第96話 交差 ~梁瀬 3~

「ハンスさんがずいぶんと心配していたからね。それから、キミのご両親も……うまく進んでいることを報せておこう」


「もう一羽はどこへやったんです?」


 いつの間にか隣に立ち、梁瀬と同じく空を仰いだ穂高がクロムに問いかけた。


「ロマジェリカだよ。今の状況を知っておいたほうがいいだろう? 鴇汰くんを泉翔へ戻すためにも必要だからね」


「そうか……そのときは俺たち、どうしたらいいんですか?」


「私はあさってには鴇汰くんと先に泉翔へ向かうつもりだ。穂高くんたちは、打合せ通りにことが運ぶまでここを使いなさい。食料も十分に用意したから」


「……わかりました」


 穂高がもらした溜息には、様々な感情が混じっているようだ。

 泉翔のことも、きっと奥さんや鴇汰、自らが置かれる立ち位置のすべてが、穂高を悩ませているに違いない。


 巧も徳丸も、家族を持っているから穂高の気持ちが良くわかるらしい。

 梁瀬は独りであるぶん、みんなよりは身軽だ。

 両親も老いたとは言え、油断のならない人たちだ。

 心配は要らない。


 繰り返し続けるうちに、ようやく安定して音が拾えるようになった。

 景色のブレも、心なしか薄らいだ気もする。


「今までで大分、感覚は捉えただろう? あとは回数を重ねて慣れること。疲労が重なってしまうだろうけれど……」


「大丈夫です。こんな程度……睡眠さえ取れればどうにでもなります」


 鼻で大きく息を吸い込み、意気込んでまた続けた。

 力み過ぎたせいか、杖先から飛び出したのは丸々と太った大きなツバメで、その身の重さに飛ぶ勢いも弱い。

 見ていたクロムが大きな笑い声を上げ、巧たちも吹き出した。


 バツが悪くていったん引っ込めてから、息を整えて改めて仕切り直す。

 数回、肩を上下させて解してから軽く咳払いをし、上げかけた腕をクロムに掴まれた。


「休息を取ることも重要だよ」


「いえ、まだ平気……」


 クラリと目眩を起こし、腰が砕けた。


「言わんことじゃない。少しは休みなさい。疲れが取れるようにと思って食後のデザートも用意してあるし、私も、もう少し薬湯を作り置きしたいしね」


 梁瀬は仕方なくうなずき、巧と穂高に肩を借りて立ち上がった。

 徳丸が手にしていた薬草の入った籠を受け取ると、クロムはそのまま小屋へ戻っていき、ドアを開けた。

 その途端、クロムの足が止まり、微かに鴇汰の声が外へもれ届いた。


『……なんだよ?』


「いや、起きているとは思わなかったな」


『急に腹が減って。いい匂いがしたからなにかあるかと思ったらなにもねーし……叔父貴、もう晩飯済ませたのかよ?』


「キミが起きてくるとは思わなかったから、少しばかり早目に済ませたよ」


 クロムが止まれと言わんばかりに、後ろ手にこちらを制してドアを閉じた。

 梁瀬たちの部屋がある方向へ回ると勝手口がある。

 そこから中へ入り、ホッと一息ついた途端、鴇汰の怒声が響いた。


『いきなりなにすんだよ! あぶねーだろ!』


 なにが起きたのかわからず、固唾を飲んで気配を殺し、梁瀬たちは聞き耳を立てた。

 クロムと鴇汰がなにかを話しているらしいのが聞こえるだけで、問題が起こった様子はない。

 穂高がクスリと笑う。


「なんて言うか……もうすっかり元気を取り戻してるみたいだな、鴇汰」


「あれだけ大声を出せりゃあ、十分だろう」


「そうね、お腹が空いて食欲が出れば、食べたぶん、体力も戻るものね」


 三人のやり取りを聞きながら梁瀬はベッドに横になった。

 疲れているせいか甘いものを食べたい。


(クロムさんが用意してたっていうデザート……食べそびれちゃったな……)


 布団の柔らかさに体じゅうを包まれ、眠気が一気に襲ってくる。


(シャワーも明日の朝で良いか……起きたらすぐ、さっきの続きもしなければ……)


 先に寝るよ、そう言ったつもりだったけれど、耳に届いたのはモゴモゴという唸り声だけで、梁瀬はそのまま眠りに落ちた。


 どのくらい時間が過ぎたのだろう?


 眠気で目が開かないけれど、まだ話し声が聞こえる。

 みんな起きているのは、そんなに時間が経っていないからなのか、それとももう朝なのか。


「あの子がそんな……」


「ええ。間違いはないでしょうね」


「できるだけ早いうちに遠ざけておいたほうがいい。そして早く身を固めさせて落ち着かせれば……」


「でも……が…………ですから……」


 聞こえてくるのは巧や徳丸の声じゃない。

 話しの内容もなにか変だ。

 どこかで聞いたことがあるような、なにかを思い出しそうな、そんな思いに駆られてハッと目が覚めた。


 跳ねるように起き上り周囲を見渡す。

 隣のベッドでは穂高がぐっすり眠っているし、その向こうには巧、反対側の隣には徳丸が、それぞれ眠っていた。


「夢……か」

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