第202話 秘め事 ~穂高 1~
突然、会議室を飛び出していった麻乃を、巧も徳丸も唖然として見ていた。
梁瀬と岱胡も黙って入り口を見つめている。
「まだ修治なのかよ……」
鴇汰のつぶやきが穂高の耳に届いた。
机に片肘をつき、鴇汰は前髪を掻きあげて深く呼吸をしてから、荷物をまとめている。
このあいだまでのような、苛立った雰囲気にはなっていないようだ。
(ちゃんと考えるって言ってくれた)
北区まで来たとき、鴇汰がそう言っていた。
それが変な不安や苛立ちを抑えているんだとしたら、麻乃の影響力は大したものだ、と穂高は思う。
「……あいつ、かばんを忘れていきやがった」
立ちあがった鴇汰が、麻乃のかばんをつかんで会議室を出ていった。
「ちょっと、一人で行かせて平気?」
巧が穂高を振り返った。
梁瀬の話しの続きも気になったけれど、確かに、あの三人を一緒にさせるのは危ない気もする。
といって、巧や徳丸では持てあましてしまうかもしれない。
「うん、俺もついて行くよ。こんなときに揉めごとは避けたいからね」
「そうしてくれる? 穂高が一緒なら安心だから」
巧に答えると、荷物を背負って鴇汰のあとを追う。
廊下に出ると、鴇汰は窓から外を見おろしていた。
釣られて外に目を向けると、トラックがとまっているのが見えただけだ。
「なぁ鴇汰、昼飯どうするつもりだい?」
「ん……? あぁ、どうするかな。こっちの部屋にはなにも残してねーし、穂高はどうすんのよ?」
「俺は今日は夕飯までに家に帰ればいいから、昼は暇なんだよ。花丘にでも行かないか?」
「そうだな」
生返事をして歩き始めた鴇汰と並び、玄関に向かう。
ガラス扉に手をかけた鴇汰の動きが急に止まり、穂高はその背にぶつかった。
「なんだよ、急に止まって。どうかしたのか?」
背中越しに外を見ると、麻乃と一緒にいる修治が、珍しく大笑いをしている。
一時はギスギスとしていた二人も、今は以前のように戻ったということか。
そういえば、今度の豊穣から戻ってからのことを、修治はなにも言わなかった。
出発前に話すことで、みんなの気が削がれるのを心配したんだろうか?
扉の取っ手をつかんだまま、動く素振りも見せない鴇汰が、どんな表情をしているのかは見るまでもなくわかる。
(戻ってからのことを知っていれば、こんなところを見ても、大して感情を揺さ振られないだろうに)
麻乃の髪に修治が触れた直後、二人があまりにも自然に寄り添った。
恋人同士がするようなそれとは明らかに違うなにかが、穂高には見えた。
やっぱり二人のあいだには、もうなにもないんだとハッキリと感じる。
「なぁ、あいつさぁ……」
鴇汰がボソボソとなにかを言った。
良く聞き取れず、聞き返すと、いや、いいんだ、そう言って扉を押し開けた。
外から入ってくる風が、やけに冷たい。
穂高はつい、首をすくめた。
(今……なにを言おうとしたんだろう。あいつって、修治さんのことか? それとも麻乃?)
修治の目がこちらを向き、眉を寄せて鴇汰を睨んだ。
その視線を逸らさないまま、麻乃に何かを話しかけ、麻乃もこちらを振り返る。
「麻乃、帰るんならかばんぐらい持っていけよ、忘れてるぞ」
鴇汰がかばんをかかげてみせた。
けれど視線は修治に向いていて、表情はわずかにこわばっている。
このままおりたら、鴇汰は修治に突っかかっていくんじゃないかと不安でしょうがない。
ところが修治のほうは、さっさと車に乗り込んで出ていってしまった。
「隊長、こっちもそろそろ戻りましょう」
トラックの中から小坂が呼びかけている。
こちらへ駆け寄ってきた麻乃は、鴇汰からかばんを受け取った。
「ありがとう。あんたたち、もう帰るの?」
「俺と鴇汰はこれから昼飯でも行こうか、って言っていたんだ。夕飯には自宅に戻るけど、それまで暇だしね」
「そっか、自宅に戻るんなら、チャコによろしく伝えといてよ」
「わかった。戻ってからでも、時々、顔を出してやってくれよ。比佐子も暇を持てあましてるだろうし」
「うん、比佐子にも同じことを言われてるよ。鴇汰、明日はくれぐれも運転に気をつけてよね。じゃ、待ってるから」
麻乃は、ポンポンと鴇汰の肘の辺りをたたき、急ぎ足でトラックへ戻っていく。
麻乃を見送っている鴇汰の口もとが、一瞬、ひどく緩んだのを、穂高は見逃さなかった。
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