第110話 来訪者 ~岱胡 3~
辺りが暗くなり始めたころ、資料にする原本ができあがった。
覚えているかぎりを書き出したつもりだ。
途中で修治が、おかしな式神に偽の黒玉を捨てられたのは痛かったな、とつぶやいた。
そう言われるとそうだ。現物があれば上層に突きつけてやることができたのに……。
人を馬鹿にしたような面の男を思い出すと腹が立つけれど、止血をしてもらったこともあって、どこか憎みきれない。
コツコツとノックが聞こえ、岱胡がドアを開くと、見知らぬ男が立っていた。
「なんだ、幸治じゃないか。こんなところまで来てどうかしたのか?」
「うん……いや、多香子姉さん、今日もうちに泊めるからってお袋が……」
「……おまえ、そんなことでいちいちここまで来たのか?」
どうやら修治の弟らしい。
見た感じ、岱胡と同じ歳かもしれないと思う。
修治がどっしり構えて見えるせいか、弟のほうはどこか落ち着きがなさそうに見えた。
変にソワソワしているのを、修治も眉をひそめて見つめている。
「なにか話しがあるなら早く言え。俺はこのあと、資料を作らなきゃならないし、道場へも行かなきゃならないんだ」
「こんなこと……兄貴に言っても仕方ないのかもしれないんだけど……」
なにをためらっているのか、足もとに視線を落としたまま、二の腕を揉むようにしてモジモジしている。
「言いたいことがあるならハッキリ言え! おまえも今日の西浜のことは知っているだろう? 今は待っている時間も惜しいんだよ!」
痺れを切らした修治が叱るように厳しい口調で言った。
ハッとして顔をあげた修治の弟は、背中を向けると、突然上着をまくりあげてみせた。
左の脇腹近くに、三日月の印がくっきり浮かびあがっていた。
驚いて修治と顔を見合わせた。
落ち着きがなく見えたのは、このせいか――。
「俺……親父と畑仕事中に痺れっていうか痛みっていうか……そしたらこれが……親父は右肩に、亮治も俺と同じで脇腹に……」
「親父と亮治も? そいつが出たのはいつだ?」
「傷みがあったのは昨日の昼間で、気づいたのは夜だった……なぁ、兄貴、これ……一体なんなんだよ?」
修治はいつものポーズで考え込んだあと、弟に向かって問いかけた。
「お袋と多香子はどうなんだ?」
「多香子姉さんはわからないけど、お袋は出てない。これってもしかして、姉貴が帰ってこないのと関係があるのか?」
「わからない……俺だってこんなことは初めてだ……とりあえず、おまえは家に帰れ。明日にでも家に戻る時間を作る」
不安そうにしている肩をたたいて安心するよう言い含めると、修治はドアを開けて弟を送り出した。
「皇子と同じですね……」
「あぁ、なんだっていうんだ……? 尾形さんから聞いた話しじゃあ、今年の洗礼では全員が印を受けたというし……」
「マジッすか? 全員? 東区もッスか?」
「そうらしい」
東区では、鴇汰と穂高が蓮華の印を受けて以来、毎年の洗礼で二、三人、印を受けるものがいる程度だった。
ほかの区よりも圧倒的に戦士になるものが少ない区でさえも、全員が印を受けているとは……。
「その話しはあとだ。まずはこの資料を各詰所に十分にいき渡る量、作らないとな」
「そんじゃあ、詰所に急ぎましょう、十時に道場のほうへ行くんだから、あんまり時間がないッスからね」
詰所に移り、印刷機を使って資料の増刷を始めた。
二人で手分けしているぶん、思った以上にはかどる。
不意に顔をあげた修治が、殺気を感じると言って機械を止めた。
「殺気って……こんなところでッスか? 穏やかじゃないッスね」
そう言った途端、もの凄い怒声が響いた。
「修治! いるのはわかってんだヨ! さっさと出てきやがれ!」
岱胡は思わず修治を見た。
最初は上層かと思ったけれど、口調が違う。
恐らく西浜に来ていた上層は、もう中央に戻っているだろうけれど、万一のことを考えると、名前を大声で叫ばれるのはまずい。
修治と二人、あわてて部屋を飛び出すと玄関へ向かった。
「――おクマさん、それに松恵姐さんまで……一体、こんな時間にどうしたっていうんです? 今は店が忙しい時間帯でしょう?」
「店のことなんざ、どうでもいいのヨ! 修治! アンタ、これが一体どういうことなのか説明してもらおうじゃないの!」
おクマが怒り狂って詰め寄ってきたので、思わず修治の後ろに隠れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます