追走

第18話 追走 ~マドル 1~

 麻乃が一通の書類を持ち込んできたのは、訓練が終わった夜だった。

 人目を避けて部屋にこもっていたせいで、老婆のもとへは、ほかの老女の手を介して届いた。


「お休みのところを申し訳ありません。先ほど麻乃より書類をあずかりました」


「……そうか」


「なにやら返事を急いでいるようでしたので……明日の午前に受け取りに参るそうです」


「では急ぎ確認をして、間違いなく明日には渡せるよう処理をしておくとしよう」


 細く開いたドアの隙間から差し出された書類を受け取った。

 あまり長く他者と関わりを持ちたくなくて急いでドアを閉じようとしたけれど、老女の口から麻乃の名前が出て手を止めた。


「シタラさま、麻乃のことなのですが……」


「……麻乃がなにか?」


「今日、久しぶりに顔を見たのですが、なにやら思い詰めた様子だったのが少しばかり気になるのです」


「ほう……私が視たときには、なんの変わりもなかったようだが」


「そうですか……私が背に触れたときには、少々ですが、なにかに干渉されているような印象を受けました」


「干渉? 外部からなにかある、と?」


「いえ、そこまでは……」


 黒い瞳が、老婆の内側をのぞき込んでいるように見え、マドルは視線を外す。

 この老女の立場は老婆の次の位にあるらしい。


 麻乃たちが大陸へ渡ったあと、この老婆の体は棄ててしまうが、そのあとのことを考えるとまだ泉翔の中に繋ぎは残しておきたい。


「この島を出ない以上は、外からの働きかけが難しいことは承知しております。ですが、どうも気にかかって仕方がないのです。わずかばかり、内側に力を送っておきましたが……」


「恐らくは、それがために今はなんの問題も感じないのであろう。道場の師範も気にかけていたようだが、なんら案ずることはない。私には、おかしなものなど視えはしなかった」


 隙を見てこの老女へ繋ぎをつけられないか、会話を続けながら考えた。

 けれど、どうにも隙がない。

 巫女であるがゆえに、マドルの気配を薄らと感じ取っているのかもしれない。

 だとすれば長く接触するのは危険だ。


 具合が良くないからと途中で話しを切りあげ、老女を遠ざけた。

 深夜になってから人気のなくなった神殿の廊下へ出た。

 誰もが寝入った今なら、簡単に老女へ繋ぎをつけられるかもしれないと考えたからだ。


(仮に繋がったところで、この老婆のときのように抵抗されたら、そのあとに動かすことが面倒になる……)


 うっかり死なせてしまっては、長く放置はできない。

 それなりの日数、時間を作って動かし続けるのは負担だ。

 老女の部屋が見えてきたところで、前から歩いてくる若い巫女を見つけた。


「これは……シタラさま……」


 こちらの姿を見つけ、驚いた表情で頭をさげたその手をグッとつかみ取った。

 まだ若い巫女だったことは幸いだった。

 思った以上に容易よういにその中へと入り込める。


 この巫女の立場は老女の世話係りらしい。

 このタイミングでマドルに都合のいいものを手に入れられるとは、相当に運がいいと思える。


 二つ三つ、若い巫女へと指示を出して、老婆の部屋へと戻った。

 翌朝、急遽入った葬儀のために早い時間に神殿の巫女たちが動き始めた。


 本来ならば老婆は真っ先に動かなければならないのだけれど、体調が悪いことを理由に老女へすべてを任せ、人けのない神殿で麻乃を待った。


 今ならば、誰に見咎められることなく堂々と麻乃と向き合える。

 数十分して麻乃がやってきた。


 書類は西の詰所へ常勤するための申請書だった。

 持ち回りで各浜へ短期間で移動を繰り返されるより、麻乃が一つのところへとどまるのは、マドルにとっても都合がいい。

 なによりこの行動は、周囲のものたちと距離を取るためであるのもうかがえた。


「これについては良い卦が出た。私のほうからは良い返事が出せるであろう。軍のほうは良い顔をせぬかも知れん」


「承知の上です」


「ならば私のほうからも口添えしておこう」


「ありがとうございます」


 申請書が通りやすいように口添えすることを約束してやると、麻乃はホッとため息をつき、頭をさげた。

 書類を受け取ろうとした麻乃の手を取り、ジッと目を見据える。

 どうせほかのものから離れるつもりでいるのなら、これをきっかけに徹底させたい。


「できるだけ一人の時間を持つがいい。ほかの蓮華を信用するでない。一人きりにおなり」


 そう言ってやると、ふらりと体を揺らした麻乃は小さくうなずいた。

 軽い暗示はあっさりと通る。


「わかりました」


「くれぐれも蓮華たちの言葉に耳をかたむけるでないぞ」


 念を押すと麻乃はまた頭をさげ、マドルの言葉をブツブツと反芻しながら神殿を出ていった。

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