第114話 旅立ち ~鴇汰 2~

 いつか修治が鴇汰に『麻乃を構いたいなら納得するだけの度量を持て』といったことを思い出した。

 修治がレイファーに納得したということか?


「あ……あんたら……本当に麻乃を行かせるつもりなのか? そんなに薄情なやつらだとは思わなかった!」


「薄情って、あんた……麻乃の幸せを考えてのことじゃない。なんの問題があるってのよ?」


「ちがーーーう!!!」


 どうにもならない感情が湧いて、ワーッと鴇汰は頭を掻きむしって叫び、机をたたいた。


「麻乃を幸せにするのはあの野郎じゃあなくて、この俺だ!」


 徳丸や巧、梁瀬も岱胡も、穂高までもがニヤケた顔で鴇汰をみている。

 なにがそんなに面白いというのか。

 鴇汰は至って真剣なのに。


「そんで、麻乃はどこにいるのよ? あんたらが止めないんだったら、俺が止める!」


「ああ、麻乃は北浜だ。九時にはレイファーの船で出航するって話しだったな」


「九時……って今日のかよ!」


 会議室に掛かっている壁掛け時計をみた。

 もう八時になろうとしている。

 この中央から北浜まで、車をすっ飛ばせば二時間切れると思うけれど、それでも出航には間に合わない。


 間に合わないからと言って、ここでぼんやりしているわけにはいかない。

 出航しているっていうのなら、ボートで追いかけてでも、必ず追いついてみせる。


「――岱胡! おまえも来い!」


「えっ? 俺?」


 鴇汰は岱胡を呼んで会議室を飛び出した。

 軍部の廊下を全力で走り、おもてに出ると車の運転席に乗り込んだ。

 岱胡を急かして助手席に乗ったのを確認すると、アクセルを踏み込んで北浜へ向かう。


「ちょっ……鴇汰さん、スピード出しすぎっスよ!」


「一秒でも早く着かなきゃなんねーだろ! 舌噛むから黙ってろ!」


 事故るわけにはいかないけれど、スピードも落とせない。

 必死にハンドルをさばく鴇汰の横で、岱胡がギャーギャー声をあげている。

 ひょっとすると、岱胡じゃあなくて梁瀬を連れてきたほうが良かっただろうか?


「ギャンギャン騒ぐな! 事故ったりしねーから黙って座ってろって!」


「だってこれじゃあ……梁瀬さんよりヒドイいっスよ!」


 北浜までの道は、もうすっかり片づけられていて、今はまだほかに通る車もない。

 それにしても、まさかこんなことになるなんて、考えてもみなかった。

 泉翔にいられないなんて、本気で思ったんだろうか?


 仮に思ったとして、みんなが止めようとしないのが納得いかない。

 ここにいる岱胡もそうだけれど、穂高まで止めようとしないなんて。


 修治だってそうだ。

 レイファーの野郎に度量があるだって?

 麻乃に近づく男どもには鴇汰のことも含めて、ずっとけん制し続けてきたくせに……。


 だいたい、麻乃も麻乃だ。

 眠ったままだった自分も悪いとはいえ、黙ってジャセンベルなんかに行こうとするなんて。

 しかもレイファーと。


 結局、話しの続きだってできていないままじゃあないか。

 苛立つ思いを押さえようと、ゆっくり呼吸を繰り返す。


(あのとき……父さんが起こしてくれなかったら、今ごろまだ夢の中で……)


 もう少し早ければ、とは思うけれど、夢の中から離れがたかったのは、鴇汰自身だ。

 あのままだったら完全に間に合わなかったと思えば、起こされたことをありがたいと思える。


 山なりのカーブを何度か曲がったところで、向かいから来たトラックと、かなりギリギリのところですれ違った。

 岱胡が強烈な悲鳴を上げて、思わず吹き出してしまった。


「ちょっと! 笑いごとじゃあないッスよ! 少しはスピード落としてくださいって!」


 岱胡の足がブレーキを踏むように突っ張っていて、それもまた妙に笑える。


「あと少しだろ。我慢してろよ」


 ハンドルを捌きながら、詰所を通りすぎたのを確認した。

 時計に目を向けると、もう十時になろうとしていて、思わず舌打ちをした。

 一時間も過ぎていたら、船はどこまで進んでいるんだろうか。


「もう絶対に間に合いませんって~! 人間、諦めも肝心ッスよ~」


 半泣きの岱胡がそういう。

 いつものように頭を引っぱたいてやりたいところだけれど、今はそんな余裕もない。


「簡単に諦められねーこともあるだろうが! 喰らいつきゃあどうにかなるもんなのよ!」


 堤防の脇から浜へ乗り入れて桟橋の前で急ブレーキを踏んだ。

 車から降りると、水平線にまだ船団の姿が確認できた。


「まだ見える! このまま追いかけるぞ!」


「追いかけるって……どうするってんスか!」


 誰かが使ったのか、繋がれたままのボートに飛び乗り、エンジンをかけた。


「かかった! なにしてんのよ? 早く乗れって!」


 フラフラした足取りで駆けてきた岱胡が飛び込むようにボートに乗ったのを確認してから、船団を追って浜を離れた。

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