後天性突発的性転換症候群C型
鈴木怜
後天性突発的性転換症候群C型
長い坂を登った先に、その病院はあった。
「記者さんですね、私はこの病院の院長です」
出迎えてくれたのは、死んだ魚の目をした若い男だった。
お疲れでしょう、とよく冷えた水を私にくれた。ありがたかった。
「山の上にありますからね、患者のこともありますから軽率に訪れないような場所を選んだので当たり前なのですが」
そう言って、院長は笑った。
「うちの患者に用があるそうで」
「はい」
にわかには信じられない病を発症したという話を聞いたことを私は話した。
「後天性突発的性転換症候群、だそうですね」
「……そこまで調べておられるとは」
『それ』が、今日の目的だった。
「生まれてから数十年後に、性別が変わると聞きました」
「それ以上は?」
「ほとんど分かりませんでしたよ。発症例が少な過ぎてまともなデータがないらしいですね」
「ええ。存在そのものを怪しむ者すらいるほどです」
院長の目が、心なしか細くなったような気がした。
「その患者を見たい、と」
「はい」
「なぜ?」
「こう言うのはきっと、私のエゴなんでしょうが……」
そこまで語って、私は口をつぐんだ。言葉選びは大切だ。この場においては、もっと大きなものすら左右しかねない。
それでも、私は正直に話さなければいけなかった。
「その病気が何なのか、知りたくて、です」
「私利私欲もいいとこですね……」
呆れたような院長の声がした。
「……でもまあ、欲丸出しなのは嫌いじゃないんですよ、私は。いいでしょう、ついてきてください」
_____
「患者は隔離しています。他の人間とそんなに会いたくないようでして」
病院を一度出て、道なき道を行く。
院長に連れられて、私は歩いた。
「ここですよ」
着いたのは、ぱっと見ただけではただの平屋にしか見えない建物だった。
「患者の病名ですがね、後天性突発的性転換症候群C型というものなんですよ」
「C型、ですか」
扉を開け、廊下を進みながら院長が私に説明する。
「ええ。体の細胞という細胞をミキサーにかけるみたいにぐちゃぐちゃにして、そこから体が少しずつ成形されていくんです」
この部屋ですよ、と院長は扉を開けた。
布団も被らずベッドに横たわる人がいた。
「この方が、そうなんですか」
「ええ」
私は驚いた。あまりに均整のとれた体だったからだ。
そこらの芸能人とだって戦える、そんな外見だった。
「どうしたのせんせえ。はやくころしてっていってるじゃん」
透き通るような声だった。
だからか、言っていることとの落差にも驚いた。
「悪いね。君にはもう少し生きていて欲しいんだ」
「そのひとは」
「ちょっと君に聞きたいことがあるそうだよ」
「やるならはやくして。こんなからだじゃまともにはなせないんだから」
院長が、私に向き直った。
「どうぞ」
なんて声をかければいいのか分からなかった。
だから、来る前に決めておいたことを聞こう。
「あなたの覚えている限りでいいです。何が、あったんですか?」
沈黙が流れる。
「……………………………………………………わからない。いたかったことしかおぼえてない」
その言葉に嘘偽りがまじっているような感じはしなかった。
「ごめんもうむりきょうはあきらめて」
「だそうです。悪いね、また来るよ」
_____
もとの病院に戻りながら、院長が語ってくれた。
「今の患者は、神経もぐちゃぐちゃになっているんですよ。だから、感覚が壊れているんです。背中で話して、目で食べて、手で立って、足で眠る。ほとんど分からないでしょう? 私もです。だから、どうすればいいのか私にも分からない。データをとるために生きてもらってるんですよ」
帰り道、私は今日のことをどう扱えばいいのか分かりかねていた。
後天性突発的性転換症候群C型 鈴木怜 @Day_of_Pleasure
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