第82話 流動 ~レイファー 2~

「少し小さいか……けれど荷台があるな」


「車がいるのか?」


 横に立ったケインがそう聞くと、サムはそれを押し退けて、地図に指を置いた。


「もうすぐ、こちらの部隊が動きだしますが、その前に、この場所まで行っていただきたいんですよ。もちろん、私も一緒にです」


「手は出さないと言ったはずだ」


「戦場に出るわけでも、兵を出してほしいわけでもありませんよ、単に引き取らないとならないものがあるだけです」


 ピーターが背後で大きくため息をつき、サムを睨んだ。


「だったら、自分の車ででも取りに行ったらいいだろう?」


「残念ながら、私一人のために使えるような車を持ち合わせてはいないんですよ」


「そりゃあわかるが……このあいだといい、きさまの神経が俺にはどうも理解できない」


 本来は敵方だということを忘れるくらい、しれっとした顔で自然に要求を言い、助力を求めてくるサムに呆れる。

 それでも断ることができず、レイファーは後部席のドアを開けた。


「第一、ここではなにも見えないでしょう? 移動すればロマジェリカがどれだけの兵を出してくるか、はっきりと見て取れますよ」


 サムが後部席に収まったのと同時に風の音とともに周辺に、妙なざわめきが広がったのを感じた。


「なんだ? 突然気配が……」


「そろそろ動きだす時間です。ホラ、早く移動しないと、下手に巻き込まれたら面倒ですよ」


 ケインの言葉をさえぎったサムに、ピーターが反応して運転席へ乗り込むと、エンジンをかけた。

 砂埃が舞っているせいで周辺が確認しにくいとはいえ、人の姿はまるで見えない。

 けれど、確かに近くにかなりの人数の気配を感じる。


「こんな立場になってみて、初めて見えてきたものや気づいたこと、知ったことは、あまりにも大きい、私はそう思っています」


 つぶやいたサムの隣に乗り、ピーターに地図を確認させてすぐに移動するよう、指示を出した。


「私たちは長いあいだ、他人の持っているものにばかり目を向けて、自分たちの足もとを疎かにし過ぎていたと思いませんか?」


「それについては、否定はできないな。見ようともしなかったのは事実だ」


「そのおかげで私たちは、これまで見つかることなく凌いでこられたのですがね。まぁ、それ以外にも、ロマジェリカで一番、気をつけなければならない相手が、ほかに気を取られていたからだとも言えますが」


 フフッと含み笑いを漏らしながら、サムがそう言ったのを聞いて、不意に思い出したことがあった。


「今日は例の赤髪の女とやらは、戦線に出るのか?」


「さぁ……庸儀のほうへも小隊を分散させてますから、そちらで足止めをさせるかもしれませんねぇ」


 サムはのぞき込むようにしてレイファーを見ている。


「……気になるのですか? 偽物だというのに?」


 そう問われ、レイファーはシートに深く寄りかかると、窓の外に目を向けた。

 向かう先と進軍のルートが違うせいか、気配が段々と遠退いていく。


「偽物だというが、それなりの地位にいるのなら、腕前のほどを知りたいだけだ」


「腕前も大したことはないようです。周囲に屈強な男を揃えて前線には決して出ませんからね。先だっては泉翔の男に簡単に退かされていましたし」


「それは相手が悪かったからじゃないのか? 渡ってきたのは士官クラスだろう?」


「そういうレベルの問題じゃあないですよ。紅い華だの月の皇子だのと、密やかに語り継がれた昔話しもありますが、時の経つあいだに誇張されたものではないかと、今では思いますがねぇ」


 そう言って鼻で笑ったサムは、目を細めて自分の腕時計に視線を移している。

 確かに語られてきただけの伝承であれば、その可能性もあるだろう。

 けれど、それが文献として残っている場合はどうなんだ?


(古いものほど、書き換えをすればすぐにわかる。誇張のしようなどないだろう)


 現れるかどうかは知らないが、過去にその存在があったのは事実だ。

 庸儀の女が紅い華を気取って出てきたのも、それをわかったうえで利用するためだろう。


 偽物が出たからと言って、本物も現れるとは限らないが、なにかが胸の奥で引っかかっていて拭い切れない。


「賢者だなんだといろいろと言われていますが、単に個々の能力がほかのものよりわずかに高かっただけのことじゃないかと、最近はそう感じてますよ」


「実際にそれらのものを目にしたことがないからな。ただ、それだけの存在だとは、俺は思えない」


 サムはほんの一瞬、意外だと言わんばかりの顔つきをして、もう一度フッと鼻で笑った。

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