第63話 目覚め ~マドル 6~

 「あれは……マドルさま、一体、あのかたになにが?」


 刀を奪い取って、前線に駆け出していった麻乃を見て、側近が唖然として問いかけてきた。


 斜面から戦場がぐるりと見渡せる。

 ジャセンベル軍の主力がいる辺りからだいぶ離れているせいもあって、砲撃の轟音は響いてくるものの、ほとんどが歩兵のみだ。


 こちらが軍勢を減らしたことに気づき、ほかへ補充されるのを懸念したのかいくつかの部隊は別の場所へ流れていく。

 最前線でジャセンベル軍を相手に立ち回っている麻乃を見つめ、マドルは小さく笑った。


「ほんの少し暗示をかけただけですよ。人の心などたやすい……わずかな疑念の種を植えつけてやれば、すぐに芽を出す。あとは己の思いだけで、勝手に育み、大きく育ててくれる。花を咲かせるまでの時間などあっという間です」


「それでは今、あのかたは……」


「ええ……ジャセンベル軍を相手に、なにを見ていることか」


 今、麻乃は目の前のジャセンベル兵に、泉翔の七人の戦士たちを重ねている。

 繋がりを保てている以上、麻乃がなにを思い、なにを感じているのか、手に取るようにわかる。

 こちらの都合の良いようにうながしてやることも可能だ。


 表情が強ばっているところをみると思った以上にショックを受けているようだ。

 それなのに覚醒する様子はみえない。

 四人ほど倒した辺りで、動きが鈍くなった。


 五人目を前に、感情が戸惑いと哀しみに満ちている。

 無防備に立ち尽くしていた麻乃は撃たれたのか、突然ひざまずいた。

 その後ろから、あっさりとジャセンベル兵に斬りつけられている。


「あの程度を避けられないほどに動揺しているか……」


「撃たれたうえに斬られているのでは、出血が多過ぎて、命を落としてしまうのではありませんか?」


 マドルは小さく舌打ちした。

 ここ最近は、術を使うことを極力控えていたぶん、力は余っている。

 傷をふさぐことも回復させることも、十分に可能だ。


 ただ、急がなければ。確かに出血が多過ぎる。

 今、死なれてしまっては、この先のすべてが無駄になってしまう。


「あの周辺の敵兵に金縛りをお願いします。私はあのかたを連れ戻してきます」


 そう指示を出し、戦場の混乱の中へと走った。

 倒れ伏した麻乃はひどく憔悴していて起きようという気力を感じない。


(背中の傷が深い。早くなんとかしなければ……)


 このまま、目を覚まさなくていい。麻乃の心がそう言った。

  

「本当にそれでいいんですか?」


 麻乃の脇に立ち、問いかけた。

 朦朧もうろうとしながらも、辛うじて答える麻乃の言葉には、終わりに向かうだけの諦めの感情があらわれている。

 諭すようにして、麻乃の根底にある思いに揺さぶりをかけても、反応が薄い。


(このままではまずい……傷を治してしまうのはたやすいけれど、ただ回復をさせるだけではなんの意味も成さない……)


 どこをつけば、もう一度、麻乃を動かすことができるのか。

 ここへきて初めてマドルは焦りを感じた。

 動こうとしない姿に苛立ちながら、麻乃を責める言葉が口をついた。


「彼らに過ちを犯させたままでいいのですか? 貴女の力で、間違いを正しい方向へ導かなくていいのですか?」


「間違いを正す……? でも、どうやって……」


 問いかけに、麻乃が初めて疑問を投げかけてきた。

 なにかを思い出しているのを感じる。

 神官の老婆を使って古い文献を読み漁ったときに、今の状況に似たことがあったのを思い出した。


「禁忌を犯したものに、粛清を……流されて巻き込まれる罪のない泉翔や大陸のものたちを守れるのは、貴女の力だけです」


「あたしの力……けれど、もう、あたしは本当に動けない……自分でもわかる。この傷はもう駄目だ……」


「治してあげましょうか?」


 力無く刀の柄をつかんだままの手に、グッと力がこもったのを見た。


「その程度の傷も、すぐに治せないなんて、不自由なことですね」


「その言葉……あのとき、洞窟で聞いた……」


 消え入りそうだった声にまで、気力がよみがえりつつある。


「貴女が本当に立ちあがり、すべてを正す意思があるのなら、私は全力で貴女に手をお貸しします。選ぶのは貴女です。守る力を手に入れたいなら、私の手をお取りなさい。それとも、ここで朽ち果てますか?」


 伏したままの麻乃の体からざわめくなにかを感じた。

 差し出した手に麻乃の左手がそっと伸びる。

 それを力強くつかんだ瞬間、マドルは急速に力を吸い取られるような感覚に襲われた。


 ハッとしてあわてて手を振り解く。麻乃は気を失って動かない。

 激しい消耗を感じながらも、麻乃の姿を見て、マドルは込み上げる笑いが止まらなかった。

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