違うんだって)

 両親は泣いているかもしれない。けれどそれは自業自得だと思っている。自分が、<子ども>だった時期に気づくべきだったのだ、今ならやり直しがきくのだと。

(悪いけど……もう、遅いんだよ。ダディ、マム)

 環境が華をあっという間に大人にしてしまっていた。もう知らないふりも気づかないふりも、まして両親の世界に入ることも出来ない。これからは批判じゃない、反抗じゃない。自分の足で歩こうと思う。

(グッバイ、ダディ、マム。もう帰ってこなくても俺は気にしないよ。愛してるけどもう振り回されたくないんだ。分かってくれなくていいから)



 入学式を過ぎてからは新しい風に吹かれることを楽しんだ。新しい授業、部活。快調に滑り出した学生生活。

 華はこの『学生』という言い方が気に入っていた。もう『児童』ではない。


 同じクラスになったのは相変わらずの連中もいたが、元々そんなことはどこ吹く風。数は少ないが、出身の違う初めてのメンバーと楽しむことを覚えた。もちろん慎重に行動しながらだ。華だって別にケンカを望んでいるわけではない。

「お前の名前、間違ってつけられたのか?」

「みたいなもんだよー。いい迷惑してるんだ」

「だよな、俺だったら絶対親を許さない!」

 けれど最近は名前にそれほどの嫌悪感は持っていなかった。ケンカの元にはなっていたが、あの呆れるようなズレた両親は好きだ。


 部活は何にしようか物色している方が多くて、結局はいまだに加入していない。

『お前はどうせ手芸部だろ!』

『ダンス部があるぜ!』

 そんな言葉が飛ぶが、だからと言ってそんなのを相手にして学生生活を台無しにしたくなかった。


『どうして公立に行くの?』

『マム、経済的だしね。私立の閉塞感って、俺には向かないよ』

『そう……華が望むならいいわ』

 華が望むなら。

 時々その言葉に泣きたくなる時があったが、それがなぜなのかは分からなかった。


「華くん、ケガしないようにケンカしたらいいのに」

 久しぶりの真理恵の第一声だ。当たり前のように学生鞄から傷薬と傷バンを出す。その手招きに慣れたように隣に座った。

 夕方のいつもの公園のベンチ。まだ日は明るい。もう6月になろうとしている。じっとりと汗っぽい。今日は湿度が高い。

「俺、汗かいてる」

「いいよ、拭くから」

 濡れティッシュが出てきた。

「お前さ、いつもそんなの持ってるけど使ってんの?」

「まさかぁ。だっていつ華くんと会うか分からないし。持ってないと困るから」

「マリエが困るわけじゃないだろ?」

「だって華くんがケガしてるの、メンテするのは私の役目でしょ?」

 頬を拭かれて手を拭かれる。

「メンテねぇ。彼氏とかできないの?」

「中一のくせにおマセなこと言うね。華くんは? 好きな子できたの?」

「忙しいからそれどころじゃない」

「だって部活やってないんでしょ?」

「図書室にさ、この頃入り浸ってるんだよ」

「ああ、華くんらしい。マイナーな場所に居そう」

「マリエだって図書室好きだろ?」

「好きだけど」


 なぜか真理恵とは気兼ねなく話すことが出来た。何の不思議にも思ったことが無い。

(つき合い、長いしな)

それで片付く。

 二人が幼馴染になったのはちょっとしたきっかけだった。

 華が赤ん坊の頃、静子に街の中や公園を散歩させるべきだと諭された。家の中や庭だけではだめなのだと。素直に夢はベビーカーを押して街に出た。

 夢は脇の店から流れてきたメロディに気を取られてベビーカーごと引っ繰り返った。華は泣きはしたが無事。けれど夢は立てない。その時に通り掛かって助けてくれたのが真理恵の母、時恵だった。真理恵は背中に負んぶされていた。

