ぐちゃぐちゃ迷宮
永庵呂季
ぐちゃぐちゃ迷宮
この世界へ転生して三ヶ月になる。
さすがに高校の制服はあちこち破れ、糸はほつれだし、まともに着れなくなったので町の洋服屋と武器屋で装備を整えた。
それにしてもさすが制服。かなり頑丈だった。もしこれが、お気に入りの私服ブラウス(色はスカイブルー。『ファッション・セントラル ナカムラ』で税抜き一五〇〇円だったやつ)、あれを着ていたら二、三日で破けて今頃はトップレスで冒険していたところだったろう。
制服にしたって、まさか異世界で魔物と戦うことを想定して編まれているわけではない。
せいぜい、雨風埃に耐性があるという程度だ。
それでも、この世界のどんな平服よりも頑丈だったし、道具屋の店主が物珍しそうに目を輝かせ、息を荒げて「売ってくれ!」と迫ってきたくらいだから、きっとこの世界においてもそれなりの価値はあるのだろう。
いいおっさん店主が制服を握りしめて「売ってくれ!」というシチュエーションに、思わずドン引きして売却はしなかったけど。
異世界において女子高生の制服がいくらになるか? ちょっと興味あるね。
……そして、魔女エウリアーレンが築いたという巨大な塔。
いまここ。
旅の仲間はいない。だから独り言が多くなる。心の中でも、口に出しても。
「せめて愚痴くらい言ってないと、やってらんないよ」と私は塔の中で、身を隠しながら小さく呟く。「いつになったら『英雄』とやらになれるのよ。こんなのただのお使いクエストじゃない」
握りしめている剣は、クエストを依頼してきた町の長老から貰った逸品。行きずりの聖者が魔法の力を宿した霊験あらたかなありがたい剣だそうだ。
そのエピソード自体は、はっきり言って胡散臭いけど、たしかに切れ味はいいし、刃こぼれもしない。クエストが終わったら、そのまま借りパクしたいくらい手にも馴染んでいる。
……制服と交換とか、アリじゃない? なんてね。
長老
魔女は不老不死の秘術を研究しており、そのため塔の中には実験によって合成された哀れで醜い怪物で溢れかえっているという。
じっさい、この複雑に入り組んだ塔の中には、これまで出会ったどんなモンスターとも違う、異形の怪物しかいなかった。
半魚人のようで背中に翼が生えていたり、亀のような甲羅をもったガチョウのような生物などなど。相反する特性を無理やり合成してできたような生き物が目的もなく徘徊している。
……ぐちゃぐちゃだ、と思った。
そして、ここからが本題。
ここ数日、どうにもこの異形の怪物どもが、塔から出てきて周囲の町や村を襲っているらしい。
「こんなことは『魔女の塔』ができて以来、初めてのことですじゃ」と長老は言っていた。
年に数回、魔女は使い魔を通して近隣の町に食料や雑貨を大量に注文し、それを塔の内部まで運ぶように依頼してきていた。
塔の内部に入れるのは、その使い魔が来たときだけ。しかも運び役は一人。一人では持ちきれない量だが、持てない分は
「今年に入って、魔女からの注文が一度もない。食料はとっくに尽きているはずなのですじゃ」と長老は言っていた。「そして、普段は魔法で封印されている塔の門が開いている……これは、只事ではないのですじゃ!」
魔女の身になにかあった。
病気か? 怪我か? あるいは……死か。
依頼されたのは魔女エウリアーレンの安否確認。
たとえ不気味な塔を建てて、その内部を不気味な化け物が徘徊しているとしても、年に数回、町に来て必要物資を爆買いしてくれる上得意なお客様であることには変わりない。
しっかりと町の経済の中に、魔女の財力は組み込まれてしまっているのだ。
塔から出てきてしまった化け物については、町の自警団が対処していたが、それでも驚異的な耐久力と攻撃力を誇る化け物を相手にするべく、塔の中へ入っていくほど勇気のあるものはいなかった。
「貴方様を『英雄』と見込んでお願い申し上げます!」
旅の途中、たまたま人を襲い掛けていた化け物を倒したことで、町の歓待を受け、長老に持ち上げられてすっかりその気になって受けてしまった。
