第100話 抑止 ~マドル 5~
「あの女にあとのことを任せようっていうんじゃないだろうね?」
「そうなる可能性はあります。なにしろ鬼神と呼ばれる存在がもう一人あらわれたのですから」
ジェは麻乃に斬られた髪が気になるのか、短くなった部分にしきりに指先を絡めながら、マドルを睨んだ。
ほかの軍将たちは、今の言葉に大きな反応を示している。
「大体の流れはそんなところでしょうか。あとはそれぞれの国で準備を進めていただきながら、私が作戦の詳細を詰めにうかがいます」
一人しかいないはずの鬼神がもう一人いる。
そのことで各国の軍将の士気があがった。
これまで幾度となく侵攻しても決して崩れることがなかった国を、今ならば落とせるかもしれない、そう感じているのだろう。
マドルにとって良いように事が進んでいる。
あとは、直前で臆したりしないように各国の軍へ顔を出した際に、そうと知られないように兵に暗示を強めにかければいい。
それでこちらの準備は万全となる――。
皇帝も庸儀の王も言い含めて大陸に残ることになっている。
マドルが大陸を離れている間、思惑通りに事が運ぶだろう。
それからのことは麻乃が泉翔を殲滅させてから考えれば十分だ。
会議を終えて軍将たちが次々に出ていくのを見送っていると、いつの間にか後ろにきていたジェが背中から手を絡め、耳もとでささやいた。
「あんたにしちゃあ珍しいじゃない? そんなにニヤケた顔をしてさ」
口もとが釣りあがっていると、そのとき、初めて気づいた。
「それはそうでしょう? あの泉翔がいよいよ落ちる……私たちの手で落とす日が近いんですから」
「ふ……ん……そうね、そのときにはあんたも私のありがたみを知ることになるわよ」
「それも良くわかっているつもりですが――」
言い終わらないうちに、ジェは絡めた腕をほどいて体を離し、マドルの背を突き飛ばしてきた。
「だったらなんだってあんな女を連れ帰ってきたんだい! あんな女よりリュを探してこなかったのはどうしてなのさ!」
「なにか勘違いされているようですね。私は連れ帰ってきたわけじゃない。拾ってきたんですよ」
ジェのほうを振り返ったところに平手が飛んできたのを、手首をつかんで防いだ。
麻乃のときには避ける間もなく打たれてしまったことを考えると、こんな行為ででも本物と偽物の差を大きく感じる。
避けられたことでジェは、ますます苛立ったようだ。
「だいいち、私が通りかかったときには、兵も貴女の側近も全滅していたんですよ? その中にリュの姿はありませんでしたし、もう一人の泉翔人も見当たらなかった……大かた、相討ちにでもなって川へ転落したのでは?」
「……川に?」
「ええ、あの川は水位も高いうえに流れも速い。しかも崖の高さも相当です。怪我でも負っていたら、まず助からないでしょう」
机の上に広げられたままになっている地図を丸めて側近に渡す。
使われた資料などの片づけも頼み、必要な資料だけを手に取ると、ジェをうながして会議室を出た。
「それより貴女も、もう戻られて軍をまとめなければならないのでは?」
「そんなことは側近の奴らがしっかりやってくれるわ。どうせすぐにここを発つんでしょう? 私はあんたと一緒に戻るからいいわよ」
側近たちでまとめることができてしまう程度の集団か……。
本当にそんな軍勢が使えるものなのか、マドルは疑問に思う。
早目に庸儀に入り、他国の兵よりも強固に暗示を施さなければならないかもしれない。
けれど今、まずは麻乃だ。
上陸予定の三カ所……麻乃がどこからの上陸を望むか、それによって各国の割り振りを決めたい。
兵はロマジェリカのそれをつけ、マドルはジェについていようと思っている。
余計な真似をされると邪魔になるからだ。
部屋の手前で麻乃の世話をしている女官とすれ違い、ジェを先に部屋へ入れてから呼び止めた。
あのあと麻乃は湯浴みと着替えを済ませ、今は眠りについているという。
食事をとっていないため、今のうちに準備をしているということだった。
とすると、あと数時間は目を覚まさないだろう。
部屋へ入って机に資料を置き、椅子に腰をおろそうとしたとき、ジェが首にすがりついてきた。
つい今しがたまで、あれほどにいきり立っていたのがすぐにこれか……。
時計に目をやると、九時を回ったところだ。
(面倒なことはさっさと済ませて、ジェには眠っていただかないと……麻乃のところはそのあとで……そのころには目を覚ましているだろう……)
ジェの背中に手を回すと強めの力で抱き締めた。
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