第29話 ロマジェリカ ~鴇汰 4~

 川沿いを離れて山の奥へと進むと、周囲に少しずつ緑が見えるようになった。


「あった。あれか……」


 大木にぐるりと囲まれて、祠が見える。


「うちやヘイトと違って、水場はないんだね。ジャセンベルとちょっと似てる」


「そうだな」


 荷を下ろし、祠を隅々まで磨いてから、奉納のための穀物や酒を準備した。


「ここだけは、さすがに奇麗な雰囲気だね」


「囲んでいる木立から一歩出たら、ひどく薄気味悪い土地なのにな」


「こうやって毎年、奉納をしている意味を感じられる場所があるだけで、ホッとするよね」


 泉の森で汲んだ水で手を浄めながら、麻乃はそう言ってほほ笑んだ。

 祠に穀物と酒を供え、木立を囲うように浄めの塩を五カ所に盛った。


 二人並んで祝詞をあげる。


 わずかに茂る木々の葉から木漏れ日が射していた。

 ジャセンベルで感じるそれとは力強さが違うけれど、ここに確かに兄神さまの息吹を感じる。

 すべてを済ませると、麻乃はさっさと荷物をまとめて帰り支度を始めた。


「なんだよ? もう発つつもりなのか?」


「だって、日暮れまでまだ二時間以上あるじゃない、そのあいだに距離を稼ぎたいから」


 腕時計に目をやった麻乃は川岸のほうへ向かって、急ぎ足で歩き出し、早く行こう、と鴇汰を振り返る。


「そうはいっても、今夜と明日の朝の飯、なんの用意もしてねーよ。この近くで飯の支度して、食って休んでから発てばいいんじゃねーの?」


「一日くらい、食事を抜いても問題ないよ」


「なに言ってんだよ。ちゃんと飯食って休んでおかなきゃ、いざってときに適切な判断ができなくなるかもしれねーだろ? おまえ、昨日からなにを焦って急いでんだよ?」


 あとを追いながら問いかけると、麻乃は不意に立ち止まり、握ったこぶしを唇に当てて考え込む仕草をした。

 修治が良くするポーズだ。

 そう思うと苛立ちを感じる。


「ごめん……確かにそうだよね。あたし、一日でも早く戻りたくって焦っていたかもしれない」


「この国が気味悪いからとかそれだけじゃねーだろ? なにか理由があるのかよ?」


 ゆっくりと歩き始めた麻乃の横に並び、聞いてみた。

 風が出てきたからか木々がざわめく。


「ん……戻ったらさ、修治とね……」


 強い風に枝がきしんで大きな音を立て、そのせいで麻乃の言葉が良く聞こえない。

 鴇汰は立ち止まった麻乃を振り返った。

 わずかに照れた表情を見せてその唇が動いた。


「で……祝言を挙げるんだよね」


 そう言った。


(祝言だって? 修治と……?)


 目眩がして目を閉じると、鴇汰は眉間を人差し指で押さえ、深呼吸した。


「えっと……なにそれ? 俺、なにも聞いてねーんだけど、そんなのいつ決まったわけ?」


「いつ……って……もう半年以上前だよ。誰にも言ってないもん、帰ったら修治が自分で話すと思うよ」


「半……おまえ、俺のこと……ちゃんと考えてくれるって言ってくれたよな! けど半年も前に祝言なんて……そんなことが決まってたなら、考えるまでもなく答えが出てたんじゃねーか!」


 感情が抑え切れずに爆発した。

 木立の間を縫って、山中に響くほどの声で鴇汰は怒鳴っていた。


「時間なんかいくらかかってもいいと思ってたし、絶対にいい答えがもらえると思ってたわけじゃねーけど、そうならそうと、あの時点ではっきり言えば良かっただろ!」


 ポカンと口を開け、呆気に取られた表情の麻乃に見つめ返され、ますます苛立つ。


「ちょっと待ちなよ、あんたねぇ……」


「俺はな、冗談でおまえにあんなことを言ったんじゃねーんだぞ! こんな時間をかけて気を持たせるみたいなやりかた……修治と二人で浮かれてる俺を見て、笑ってでもいたのかよ!」


 麻乃は眉間にシワを寄せてこちらを睨むと、思いきり大きくため息をついた。

 その態度がさらに鴇汰をあおる。


「だいたい……」


 言いかけたところに突然、麻乃が両手で鴇汰の襟もとにつかみかかってきた。

 身構える間もなく強い力で引っ張られ、前のめりによろけた瞬間、鴇汰の唇に麻乃の唇が重なった。


 視界を赤茶色がさえぎり、風でなびいた髪が頬に触れる。


 頭に血がのぼったのか引いたのかわからないまま呆然としていると、数秒後にそのまま両手で勢い良く突き飛ばされ、鴇汰は尻餅をついた。


 頭の中は、今、起きたことがなんだったのかを反芻するのが忙しくて、転んだままの格好で麻乃を見あげた。

 麻乃のほうは、しかめっ面で腕を組み、仁王立ちになって鴇汰を見おろしている。

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