諜報員はアルバイト探偵。 ――ぐちゃぐちゃ編

猫屋 寝子

アルバイト先にて

「大橋キャンプ場で小学生の子どもが行方不明か。早く見つかるといいな」


 アルバイト先の上司である探偵が、新聞を読みながら眉をひそめた。スパイ一家の第二子、貴家さすがそうはお茶をフウフウと冷ましながら答える。


「そうっすね。警察も捜査してるみたいですけど、手掛かりは見つからないとか」


 探偵は頷くと、深くため息を吐いた。


「事件性がなければいいんだがな。最近は物騒で――」


 探偵の話を遮るよう、事務所の玄関扉につけられたベルが訪問者の存在を告げる。


 走は立ち上がると、「依頼者ですかね?」と玄関に向かった。



***


 玄関には、20代後半くらいの女性とその娘か、女性と顔のよく似た4、5才くらいの少女がいた。


「あの、すみません。予約とかはしていないんですけど、お話って聞いていただけますか?」


 走は気持ちのいい笑顔を浮かべると、「もちろん」と二人を客間へと案内する。


「社長、お客さんです」


 途中でそう探偵に声をかけることも忘れず、走は二人に客間で座って待つように伝える。オフィスに戻ると、探偵がすでに資料の準備などを行っていた。


 素早い対応に感心しながら、走は3人分の煎茶と1人分のオレンジジュースを用意する。その間に支度が整ったのか探偵が先に、その後について走が客間に入った。


 走は中へ入ると、客人2人の前に煎茶とオレンジジュースを、自分と探偵の前に煎茶を置く。客人達のお礼を聞くと、探偵が早速本題に入った。


「今日はどのようなお話で?」


 女性は言いにくそうな表情を浮かべる。


 ――説明しにくいことなのか、話すのをためらうような話なのか。


 走は少しでも話しやすい空気になるよう、笑顔で女性に話しかける。


「緊張しなくても大丈夫ですよ。うちは本当にどんな相談も引き受けるので! ね!」


 走がそう隣に座る探偵に同意を求めると、探偵も無表情で頷いた。その無表情が怖かったのか、女性は探偵に目をやるなり、顔をうつむかせてしまう。


 走は探偵を肘でつつきながら、フォローを入れた。


「ごめんなさいね、この人、無愛想で。でもこの人、こう見えてお人好しで、なんでも引き受けちゃうんです。見た目と反して、本当に優しいんですよ」


「見た目と反して、っていうのは余計だ」


 探偵はそういうと小さく頬を膨らませた。その見た目とのギャップに、少女が笑う。


「ママ、大丈夫。おじさん、優しい人だよ」


 少女の言葉に、女性は顔を上げ恐る恐る探偵の顔を見る。探偵は相変わらず無愛想だが、娘の言葉に背中を押されたのか、頷くと口を開いた。


「娘――この子が昨日、キャンプ場で迷子になったんですけど、その後戻って来てからの様子がおかしいんです」 


 女性はそう言うと、水色の背景に緑色でぐちゃぐちゃと描かれた絵を見せる。


「娘がこんな絵を描いて、『お姉ちゃんが助けてほしいって言ってる』と言うんです。娘は一人っ子ですし、私、少し怖くなってしまって……。警察に行っても小さな子供の虚言だと信じてもらえなかった。でもこの子はふざけてこんなようなことをいう子ではないんです。相手の気持ちが分かる本当に優しい子で、嘘を吐くようなことはありません。こちらの探偵事務所さんではなんでも相談に乗っていただけるという噂を聞いたので、依頼しに来ました」


 探偵は絵を見ると、眉をひそめる。その様子を横目に、走は女性に尋ねた。


「ちなみに、迷子になったのってどこのキャンプ場ですか?」


「大橋キャンプ場です」


 走は数回頷き、タブレットで大橋キャンプ場付近の地図を開く。走の想像通り、大橋キャンプ場の出入り口付近には森がある。


「やっぱり。大橋キャンプ場付近には森がありますね」


 走がテーブルの上にタブレットを置くと、女性と探偵がそれを覗き込む。


「もしかして、娘さんはキャンプ場の出入り口付近で迷子になったんじゃないですか?」


 走の質問に、女性は目を丸くさせる。


「そうです! どうして分かったんですか?」


「娘さんの絵です」


 走はそう言うと、少女の描いた絵――緑色のぐちゃぐちゃとした絵に視線を向けた。


「恐らく、娘さんは共感能力が高いんだと思います。だから、相手視点に立った絵を描いた」


 探偵が首を傾げる。


「共感能力?」


「はい。俺の一番下の妹もそうだったんです。芋掘りの絵を描いてって言われたときに真っ黒に塗りつぶされた絵を描いて。理由を聞いたら、『おいもさんは土の中にいるから』だそうです。芋の気持ちになってその絵を描いたみたいなんですよね」


 女性は目を丸くしたまま数回頷く。


「うちの子も、同じようなことしました」


 走はニコリと笑うと、「今回もそれと同じです」と言った。


「娘さんは、迷子になった森の中で誰かを見つけたのではないでしょうか。お姉ちゃん、と言っていることから、恐らくそれは娘さんより年上の女性、もしくは少女。ちょうど、最近大橋キャンプ場で行方不明になった小学生の女の子がいますよね。その子を見つけたんじゃないでしょうか」


 女性と探偵が息を呑む。


「青い空に緑色のぐちゃぐちゃ――確かに、森の中で空を見上げたとき、こういう景色になるかもしれないが……」


 探偵は立ち上がると、「一応、知り合いの警察に確認してみる」と客間から出ていった。


 女性はその後ろ姿を呆然と見ている。


「ママ、お姉ちゃん、助かる?」


 不意に少女が女性の服を引っ張った。女性は少女に顔を向けると、曖昧に笑う。女性自身、思いもしなかった話にまだ整理がついていないのだろう。


「ええ。きっと大丈夫よ」


 その返事に、少女は「よかった」と嬉しそうに笑った。 



 しばらくして探偵が深刻そうな表情で戻ってきた。


「警察に確認したんだが、先程大橋キャンプ場近くの森の中で、行方不明だった少女が木の幹に縛りつけられて発見されたそうだ」


「お姉ちゃん、助かったの?」


 少女と女性が心配そうな瞳で探偵を見つめる。探偵は表情を和らげた。


「無事、保護されたそうだよ。怪我もなく、誘拐犯も逮捕されたそうだ」


 少女と女性は顔を見合わせて、同時に安堵のため息を吐く。その様子に、走はニコリと笑い少女の頭を撫でた。


「よかったね」


「うん!」


 少女の満面の笑みに、幼い頃の妹を思い起こす。


 ――この子は、勉のように苦労しなければいいけれど。


 走は胸中、この母娘の幸せを祈ったのであった。


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