第107話 謀反 ~梁瀬 1~

 サムの答えに梁瀬はホッと溜息をついた。

 さすがに一国の軍を担う軍師は、決断が早くて助かる。

 梁瀬のいる場所からヘイトとジャセンベルの国境付近は遠い。

 今はその距離さえも問題に感じないとは言え、早く動くに越したことはない。


「解きかたはともかくとして、手が足りないかもしれないんだよね。あと一人、手がほしい。できれば相応の力を持った人がいいんだけど……」


「一人? それなら私が……」


「なにを言ってるの? キミの国のことなんだから、キミが頭数に入ってるのは当然でしょ。僕らのほかにもう一人、足りないんだよ。クロムさんは泉翔へ発ってしまったし……」


「今さらなにを……それじゃあ解きかたがわかったところで手が出せないじゃないですか」


「案ずるな。その一人はワシが引き受けよう」


 梁瀬の背後でハンスが言った。


「クロムやおまえさんたちにも及ばぬやもしれぬが、おらぬよりマシであろう? それに、そこいらの若いやつにはまだまだ負けぬわ」


「それはそうでしょうけど……」


 正直なところ、暗示を解くためにどれほどの力が消費されるのか、誰の力がどれだけ引き出されるか、まったくわからない。


 梁瀬もサムもまだ若いし現役だ。

 それに対してハンスは力量よりもまずその歳だ。

 消耗も梁瀬たちとは比べものにならないくらい激しいかもしれない。

 サムもそれがわかっているのか、黙ったままだ。


「時間が惜しい、とっととかかろう。梁瀬、早く先へ進めなさい」


「でも、不確かな要素が多すぎるんですよ? またハンスさんになにかあったら、僕は……僕のほうこそ母に顔向けできません」


「今は議論などしている暇はないだろう。チャンスと可能性が目の前にあるのだぞ。有効に使わずになんとする」


 言わんとすることは理解できる。

 ジャセンベルが動きだしてからでは遅いのだから。


「……梁瀬さん、私からも頼みます。手があるのなら、爺さまが良しというのなら、今はどうか……私はどうあっても仲間を取り戻したいのです」


 常に喧嘩腰で身構えていたサムが、自分を「梁瀬さん」と呼んだことに驚いた。

 そしてその真剣な口調が、どれほど仲間の兵たちを大切に考えているのかを感じさせる。

 逆の立場なら、梁瀬も土下座をしてでもサムに頼み込んでいただろう。


「わかった。やろう。キミ……いや、サムのいる所は国境沿いに近い?」


「ここですか? 少し反れますね。ここより南のジャセンベル領に近いあたりに陣が引かれています」


「そう……ヘイトの部隊は、単体で? それとも庸儀やロマジェリカが一緒に?」


 梁瀬の問いに、サムが黙った。

 式神を通して拾える音が、なにやら近くのものたちと話しているのをうかがわせる。


「ヘイトのみ、です。ロマジェリカと庸儀の部隊は、さらに東へ進んだジャセンベル領との国境沿いにいます」


「それじゃあ、僕らの動きは邪魔される心配もなさそうだね。わかった。今から十分後にそっちに行く、すぐに出かける準備をしておいて」


「十分?」


 サムはなにかを言い返そうとして思い直したのか、息を飲む音が大きく聞こえた。


「わかりました。必要なものは?」


「ない」


「では後ほど」


 サムの最後の言葉になにも返さず、式神を引き上げた。

 どうせすぐに顔を合わせるのだから、いつまでも返事のやり取りは必要ない。

 クロムにもらった手帳を片手に、梁瀬は泉翔から持ってきた術の本を出すと、いくつかの術式を書き出していった。


 自分で試して使えると判断したもの、梁瀬には使い難かったものを選び、最後に別の紙へ通常の暗示を解く術式と、おかしな暗示を解く術式を書き加えた。


 サムはきっと泉翔の術は使えないだろう。

 この本ごと渡してしまえば、ちょうどいい。

 なかなかの使い手のようだ。

 これらを身につけることがサムにならできるような気がした。


 ハンスが出かける支度を終える頃ころに、本も完成した。

 洞窟から出ると、梁瀬は大きく杖を振って鳥の式神を出す。

 巧と穂高を助けに行ったときに出したものと同じだ。

 梁瀬の隣で目を見張っているハンスを促し、式神に繋いだロープをしっかりと体に結び付けた。

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