……しょうがないじゃない。町の人みんなに「ユカ様、可愛い! 強い! そこにシビれる! 憧れる―!」って言われたら、そりゃ断りづらいでしょ。
昨日食べたご馳走の数々。町人たちから受けたビップ待遇。たしかに、それで命の危険が伴う迷宮探査に出てくれるなら、町人にとっても安い買い物だろう。
私は隠れていた壁から顔を半分だけ出してみる。
群れをなして蠢いていた、コウモリの翼を持ったカバのような生物がいなくなっていることを確認すると、深い溜め息をついてから、先へ進むべく歩き出す。
……それにしても、なんて取り留めのない迷宮なのかしら。
魔女の塔内部は、思いつきで建て増ししたとしか思えない作りだった。
規則性がまったくない。通路かと思っていたら巨大な配管だったり、扉を開けた先がただの壁だったりと、まるで
……ぐちゃぐちゃだ、と思った。
塔は七階建て。とうぜん、上に進むほど狭くなっていくはずなのだが、入り組んだ作りのせいで、まったく広さの把握ができない。
途中、数体の化け物を切り捨てたが、極力戦闘は控えて進む。
これまでの冒険で遭遇した怪物とは根本的に違う。特性や対処法がわからない相手とは不用意に戦闘しない。
どうしても戦わざる得ない場合は、静かに、一撃で倒せるよう急所の当たりをつけること。たとえ急所ではなかったとしても、そこで慌てず、淡々とダメージを与え続けること。
それができなければ、この塔の中で朽ち果てるのは自分なのだから。
剣を握り締める。
自分でも不思議なほど、この世界に馴染んでいる。命のやり取りをしているというのに、冗談を言う余裕だってある。
本当の私……これが?
教室の机に突っ伏して、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた私とは違う、生きるための本能に突き動かされている私。
ぐちゃぐちゃの迷宮を進み、階段を見つける。次は六階。ここが最も危険な階となる。
「魔女は最上階の七階に住んでおります」
長老の言葉を思い出す。
「いつも運び手が使い魔に注意されることがあります。六階にいる番人、キメラの『ゾーラ』に注意しろ、と。ゾーラは最強の番人であり、塔の中で最も冷酷な化け物でもあるのです。その顔を見ただけで、人を石に変えてしまう力があります。それと、奇妙な謎掛けをしてきます。正解を答えられれば見逃してもらえますが、間違うと……やはり石にされてしまいます」
……どうすればいいの? と私は訊いた。
「無視してください。受け答えもせず、その顔も見ずに、ひたすら七階を目指すのです。ゾーラに気を取られてはなりませぬじゃ」
六階へと上がる。
これまでの入り組んだ作りとは打って変わって、きちんと石壁によって仕切られている綺麗な通路。おそらく、この階からは魔女の居住空間ということなのだろう。
試しに近くにあった扉を一つ開けてみる。綺麗に掃除されている物置のようだった。
食料を置いておく棚には何もない。
私は細心の注意を払って歩を進めた。
とにかく、ゾーラに出会わぬように。もし出会ったらすぐさま走り出せるように。
「……階段だ」と私は思わず口に出して言った。
呆気なく、ゾーラに出会うこともなく、七階へと上がる階段へたどり着いてしまった。
後ろを振り返り、左右を確認する。罠ではない。何者かが襲いかかってきそうな、うなじが逆立つような殺気も周囲からは感じられない。
……なら、チャンスってことよね。
私は意を決して階段に足をかける。ゆっくりと踏みしめるように上っていく。
階段の先には扉がひとつ。小さな看板が付けられていた。
『魔女エウリアーレンの実験室。営業時間九時~五時。無断立ち入り禁止』
誰に対する掲示なのか分からないが、とにかく目的の場所であることは確かなようだ。
私はドアノブをそっと回してみる。鍵は掛かっていなかった。そのままゆっくりと扉を押し開けてみる。
なにかいる。人間の姿ではない。
――キメラ! ゾーラか!
