第9話 安息 ~マドル 9~
部屋の中は静かなままに食事が進んだ。
食事と言っても泉翔でのそれとは違い、わずかなスープとパン、魚、あるいは肉だけで、とても満腹感が得られるようなものではない。
麻乃の表情を確認すると特に不満もなさそうだ。
時折、女官と話しをしながら穏やかな笑みを浮かべることもある。
あんなにも豊富な食卓から、こんな質素な食事を目の前にして平然としているのが不思議だ。
それでも、仏頂面でいられるよりは笑っていてくれるほうが気分がいい。
話しをいている声のトーンと女官の笑い声を聞いて、さっき見た夢はこのせいじゃあないかと思った。
この城で暮らして、マドルの行動範囲の中で女性の笑い声が聞こえてくることなど、皆無に近い。
それがこんな近距離で常に耳に届くのであれば、忘れていた記憶が呼び覚まされても不思議ではないだろう。
二人の様子を眺めていて、ふと部屋中にあった花がずいぶんと減っていることに気づいた。
「そう言えば……今夜もまた出かけられるんですか?」
「今夜も?」
「毎夜、墓前に出られていると伺っています」
「あぁ……いや、今日はもう済ませた。夜に出歩くことはしない。と言ってもあたしがここにいるのも、今夜を含めて二晩だけだけれどね」
「そうですか」
昨夜の件があったせいだろうか、女官を気遣っているのがわかる。
空いた皿を片付けている女官は、麻乃がロマジェリカを離れるのを名残り惜しんでいるように感じる。
もしもこんなにも大陸が荒れ果てた土地ではなく、泉翔のように豊かであったなら、こんな穏やかな時間が毎日ずっと続いていたのかもしれない。
泉翔で見たのと同じようにテーブルに色とりどりの食事が並び、いたはずの人の姿もあったかもしれない――。
そんな感傷が湧いてくるのも、さっきの夢のせいだろう。
「あたしは特になんの準備も必要ないけれど、あなたはなにかと忙しいんじゃないのか?」
「ええ。明日の夜にここを発つまでに、しておかなければならないことが……貴女をここの兵たちと引き合わせておかなければいけませんし」
「そんなのは必要ない……というわけにも行かないだろうから、いつでも適当なときに呼んでくれて構わない」
「わかりました。では、そうさせていただきます」
ちょうど女官が片づけのために部屋を出ていくのに合わせて席を立った。
麻乃はまた窓際のソファに腰を落ち着けている。
「今夜は少しやり残したことを終わらせてこなければなりませんが……また明日の朝、こちらに伺います」
「好きにすればいい。あなたがどこで過ごそうと自由なんだから」
素っ気ない物言いに思わず苦笑して部屋を後にした。
その言葉とは裏腹に、口調には温かさを感じたからだ。
つい緩む表情を必死にこらえ、そのまま軍部に向かった。
側近たちとともに出航後のことを打ち合わせ、ジャセンベルが動きやすいように兵の配備をさせた。
マドルの部屋にあるものは必要と思えるものだけを鞄に詰めて荷造りをし、残りすべてを焼き捨てた。
ここに残していくものなどなにもなくていい。
ここから先はすべて自分の手で作り出すものだけで十分だ。
不安そうにしていた兵には、なんの心配もしないようにと促し、暗示をかけて出兵させた。
ジャセンベルが攻め入ってきたときには、打ち崩すことなどできずとも、少しの手応えを感じさせることはできるだろう。
「マドルさま、皇帝ですが……すっかり気分を良くされたようで、未だに泉翔へ持ち込む荷物の選別に勤しんでいるようです」
「何人かで時折、様子を見にいっているのですが、そのたびに泉翔へ渡った際の夢物語を聞かされています」
側近は辟易した様子で皇帝の様子を語った。
マドルが尋ねたときにみた様子と寸分変わらないように思え、その情景が目に浮かぶようだ。
「面倒なこととは思いますが、あと一日だけですので目を離さないようにお願いします」
「わかりました。それから……庸儀からも連絡が入っています。ジェさまがずいぶんとご立腹のようです」
ジェの名前が出ると気が萎える。
あさっての朝にはまた、顔を合わせることになるのかと思うとうんざりだ。
「ですが、庸儀に詰めているものが上手く執り成し、今はジャセンベルとの国境沿いとヘイトに出かけていることにしてあるそうです」
「それは助かりますね。では私のほうでもそのつもりで、うまく話しを合わせるようにします」
「取り急ぎ、当日までにお伝えしておくべきことはこの辺りでしょうか」
うなずいて応え、側近たちを下がらせようとして、一つ聞き忘れていることがあったのを思い出した。
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