第一話 冷めた目

 宗田そうだ家に生まれた子どもに付けられた名前は「はな」だった。


 代々伝わる名家。華の曽祖父は舞踊家。曾祖母は華道家。祖父は舞踊家から転じて能を舞った。祖母は茶道家。

 そして華の両親。

 宗田家の一人息子、超愛まさなり。字のごとく、人並外れた才能とたっぷりの愛を持っているが、これまた字のごとく世俗を逸脱している……と言えば聞こえはいいが、要するに飛んでる男だった。

 この名前を付けた祖父母もしかりだろう。


 その超愛に嫁いだ母、ゆめ

 名前通り、夢見心地で常に物事を明るくとらえ、悪いものには目を向けない。現実感の無い女性。

 超愛は画家だ。夢はピアニスト。


 華誕生時の超愛は19歳。夢は17歳であった。世間を知らない無垢な父と母。


 宗田家の不思議なところは、芸術一家であるにもかかわらずあまり代々の芸術を引きずらないところだ。舞踏家なら跡継ぎも舞踊家にしそうなものだが好きなことの能力を伸ばしていく。自然、世の中の流れに疎い一家となっていく。


 父は美しく、母は愛らしかった。二人に生まれた赤ん坊は二人の美の結晶のようだった。

「まあ! 花のように華やかだわ!」

 生まれた我が子を見て口にした夢の言葉が名前を決めた。画家の父も美しいものばかりを描く。華やかとは、すなわち美しいものだ。何の抵抗も無かった。

       


「華ぁ」

 母が呼ぶ。愛おしそうに呼ぶその声に鬱陶しそうに顔をしかめて振り返る。

「なに、マム」

 海外で過ごすことが多い両親は日本語にこだわらず話をすることが多い。それが厄介だ。ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語……それが日本語に混ざってくる。華はどれが何語か分からないまま受け入れて育った。

 だが一歩出れば日本語しかない世の中。早い段階で(これはマズい)と、華は自力で正しい日本語のマスターに挑んだ。それが小学校一年半ば過ぎ。

 頭はいい。結論を引き出すのが早く、同級生がどうして考えることにもたつくのか理解できなかった。


「ここにいたの? あのね、マフィンを焼いたの。お茶にしましょ」

「いらない」

「どうして……」

「ああ、もう! いいよ、食べるから泣かないで」

 扱いに困る、自分の親の。結構苦労していると思う、世離れした親を持つと。

「マム、俺にはこのマフィン、甘すぎる。お煎餅無い?」

「紅茶を飲みながらバリバリと音を立てるの? それじゃ不協和音が生まれるわ!」

 まるで悲鳴のように母が言う。

「俺、不協和音が好きなんだ。ミステリアスでしょ?」

 その一言でお煎餅を母の前で食べてもいいようになった。母はその音を聞きながら目を閉じて指でテーブルにトントンと小さくリズムを刻む。

 華から溜息が漏れる。

 その様子を離れた場所から父が床に座ってスケッチをしている。自然を愛する父は風景と、そして主に家族を題材にして描いていた。いつも父の描く家族の絵には華の笑顔が溢れている。



 自分の苦労を実感したのが小学校3年だった。授業参観に来ると言う両親に、その前夜華は根気強く説いた。

「もう授業参観は来なくていいから」

「なぜ!?」

「ダディ、すぐ泣くの、やめて。男って涙なんか簡単に流しちゃいけないんだよ」

「華、男とか女とかに縛られて生きる必要はないんだよ。華は、華だ」

「そう。俺は俺。だから俺のことに口出さないで。ダディ、前に来た時、授業を見ながらその様子をスケッチしてたよね。マム、音楽の授業で先生より先にピアノに座ったでしょう? ああいうの困る」

「なぜ? 先生は喜んでらしたわ」

「あれ、辞書で調べた。よそのおばさんが言ってたから。<社交辞令>って言うんだ。その場しのぎの誉め言葉。お蔭で俺は一家揃って変人だって思われてる」

「華、特別な存在ってことは個性があるってことなんだ。いいことなんだよ」

「ダディ。俺、時々思う。俺がまともに育ったのは間違いだったって。静さんが俺を育ててくれたようなもんだもんね。二人ともあんまりいないし。でもまともに育ったせいで『常識』って言葉と『恥ずかしい』って言葉を知っちゃった。だからあちこちで苦労してるんだ」


 両親の泣きそうな困った顔に(俺の方が泣きたいよ)と思っている華。


「私たちがずっとここにいないからいけないのね………華も一緒にって、何回も思ったけれど、おじいさまが『華は日本で育てなさい』って仰ったから』

「で、外国生活を取ったんでしょう? おじいさまは違う意味で言ったんだと思うけどね。おじいさまもおじいさまだ、そこまで言うんなら俺の面倒見ろっつーの」

「華! 今の言葉は美しくない! 取り消しなさい」

「ダディ、叫んだら美しくないよ」

「ごめん……」

 また漏れる溜め息。

「子どもに縛られたくないだろうけど、たまに帰ってきて学校にいる俺を困らせるのはやめてくんない?」


 そして授業参観に誰も来ないという状況を勝ち取った。ついでに保護者会も欠席させた。教師はいろいろ心配はしたが、家庭訪問があってから二度と言わなくなった。



 華、小学校5年生。

 幼馴染の真理恵と夕方の公園のベンチに座っていた。

「現実逃避し過ぎなんだよ、あの二人」

「華くん、難しい言葉使い過ぎー」

「ああ、現実逃避ってのはね、要するに浮世離れしてるってこと。目の前の現実から逃げてるんだ」

「どうして逃げなきゃならないの?」

「怖いからさ、認めんのが」

「そういうの、『冷めてる』って言わない? 華くん、それでなくても冷たいのに」

「マリエはどう思うのさ、ウチの親。俺の名前」

「うーーん。難しい。まさなりさんとゆめさんって周りにいる大人と違い過ぎるもん。華っていう名前、私は好きよ。でもケンカの元になってるからやっぱりダメなのかなぁ」

「いてっ! もう少し優しくやれよ! だいたい人の親つかまえて『まさなりさんとゆめさん』って」

 ケンカの名残に傷薬を塗って傷バンドを貼りながら真理恵は笑った。

「だって、そう呼んでいいって言われたし」

「お前も浮世離れしてるよな。俺の周り、そんなのばっか。そうじゃないヤツは、バカばっか」

「私、逃げてなんかいないよ」

「逃げてなくてもお前は普通じゃないってこと」

「華くん、時々ひどいこと言うよ。そういうの良くないよ」

「俺は思ったことを言ってるだけだよ」

「困っちゃうなぁ」


 3つ年上の可愛い幼馴染こそ、宗田家に生まれれば良かったのだと華はつくづく思う。

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