開けてしまったドア。後ろに隠れるところはない。
私は咄嗟に実験室へ飛び込むと、目の前に合った戸棚の横へ滑り込むようにして身を潜ませた。
床に散らばっている実験器具のようなものが激しい音を立てた。
キメラがゆっくりと振り向く気配を感じる。
「ワタシを倒しにきたのか? 人間よ」
戸棚に隠れたまま、私は黙秘を貫いた。ゾーラを相手にしてはいけない。長老のありがたい言葉が脳裏をかすめる。
薄暗がりの実験室。その暗さに目が慣れてくると、その広さに驚かされる。
おそらく、これまでのような迷宮ではなく、壁をすべて取っ払った空間なのだろう。
そして、至るところに人形の石像があることに気付く。
……いや、石像じゃない。石化した人間だ。
自分の狭い視界で確認しただけでも六体。おそらく部屋の中にはさらに多くの石像があるに違いない。
「なぜ町人は来ぬ? 冒険者やら傭兵やら、ワタシを目の
……なるほど。ですのじゃ長老のやつ、ビップ待遇で送り込んだ人間は私だけじゃないってことね。
通りかかった冒険者を片っ端から歓待して、この塔に送り込んでるってことか。まんまと乗せられたお調子者が私だけじゃないってのは嬉しいやら悲しいやら。
「……お主も長老に乗せられたクチかえ?」とゾーラが
……悔しいけど、正解。
「このまま大人しく引き下がるなら良し。何もせずに返してやろう。帰って長老に伝えるがいい。すでに魔女はいない、とな」
……魔女はいない、と私は心の中で繰り返す。
長老に無視しろって言われたけど、どうにも引っかかる言い方。私は我慢できずに口を開く。しょうがないよね、女子だもん。おしゃべり好きなのは本能なのよ。
「魔女はいないって、なに? どこかへ行ってしまったということ?」
「言葉通りの意味だ。魔女はすでにいない」
「アナタの好きな謎掛けってやつ?」
「そうだな」とゾーラは笑う。「確かにゾーラは謎掛けが好きだった。忘れていたよ」
……まるで他人事。なんだろう、うなじがじりじりする。
考えろユカ。この状況は、何かがおかしい。
六階の番人であるはずのゾーラが七階にいる。七階には魔女がいない。石化した人間の群れ。
実験場を冷静に観察する。争った形跡はほとんどない。床に散乱している実験器具は、ただ散らかっているだけで、壊れているものはほとんどなかった。
戦う前に石化している。
魔女エウリアーレンの容貌について長老から聞いたことが、ふと思い出される。
それは単に酒の席での笑い話だった。だが、なぜかその話がこの状況に霞のように重なってくる感覚。
なんだか嫌な予感しかしない、と思った。
「名はなんと申す?」とゾーラが言った。
ゾーラの声は同じ場所から聞こえてくる。動いている気配はない。
「ユカ」と私は短く言う。
「それではユカ。ワタシの謎掛けに答えられたら、お主の質問になんでも答えよう」とゾーラが言う。
「もし謎掛けに答えられなかったら?」
「逃げる機会を自ら放棄したのだ。この場で石となり、永劫の時を石像として過ごすがよい」
……呪いの発動ってやつね。
この世界にある『呪い』は、術者の一方的な呪術行使だけでは成立しない。呪いを受ける側にも対価を用意し、それを受諾させてはじめて効力を発揮する。
受諾させる方法はなんでもいい。契約書にサインでも、
「……受けるわ」と物陰から私は言った。
「よろしい」
ゾーラが
「それでは問うぞ、ユカよ」
私は聞き漏らすまいと聴覚に神経を集中させる。
「ワタシの瞳は何色であるか?」
……イヤラシイ質問するわね、と私は思わず舌打ちしそうになる。
だが、その質問は、そのまま自分が考えていた推論を裏打ちする結果ともなった。
「運び手は、魔女の姿を一度も見たことがない。見ることを許されていないのですじゃ」と長老が言っていた。「だが、ただ一人、宿屋の娘が運び手として訪れた際、
……へえ。どんな人なの?
