第40話 ヘイト ~梁瀬 2~
老人はハンスと名乗った。
その昔、敵国の父と母が一緒になったため、母は村を追われることになったと言う。
母の父である祖父は、ハンスの兄だそうだ。
当時は二人とも、母の行動のために苦労したらしい。
村外れのこんな場所でひっそりと暮らしているのも、そのせいのようだ。
それでも母のことを気にかけて、梁瀬が生まれたときには名前まで贈ってくれている。
「本当なら、二人にはヘイトで暮らせるようにしてやりたかったよ。ロマジェリカはろくな国じゃない。案の定、あのような出来事で大陸を離れる羽目になったのだからな。とはいえ、泉翔に渡ったことで、おまえたちが静かに暮らせるようになったのなら、どちらが良かったのかなど、今となってはどうでもいいことだが」
遠くを見るような目で、ハンスはほほ笑む。
今では村人ともうまく暮らしているようだ。
その目は梁瀬と同じ柳の若草色だ。
「もう少し早く着いていれば、おまえの従兄弟に当たるものがここにいたのだが……軍を追われてね、長居はできないとさっさと戻ってしまったよ」
「そうですか……」
「やつもなかなかの術師で、どこに身を隠しているのか知らんが、うまいこと、見つからずに済んでいるらしい」
ハンスがクツクツと含み笑いを漏らす。
ポツリポツリと昔話をしているのを聞きながら、かばんを開けて文献をしまった。
その瞬間、ハンスの目がカッと見開き、動揺した様子をみせた。
「おまえさん、一体その中になにを入れている!」
そういって荷物を引ったくると、机の上に中身をぶちまけた。
コロリと黒玉が転がり出たのを見て、それをつかみ取った。
「これは呼び石だ! こんなもの、どこで手に入れた!」
「呼び石? これは泉翔では黒玉と呼ばれる守石ですが……泉翔の巫女さまにお守りとして持つようにと……」
ぶちまけられた荷物を、梁瀬はかばんに詰め込みながら、問いかけに答えた。
「馬鹿者! これは大陸のものだ! おまえさん、追われているのだろう? これは術で微弱な気配を記して敵に持たせ、追うための石だ!」
書物に触れようとした梁瀬の手がピタリと止まる。
確かに上陸するその前から待ち伏せをされていた。
ハンスのいうことが本当なら、今まで梁瀬たちが追われていたのがなぜなのか、合点がいく。
だけど……まさかそんな石が存在するなんて……!
不意に強い殺気を感じた。
(殺気……? 誰だ? この気配……トクさん? どうして殺気なんか……)
周辺に意識を集中させて、ようやくハッと気づく。
「囲まれている……なんてことだ……こんなに近づかれるまで気づかなかったなんて……」
荷物をすべてまとめて担ぎ、黒玉を握り締めた。
「すみません、僕のせいでこんなことに……ハンスさん、すぐに村の人たちに家の中へ避難するように伝えてください。僕はやつらを引きつけてここから離れます」
「もう遅いわ。囲まれている。それに案ずることはない。この村の人間はみな、同盟には反対のものばかりなのだよ。年老いたとはいえ、自分たちの身を守れる腕は持ち合わせておる」
「でも……」
「梁瀬ーっ! どこだ! すぐに戻れ!」
徳丸の怒鳴り声が、村中に響いた。
「高々、五十程度じゃないか。行くがいい。おまえたちの援護ぐらい、ワシでもできるわ」
書棚の隙間から杖を出して掲げると、ニヤリと笑う。
(この人も……術師だったのか)
もう一度、深く頭をさげてお礼を言うと、サリーによろしく伝えてくれ、とハンスは梁瀬の肩をたたいた。
家を飛び出し、村の大通りを全力で駆け抜けた。
庸儀の兵に気づいた村人たちが、それぞれ武器を手に家を飛び出してきている。
高揚した雰囲気が、村中を包んでいた。
式神をつけてあるからと、高をくくっていた。
その
いくら腕に覚えがあるといっても、所詮は一般人だ。
「トクさん!」
「梁瀬! まずいことになったぞ!」
「ごめん、僕が敵を侮っていたせいで……」
「そんなことは構いやしねぇ、高々五十だ。さっさと始末をつけて庸儀に向かうぞ!」
「庸儀?」
車に荷物を投げ入れると、武器を手にした徳丸が、真顔のままでつぶやいた。
「巧と穂高が追われている」
愕然として言葉も出ないまま、立ち尽くした。
「来るぞ! モタモタするな! 村人にも怪我一つさせるわけにはいかねぇんだ!」
徳丸の声に合わせたように、敵兵が一斉に村に駆け込んできた。
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