第98話 抑止 ~マドル 3~
本物――。
その言葉にジェは強く反応した。
「この私が偽物だとでも言いたいような口ぶりじゃないか!」
「誰もそのようなことを思ってはいませんが……貴女にはそう聞こえたのですか?」
あくまで気づいていないふうを装って素知らぬ顔をしてみせた。
この先、麻乃に下手な手出しをされないように牽制するべきか、それともジェを持ち上げて機嫌を取るべきかを考える。
臍を曲げられて泉翔侵攻に支障をきたすのも困るが、この状況で大きな顔をされるのも困る。
判断しかねていると、ジェは迎えに出た女官について城へ入ろうとしている麻乃に向かって声を張りあげた。
「待ちな!」
女官が不安そうな表情をこちらへ向けた。
女官の表情を見た麻乃は、忌々しそうに振り返ってから女官をうながし、また歩き出した。
ジェの顔がカッと赤くなり、走り出すと麻乃の肩をつかんだ。
「待ちなって言ってるんだよ!」
ほんの数十メートル走っただけで、ジェは息を弾ませている。
怒鳴り声をあげて麻乃の衣服をつかんで引き寄せると、息を飲み込んで整えてから麻乃を睨んだ。
「あんた、リュをどうした?」
「衣服があちこち裂けてしまったんだ。袖も斬られてしまってる。部屋に着替えを用意しておいてほしい」
麻乃はゆっくりと一度、瞬きをしてから、ジェの勢いに戸惑い立ち尽くしている女官に向かって言い、手で中へ戻るよう合図をしてみせた。
女官は恐る恐る返事をすると、早足で城へ戻っていった。
「服のことなんざどうでもいいんだよ! 私の問いに答えろ!」
「そんなやつのこと、あたしは知らない」
肩を揺すっていたジェの手をつかみ取り、引き離して麻乃は答えた。
強い力でつかまれたのか、ジェの表情が歪み、思いきり腕を振って麻乃の手を振りほどいた。
「……大体、そんなにむきになるほど大事な男なら、首に縄でもつけて手もとから離さなけりゃあいいじゃないか」
「この……!」
「おやめなさい。このかたは知らないと仰っているじゃありませんか」
よほど腹に据えかねたのか飛びかからんばかりの勢いで憤っているジェの肘を取った。
「あんたは黙っておいで! 私はこいつに……」
ヒュッと音を立てて風が下から吹きあがり、ジェの長い髪を揺らした。
マドルもジェも、なにが起きたのかわからなかった。
たった一瞬、麻乃から目を離しただけなのに、麻乃は片手に刀をさげてジッとジェを見据えている。
真っ赤な長い髪が一房、肩口あたりの長さで斬られてジェの足もとに落ちていた。
「あんたに言っておく。あたしの邪魔はするな。余計な手出しも無用だ。次、邪魔をしたときは髪だけじゃ済まないと思え」
切っ先を向けて低い声でつぶやくと立ち尽くしているジェを睨んだ。
麻乃の細めた瞳は殺気を含み、全身から怒りが立ちのぼっているように、何者をも寄せつけない雰囲気をかもし出している。
完全に気圧されているジェの息を飲む音が聞こえた。
背後ではジェの側近までもが麻乃に飲まれたのか、誰一人動かない。
「女官が着替えを用意しているでしょう。貴女は戻ってそのまま休んでください。後ほど泉翔へ渡る件について部屋のほうへうかがいますので」
なにも言わずに刀を鞘に収めると、麻乃はそのまま城へ戻っていった。
つかんだジェの肘から、かすかに震えが伝わってくる。
抑え切れない憤りからくるのか、恐怖からくるのかわからないけれど、恐らくは後者だろうと感じた。
「まったく……貴女というかたは……髪で済んだから良かったようなものの下手をすれば斬られていましたよ?」
「あんたは私が、あんな女に後れを取るとでもいうのかい!」
「現に髪を落とされているじゃありませんか。それも気づかぬうちに」
ジェは斬り落とされて短くなった髪を手で抑え、怨みがましい目で麻乃が去っていったほうへ視線を向けている。
側近の前で恥をかかされて、このまま引きさがる女じゃない。
迂闊な真似をされないよう、目の届くところへ置いておくのが得策だろう。
「これから泉翔へ侵攻しようというときに、変に怪我をしなかったことは幸いでした。今後、貴女はあのかたにできるだけ近づかないほうがいいでしょう」
「私を追いやって乗り換えようとでもいうのかい? あんたがいう本物とやらの、あの女に?」
「まさか……あのかたはそんな対象ではありませんよ、泉翔侵攻の際には役に立っていただきますけれどね。私には貴女がいれば十分ですが、貴女はそうではないのですか?」
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