「それが」と長老が声を絞って、誰にも聞かれぬよう耳元で囁いた。「それが、おそろしく醜い顔をしていなさったそうですじゃ……」
……ぐちゃぐちゃね、と思った。
私は決して開かないと決意して、
「どうした? 答えられぬか?」とゾーラの声がする。
「正解は」と私は目をつむったまま物陰から姿をさらす。「正解は、何色でもない……でしょ」
右手に握っている魔法の剣も、だらりと下げたまま。構えるつもりもない。
そして予想通り、姿を晒しているにも関わらず、ゾーラが攻撃をしかけてくる気配はまったくなかった。
……いや、ゾーラじゃないか。
「アナタ、ゾーラと自分を合成したわね」と私は目をつむったまま言った。
「……正解だ。勇敢なる者、ユカ」と声の主は言った。
「視力と引き換えに、ゾーラの持つすべての能力を手に入れた。人間では及びもつかない生命力と、姿を見た者を無条件で石化させる力。さらには姿を見られなくても呪いによって石化させる力……つまり誰にも見られることなく過ごす力を」
「……その通りだ、勇者よ」
「だから、アナタは自分から攻撃ができない。いや、そもそも攻撃をする必要もないってわけね。アナタを狙おうとしたら、誰であれ石になっちゃうんだから」
「なぜ分かった。ワタシの目が見えぬことを」
「見た者を石化させる力があるなら、積極的に自分からこっちへ来ればいい。なのに、アナタは一向に動こうとしない。そもそも、この部屋では争った形跡すらないのに、石像と化した人間が大勢いる。そこから考えられるのは、不用意にアナタの姿を見たか、アナタの『呪い』によって石化したかの、どちらかでしかない」
「美しい娘は頭が悪い」と声が言う。「だが、お主は可愛い顔立ちに似合わず、頭も働くようだな。助手に欲しいくらいぞよ」
「おだてないで」と私は目をつむったまま笑う。「まんまと担ぎ上げられて、こんなところで、こんな危険な目に合ってるんだから。いま褒められたら思わず目を開けちゃいそうになるじゃない」
魔女とゾーラの
「ワタシは『影』の囁きに屈した、哀れな魔法使いよ。意識のワタシ、無意識の『影』、そのバランスが崩れてしまった。倫理のワタシは、欲望の『影』に飲まれてしまったのだ」
「アナタが研究していた永遠の命とやらは手に入ったの?」
「半分は成功で、半分は失敗さね」と
私は黙っていた。
「ワタシの決断は間違っていたのだろうか?」とキメラが言う。
「それは謎掛け?」と私が訊いた。
「いいや」とキメラが笑う。「自分の行いが悪いことだったかどうかを知りたいだけさね」
「悪くはないと思うわよ。世の中、多様性の時代らしいからね。好きなことをすればいいんじゃない? タトゥーを彫るのだって、ピアスを開けるのだって、キメラになるのだって、たぶん個人の自由だよ。他人に迷惑かけなきゃね」
「ああ……そうだな」とキメラは吐息のような唸り声を吐く。「門は再び閉じておく。町の者にもそう伝えておくがよい」
「どうして門の封印を解いていたの?」
「ワタシと『影』による自己矛盾さね」とキメラは続ける。「きっと、誰かに見てもらいたかったのだ。今のワタシを……。この選択を肯定してもらえる誰かを」
「困った魔女ね」と私は頭を掻く。「石化しないのなら幾らでもファッションチェックくらいしてあげたのに、今じゃもう見れないじゃない」
「そうだな」とキメラが笑った。「勇者ユカ、お主も自分の『影』に気を付けるがいい。『影』は敵でも味方でもないが、自己のバランスが崩れるときに、その力を凶悪に振るう時がある」
「でも、それだって、悪いことばかりじゃない」と私は言った。「永遠の命の研究だって、とりあえずは結果は出た。それに――」
「それに?」
「私はミルクティーが嫌いじゃない」
そう言うと、キメラは楽しそうに笑った。
ぐちゃぐちゃ迷宮 永庵呂季 @eian_roki
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