第52話 離合集散 ~麻乃 2~

 左を抜こうとして抜けなかったことを、リュは見抜いたようで、含み笑いを漏らしている。

 その姿にカッとなり、横から槍で突きかかってきた敵兵の攻撃を避け切れず、右の二の腕をかすめられた。


(腕の痛みだけは悟られるわけにはいかない)


 一度、距離を置いて鬼灯を構え直し、呼吸を整えた。


(動じるなよ、迷うな)


 不意に修治の言葉を思い出す。

 左腕の痛みにも、リュごときの言葉にも動じている場合じゃあない。

 麻乃は頭の中で、何度もその言葉を繰り返した。

 左右からかかってきた敵の一人を逆袈裟懸けで斬り上げ、横へ振り流してもう一人の腹を裂く。


(あと五人……!)


 焦って斧を振りかざしながら飛び出してきた敵の懐へ潜り込み、喉笛を下から突き上げる。

 声にならない呼吸が聞こえ、敵兵が倒れた。

 返り血を浴びた頬を拭う。


「あと四人……」


 麻乃がそうつぶやくと、ようやくリュが剣を抜いた。


「そうやって見境もなく刀を振るっていると、また、このあいだのようなことになるぞ」


「惑わそうとしても無駄だよ。あんたたちの誰を倒せば、あの兵の動きが止まるのか確かめさせてもらおうじゃないか」


 歯噛みをして麻乃を睨んだリュが、踏み込んで斬りつけてきた剣を受け流す。

 また左腕が痛み、こらえ切れずに顔をしかめた。


 麻乃の手がリュにつかまれた。

 その唇が動きかけたとき、リュは突然ハッとして飛び退き、つかまれた腕がほどかれた。

 二人のあいだを斧が空を切り、木の幹に乾いた音を立てて刺さった。


(なんで斧が……)


「そいつに触るな!」


 鴇汰の声が響く。

 てっきり、もう逃げたものだと思っていた。

 リュに気を取られて忘れていたけれど、残った敵兵が誰一人こちらに近づいてこなかった。


「あいつも邪魔だな……まずは向こうか」


 リュのつぶやきが聞こえたのと同時に残っていた三人が動きだす。

 そのうちの一人は、麻乃が足を斬って動きを止めた。


 ほかの二人は、鴇汰に向かっていく。

 鴇汰のほうは倒れない敵兵に囲まれ、逃げようともせずに応戦を続けていた。


(適当なところで逃げろと言ったのに!)


 リュ一人に執着してしまったことを悔いた。

 ちゃんと逃げるところまで責任を持ってみてやらなかったせいで、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。


 麻乃は急いで敵を追った。


 たった二人とはいえ、闇雲に向かってくるだけの敵兵と違い、自分の頭で考えて攻撃してくる相手が増えたことで、防御にまで手が回らなかったのか、鴇汰がうずくまった。


(斬られた!)


 鴇汰の背に振りおろされた敵兵の剣を、辛うじて受けた。

 力を込めて押し込んでくるのを弾き飛ばし、倒れてゆく胸の辺りを斬り裂く。


「鴇汰! 怪我は!」


「かすっただけだ。大丈夫」


 鴇汰はすぐに立ち上がり、また応戦している。


「馬鹿! なにがあっても逃げろって言ったじゃないか!」


「あの野郎がいるってのに、おまえだけ残して逃げられるかよ!」


 逃げるのを優先と言っておきながら深追いしていたのは麻乃だった。

 鴇汰の性格を考えれば、麻乃を置いて一人で逃げるはずがない。


 判断を誤った――。


 かすっただけだと言った鴇汰の背中が赤く染まっていた。

 ドクンと胸が高鳴り、頭の芯が痺れる。

 抑えきれない怒りに血が沸々と沸き立ってきた。


 頭のどこかで逃げることを優先しろと命令をくだしているのに握った鬼灯が行けと急かし、体が止まらない。

 このまま動き続けたらきっと覚醒してしまう。

 この状態だとどちらへ転ぶのだろう?


「鴇汰……隙を見て、今度こそ本当に逃げよう……あたし多分ちょっとヤバイ……」


「ヤバイってなにが……」


 振り返った鴇汰は、目が合った瞬間ハッと息を飲み、黙ってうなずいた。

 少しずつ、崖のほうへ移動しながら攻撃から防御へ切り替えた。


 鴇汰の振り流した大剣が敵兵数人を薙ぎ倒し、道が開けた。

 走り出そうとしたその前に、リュが立ちふさがった。

 その顔に焦りの色が見える。


「おまえだけは、ここで始末をつけないと、ジェさまに顔向けできないんだよ!」


「おまえの事情など知ったことか!」


 震えるほどの怒りに、麻乃は全身の毛が逆立った感覚に包まれた。

 抑えきれない感覚に身を任せるしかない。


「戻るな! 行け!」


 崖の手前で鴇汰が戻りかけたのを見て、そう怒鳴った。

 次の瞬間、後ろから右肩に、突き飛ばされたような衝撃を受けた。


(……えっ?)


 振り返った麻乃の右肩に、矢尻が見える。

 抜き取らなければと伸ばした手に感覚がない。


 全身の血がすべて大地に吸い取られるように引いていき、体じゅうの力が抜ける。

 遠くで鴇汰が名前を呼んだのが聞こえた。

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