 なぜか全くタイプの違う二人は気が合い、それから互いに公園などで出会ったりどこかですれ違うとお喋りをし、二人の子どもたちはその近くで遊ぶようになっていった。

 海外に行くこ方が多かった夢の代わりに散歩に連れ出す静子も時恵と親しくなり、それ以来華と真理恵はずっと一緒だ。


「さっき変なこと言ったよな。ケガしないようにケンカしろって」

「だってケガしたら痛いでしょ?」 

「だからなんだよ。傷ってのは男の勲章みたいなもんだろ」

「安そう。消えちゃう勲章だよね」

「イヤな言い方するな」

「あのね、私合気道習ってるの。一緒にやらない?」

「合気道?」

「護身術とかね、あまり荒っぽくない武道だよ」

「興味ない。だいたい荒っぽくないなら武道じゃないだろ」

「『偏見』っていうんだよ、それ。食わず嫌い」

 最後の傷バンを手の甲に貼ったのを見て、華は立ち上がった。

「帰るの?」

「ちょっと寄り道」

「どこに?」

「ラーメン食って帰る」

「私も行く! どこで食べるの?」

「制服汚れるぞ。駅のそばに新しくラーメン屋が出来たんだ。そこに行く」

 真理恵も立ち上がった。

「行く! ……あ」

「なに?」

「お金、あんまり無い」

「いいよ、そんなの。行くぞ」

 歩きながら会話が続く。成長の早い華は3つ上の高校生の真理恵とあまり身長が変わらない。


「おい!」

 後ろから声がかかった。気がついてないかのように華の歩調が変わらない。

「聞こえないのか! 宗田!」

「華くん、お友だちじゃないの?」

「ばか、友だちなら俺だって立ち止まるよ」

「あ、そっか」

 止まらない二人に声が苛立ち始めた。

「お前の彼女かよ。公園でデートか? これからどこ行ってヤるんだよ!」

 華の足がピタッと止まった。ゆっくり後ろを振り向く。

「なんだ、図星つかれて腹が立ったか?」

「な、お前らどこまで行ってんの?」

「彼女ー、名前教えてよー」

「AとDとEか。BとCはどうした?」

「なんだよ、それ」

「お前がD。そっちがA。左のがE。悪い、名前覚えらんないから記号付けた」

 途端に隣から小突かれた。

「今の、華くんが悪い。そういう言い方しちゃだめだよ」

「うっるさいな。いやなら帰れよ」

「やだ、ラーメン奢ってもらうんだもん」

「イチャイチャするんじゃねぇよっ! まさかガキでも作ってんじゃねぇだろな!」

「マリエ、持ってろ!」

「はい」

 隣を見もしないで自分の鞄を放り投げた。見事に真理恵はそれをキャッチして声をかけた。

「ケガ、しちゃだめだよ。もう傷バン、無いんだから」

「ケンカの前に調子狂うようなこと言うな!」

 叫びながら華は飛び掛かっていった。真理恵は渡された鞄をぶらぶらさせながらそれを見ている。3対1だ。それでも善戦はしている。

「華くん、後でお金貸して」

「な、んで!」

 飛んで来た拳を避けながら聞き返す。

「傷バン買うお金貸して」

「利子つけて返せよ!」

「考えとくー」

 その時、一人が華の髪を掴んだ。仰け反った華の顔に一発入る。真理恵は丁寧に下に鞄を置くと、つかつかと4人のそばに歩いてきた。

「ばかっ! 来るな!」

 髪を掴んでいる男子の顔を両手で挟んで自分の方に向かせた。

「Dくん! 卑怯だよ、そういうの! 髪掴むなんて男の子のするケンカじゃないよ!」

 勢いに驚いたDとやらが手を離したところに真理恵の平手が飛んだ。

――パシーン!

 全員の動きが止まった。華も呆気に取られて見ている。

「行こ! 卑怯な子とケンカなんかしないで。このケンカに価値無いでしょ?」

 置いた鞄を握る。

「お腹空いたし。薬局も寄るんだからもう終わりにして」

 華は掴んでいた相手の服を離した。

「バカバカし。やる気、失せた」

 真理恵に追いつこうと早足になる。

「逃げんのか!」

「覚えてろよ!」

「その女! 顔覚えたからな!」


「おい、帰りとか気をつけろよ」

「気にしてくれるの?」

「そりゃ……当たり前だろ」

「わ、嬉しいな。冷たい華くんが珍しくあったかい」

 溜息が出る。やっぱり両親に似ている、真理恵は。

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