抑止

第96話 抑止 ~マドル 1~

 ジェは、庸儀の脱走兵がロマジェリカに侵攻してくると言って、部隊の準備に戻っていった。


 自信満々出かけていった割りに、時間が近づいても一向に戻ってこない。

 マドルは痺れを切らせ、ロマジェリカの兵に準備をさせた。

 もちろん、最小限の数だけを。


 着替えを済ませた麻乃は、部屋の隅に掛けてあったフード付きのマントを手にして出てくると、外へ向かって歩き出した。

 

「どちらへ行かれるんです?」


 マドルの問いかけに冷めた視線を返しただけで黙って歩き続ける。

 あとを追い、もう一度問いかけた。

 

「まさか、お一人で外へ出るつもりですか?」


「だったらなんだと言う? 子どもでもあるまいし、いちいち行き先を報告する必要などない」


「泉翔とジャセンベルが侵攻してくると言うのに、それを放って出かけられると?」


 立ち止まった麻乃は苛立った様子で振り返った。


「だから、そのために出る。あたしのやりかたに口出しするなと言ったはずだ」


「貴女一人では無理というものでしょう? 兵の準備はできているのです。彼らとともに……」


「必要ない。馬が一頭あればいい」


「そういうわけにはいきません。十人、二十人を相手にするのとは訳が違うのです。どうしてもと仰るのならば前線は貴女にお任せしますが、後方の防衛を我が国の兵に、それから貴女の望む場所まで車を出させます」


 深く紅い瞳がこちらの意思を推し量るようにジッと見据えている。

 何度見ても胸の中に嫌な感情が沸き立つ。


「別に逃げやしない。どのみち島へ帰るには、あなたの手を借りなければならないんだから」


 確かに少しそれを疑ってはいた。

 けれど……。


「そんな心配などはしていません、ただ、また大きな怪我をされては困るのですよ」


 まだどれほどの力を発揮するかわからない今、下手に動かれると大怪我を負う可能性がある。

 このあいだのように回復にマドルの力を根こそぎ奪われてはあとに差し支える。

 麻乃自身、自分の力を量りきれていないからか、その言葉に考え込む仕草をみせた。


「だったら好きにすればいい。ただし、不用意にあたしに近づかないよう、ほかの兵に良く言っておくことだね。送りをつけてくれると言うなら、さっさと準備をしてもらおうじゃないか」


 早く準備しろと言わんばかりに麻乃は外へ向かう足を速める。

 仕方なく側近の一人を呼びつけ、車の手配をさせた。


 麻乃は城門を出て、周囲を見渡してから、フード付きのマントをまとった。

 今日はいつもより風が強く重い雲が空を覆っている。

 城の周辺は砂埃が巻きあがり、陽がかたむき始めた空からの光を拒絶するようにさえぎっていた。


 麻乃が出てしばらく経ったころ、いよいよ敵兵が現れたとの連絡が入った。

 どこから湧いたのか、思った以上の軍勢があっという間に城に接近している。

 兵の準備を整えて送り出すと、マドルは城の高い場所からその様子を双眼鏡で眺めた。


「マドルさま、思ったよりも兵が多いのは、ヘイトの反同盟派も一緒だからのようです」


 軍に入った情報を持って側近が報告に来た。


「やはりそうですか……しかし心配はないでしょう」


 そこに来ることがわかっていたのか向かってくる軍勢の中心に位置する場所に、ぽつんと麻乃の姿が見える。

 強い風にマントが剥ぎ取られた瞬間に麻乃の姿は軍勢の中へ消え、そこから将棋倒しのように敵の隊列が崩れた。


 それは単に麻乃を避けた敵兵が列を乱したのではなく、一帯の敵兵を麻乃が倒しているからだとわかる。


 砂埃で良く見えなくとも、時折、赤い色がチラつく。

 兵数では明らかに劣勢だったのが、あっという間に形勢逆転したようだ。


 こちらの様子がおかしいことに気づいたのか、敵兵は早い段階で撤退を始めた。

 深追いをする気はないようで、麻乃は立ち尽くしたまま動こうとはしない。


「どうやら引きさがるらしい。あのかたの動きがあったとはいえ、我が軍の兵力もいくらか減ってしまったようですね」


「では、これから急ぎこちらの損失を調べます」


「お願いします。それから、あのかたの迎えに出たいので車の用意をお願いします」


 側近が出ていったあと、もう一度視線を戻すと、麻乃は一点を見つめたままで忌々しそうな表情を見せていた。

 暗示はしっかりとかかっている。

 庸義とヘイトの兵に関して不審に思うことはないだろう。


(なにがそんなに気に入らないのか……)


 たどるようにその視線の先へ目を向けた。

 視線の先には撤退していく敵兵を執拗に追いかけるジェの姿があった。

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