第54話 修治 ~修治 4~

 いつまでも刀を抜かずにかわすだけに徹している修治に対して、麻乃がさらに苛立ちを募らせたように感じた。


「俺たちは今回は別の国に渡ったんだ。大陸じゃあ、おまえと顔を合わすこともなかっただろうが! 鴇汰以外の誰がロマジェリカにいたっていうんだ!」


 鴇汰の名前を出した途端に、またグンと麻乃のスピードが上がった。

 これまで以上に殺気が強まり、避け切れなかった夜光の切っ先が左肩をかすめた。


「――つっ!」


「ロマジェリカじゃない……」


 麻乃が小さく呟いた。


「ジャセンベルにいたじゃあないか。あんたたち全員、部隊を引き連れて……鴇汰こそがあたしを……」


 肩口で構え直し、喉もとを狙って突きかかってきた夜光を、抜いた刀で右へと弾いた。

 勢い余ってバランスを崩した麻乃は、辛うじて倒れずに踏みとどまった。

 修治を睨む視線が痛いほど強い。


 それよりも――。


 ジャセンベルに全員が、部隊をも連れていたと麻乃は言う。

 当然、心当たりなどありはしない。

 麻乃をさらった相手は術師だと聞いている。


 恐らく、なにか暗示にかけられてありもしないものを見せられたのだろうとは予想がつく。

 けれどその中身がわからない。鴇汰が一体なにをしたというのか。


(間違いを正す……麻乃はそう言った)


 必死に頭を働かせて行き着いた先は、かつて泉翔を崩壊寸前まで追い込んだ古い文献の内容だった。

 もしも麻乃がいうジャセンベルでの出来事が、泉翔の大陸侵攻だとしたら……?


 麻乃以外の全員が、敵方に回り、禁忌を犯しているのを目の当たりにしたのならば、戦士だからという理由で洸にまで手を出そうとしたのも納得が行く。


(ロマジェリカの軍師……とんでもない暗示をかけてくれやがったな……)


 大陸で、小競り合いが繰り返されている国境沿いにでも連れていかれたのだろう。どんな術かはわからないが、さも泉翔人が暴れ回っているかのように見させ、あとは言葉巧みに疑念を抱かせて不安をあおり、不信感を募らせた……。

 きっとそうに違いない。


 そんな場面に遭遇して麻乃が平静でいられるはずがない。

 当然止めるべく飛び出して夜光を抜き、さらに深みにまったか……。


 それでも、ハッキリと確かめようともしないで、ロマジェリカの軍師がいうことを鵜呑みにしているのはなぜなのだろうか。


『鴇汰こそがあたしを……』


 鴇汰がなにかの鍵を握っているのか、それとも一人でここまでわざわざやって来て、対峙している自分自身になにかあるのか。


「……おまえ、本当はここへなにをしに来やがった?」


「なにをしに……? あたしはやり残したことを片づけに来たんだ」


「だからそれがなんなのか聞いてるんだ!」


 ダラリと夜光を下げたままだと言うのに、まるで隙が見当たらない。

 麻乃はそのまま大銀杏のそばまで行くと、左手で撫でるようにその幹に触れた。


「あの日……仕損じたのが失敗だったんだ……ちゃんと殺しておけば……そうすればあの日、あたしはきっと誰か大人の手で……」


 ――仕損じた。


 その言葉に心臓を握りつぶされたような痛みが走った。

 知られているはずがない。

 覚えているはずがない。

 頭の中で、必死に否定をする思いを打ち砕くように麻乃の言葉が続いた。


「身内をも見境なく殺すようなことになれば、誰も黙っちゃいなかった。きっとあたしはその場で殺されていたに違いない。誰もがそれでホッとしたに決まってるんだ」


「おまえ、まさか……」


「あのとき、修治を殺し損ねたのが失敗だったんだよ。だからあたしは、今日こそそれを果たしに来た。やり直すんだ。あのときを、最初から!」


 振り返った麻乃は振り絞るような声でそう叫んだ。

 気を張っていないと足もとから力が抜けて崩れ落ちそうなほど、体が震えているのがわかる。


 絶対に思い出させたくなかったことなのに、なぜ、いつ思い出したというのか。

 麻乃がいつも修治になにか隠している様子だったのは、このことだったのか。


「いつ……一体、いつ思い出したんだ……」


「別にいつだって構わないじゃないか」


「なんでそれを俺に言わなかった! どうして今まで黙ってたんだ!」


「言えるわけがないじゃないか! 言ってなにが変わるんだ! あたしが修治を殺そうとした事実はなにも変わらないじゃないか!」


 興奮して息を荒げた麻乃は一気に言いきった。

 最後の言葉が、もう、この先はどうにもならないんだという絶望を感じさせた。


「忘れちゃいないだろうな、って……忘れるわけがないじゃあないか。だからあたしはいつも抑えてきたのに……覚醒してまた誰かを……修治を傷つけるようなことがあったら……そう思って必死に抑えてきたのに!」

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