第162話 陰陽 ~修治 5~

 さっきの客人もそうだ。

 多香子が知っていれば、修治が向かう前に来客があると言ってくる。

 それに、お茶の出された形跡もない。


 その割に、外に漏れ聞こえてきた笑い声は親密さを感じさせた。

 姿を見たことがあるふうなのも気になる。


「先生、さっきのかたはどなたですか? どうも以前、どこかで会っている気がするんですが」


「彼は私の古い友人だ。おまえは会ったことはないはずだぞ」


「そうですか……」


 記憶違いだろうか?

 それとも、単に似た人間を見たことがあるだけなのか。


「西区に用があって寄ってくれてな。これから笠原さんの道場へ向かうそうだ」


「一体どういうかたなんですか?」


「彼は術師だ。いや、薬師に近いか。その繋がりで笠原さんに用があったらしい」


 話しの辻褄は合っている。

 けれどやっぱり、どこか不自然さを感じてならない。

 高田はすました顔で黙っている。


 ここでいくら聞き及んでみても、今はなにも得られそうにないことはわかった。

 襖の向こうから、塚本の呼ぶ声がした。


「どうした?」


 高田が返事をすると、襖が開いた。


「なんだ修治、もう来ていたのか……先生、今、南浜から連絡がありました。船が姿を見せたそうです」


「そうか」


「塚本先生、それで船の中は?」


「まだわからない。到着まではもう少しかかるだろうからな」


 急いで確認をしたくて立ち上がり、部屋を出ていこうとした手を塚本につかまれた。


「おまえが今から向かうより、ここで情報を待ったほうが早いだろうが」


「ですが――」


「修治、今さら焦っても仕方がないだろう? そろそろ夕飯のころだ、向こうで市原たちと食事を済ませてこい」


「……わかりました」


 体良く追い出されるような気分になったけれど、ここで逆らうとあとがまた怖い。

 仕方なしに食堂へと向かう。


「なんだ修治、もう来てたのか?」


 人の顔を見るなり、市原も塚本と同じことを言う。


「ええ、少しばかり先生に話しがあったので」


「そうか。こっちはな、今夜のために尾形さんが各道場からの報告をもらってきてくれているぞ」


「やっぱり各区でも印の出た人は多いんですか?」


「そうらしい。出ていないのは子どもやお年寄り、それに多くの女性と病人あたりのようだ」


 忙しなく房枝がおかず類を運んでいるのが目に入った。

 見るともなしに食堂の入口を見ると、多香子がおひつを数個、抱えている。


(馬鹿! そんな重いもの……)


 立ち上がってそばに行き、多香子の手からおひつを奪った。

 三段も重ねてあるとさすがに重い。


「運ぶくらいなら俺が手伝うから、おまえは無理をするな」


「だって、シュウちゃんも疲れているでしょう? 私にできるのなんて、こんなことくらいだから」


「いいから。もう食事の支度は済んだんだろう? だったらお袋と一緒に部屋で休んでいろ。あとで俺が家まで送っていく」


 奥の机から順番に並べて置き、残りを取りに調理場へ向かった。

 持てるだけ抱えて廊下を歩く後ろを、申し訳なさそうな様子で多香子が追って来た。


「でも、食べたらすぐに打ち合わせがあるんでしょう?」


「家まで行って戻るのに一時間もかかるわけじゃないんだ。先生やほかのやつらもいるから大丈夫だ。それに……」


 人が集まりつつある食堂の机に次々におひつを並べ、ついでに房枝が出してきたおかずも並べた。

 お茶のほうは市原が気を利かせて準備してくれている。

 多香子の背を押して食堂から出ると、そのまま手を引き、母屋に続く廊下を曲がった。


「いろいろと忙しくて、なにもしてやれないでいるんだ。こんなことくらいしかできない、って言うなら俺も同じだ」


 いるのがわかるとそれだけでホッとする。

 姿が見えればそばに置いておきたくなる。

 どんなにか疲れていても迎えられたときには安心感が溢れる。


 麻乃といるときも穏やかな時間はあった。

 けれどそれとは明らかに違って、多香子といると、平穏というのはこういう感覚なのかもしれないと、一生を懸けても守りたいと、強く感じる。


 自分との子がいるというのだから殊更だ。

 あと数日もすれば修治自身の先ゆきさえわからなくなる。

 それならせめて、自由に動ける間は寄り添っていたいと思った。


「お袋に言って、飯は部屋に持っていってもらうから、帰り支度をしておいてくれ。俺も食ったらすぐに戻ってくるから」


「わかった。それじゃあ、お言葉に甘えることにするわ。でも無理だけはしないでね?」


 困ったような表情で、それでも嬉しいと思っているのか、笑顔を向けてくれる。

 もう一度そっと抱き締めてから、軽く背をたたいて部屋に戻っていくのを見送った。

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