第95話 帰還 ~修治 6~

「それに、修治に聞きたいこともあった」


「俺に?」


 遥斗は立ちあがりもう一度、窓の下をのぞき込んでから、真顔で左袖をまくった。


「これは……どういうことだろうか?」


 袖がまくりあげられて剥き出しになった左腕には、三日月の印がハッキリと浮かび上がっている。


「印を受けていたんですか!」


 後ろで岱胡が驚いた声を出し、修治は静かにしろ、とたしなめた。

 ハッとして両手で口をふさぎ、何度もうなずいた岱胡を、遥斗は苦笑いで見つめている。


「まさか。私は洗礼で印は受けてはいないよ。これは昨夜突然痺れるような痛みとともにあらわれたんだ。妹もそうだ」


「昨夜? 突然に、ですか? しかも皇女さままで? 戦士が戦えなくなったときに印が消えることはありますが、洗礼から何年も経ってあらわれたなんて話しは、聞いたことがありませんよ」


「ふうん……そうか……」


 遥斗は腕の印をジッと見ている。

 嘘ではなく、こんな話しを聞いたのは初めてだ。


「私はてっきり、おまえたちと一緒に戦えということなのかと思ったよ」


「馬鹿な……」


「だって、そうだろう? これが戦士の印だってことくらい、私もわかっているからね」


「まぁ、確かに皇子の腕は戦士としても通用するほどです。そう鍛えたのですから」


「鍛えたって……修治さん、皇子に一体なにをしたんです?」


 背後から岱胡が身を寄せて小声で聞いてきた。

 遥斗の耳にも届いたようで、今度はさっきより大きく笑った。


「父は私や妹に、ほかの子どもたちと同じように鍛錬をして、いざというときには自分の身一つくらいは守れるようにしろと言ってね。そこであちこちの道場へ通ったんだけれど、どこへ行っても皆、本気で稽古をつけてくれなくてね」


「そりゃあ、そうでしょうね」


 昔を思い出しているのか、懐かしそうな顔で笑う遥斗に、警戒心を緩めた岱胡が答えた。


「けれど高田のところは別だったんだよ。修治と麻乃には当時、相当苛められたなあ」


「あぁ、それわかるッス。この人たち、鍛錬のことになると鬼になりますからね~」


「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ……あれは苛めたんじゃなく鍛えたんですから」


「わかっているよ。当時、子どもたちの中でも、おまえと麻乃だけが本気で相手をしてくれた。本当に嬉しかったんだ。腕前もあがったしね」


 遥斗は左腕を掲げてポンポンとたたいてみせた。

 確かに今ごろになって印があらわれたのはなぜなのか、とても気になるし嫌な予感がする。

 だからといって、いずれ国を担うことになる皇子を戦場に出そうなどと、修治には思えない。


「今、なにが起こるのかわからない状況です。その印はきっと、万が一のときには俺たちが鍛えあげたその腕前で、国王さまと王妃さまをお守りしろということです」


「うん……そうだな、そうかもしれない」


 なにが起きても城まで食い込まれることはまずないだろう。

 それに城には軍から近衛兵も詰めている。


 印があらわれたことで不安を見せている遥斗には、そう言っておけば少しはその思いが拭えるだろうと思った。

 遥斗は自分に言い聞かせるようになにかをつぶやいたあと、また窓の外を見た。


「やっと来たか……修治、それから岱胡、ここは三階だけどロープで大丈夫だね?」


「ちょろいッスよ」


 岱胡の答えにうなずくと、遥斗はベッドに繋いだロープを窓から下に垂らした。


「迎えが下で待機している。修治の部隊のやつらだ。ここを出たらすぐにほかの皆と合流できる手筈になっているからね」


「皇子はどうするんです?」


 問いかけると少し寂しそうな顔を見せ、岱胡が降り始めたのを確認してから遥斗の目が修治を見つめた。


「私はここの玄関から普通に出ていくよ。それより修治、昔みたいにハルさんって呼んでくれて構わないのに」


「なにを言っているんですか。お互い子どものころとは……昔とは立場が違うでしょう? 俺がそんな呼び方をしたら、下のものに示しがつきませんからね」


「そうか、私だけじゃなく修治もそういう立場だったなぁ、確かに示しがつかないか」


 クスクスと笑いを漏らして遥斗は言う。

 荷物を背負うと窓に乗り、ロープを手にして降りる準備をした。


「今日は本当にありがとうございました。こんなふうに手を貸してくれるのが皇子で良かった」


「大して役に立てないだろうけれど、なにかあったときにはいつでも連絡をするよう、高田にも良く言っておいてくれ」

  

 その言葉にうなずくと、岱胡が降りきったのを確認し、ロープを腰に回してしっかりとつかみ、窓枠を蹴った。

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