第175話 過去の記録 ~梁瀬 3~
まだ大陸にいたころ――。
ある日、突然、ロマジェリカ城において異人、混血、それを生したものが大勢投獄され、なんの予告もないままに処刑された。
幸いにも当時、住んでいた街が城から遠く離れたところだったため、危うく難を逃れ、泉翔へ渡ってきた。
その日から数日に渡り、数えきれないほどの人数が、老若男女を問わずその命を落としたと聞く。
「藤川さんの血筋のように、過去に何度もそれがあらわれた場合は、書物が多く残っていますが、この血筋はここに記されて以来、あらわれていないのです」
広げられた紙は、もう古びて煤け、破れや汚れが多く、文字さえもかすれている。
辛うじて読めるのは……指でその文字を追う。
『暗闇が閉ざす』
『破壊』
『蒼き月の皇子』
『紅き華を携え』
『南に生まれし者』
『その前にひざまずくとき』
『そのもの』
『広大な土地を治める』
ただの言葉の羅列だ。
これだけではなんの意味かも、なにを記しているのかも、なにをしたのかさえもわからない。
それでも梁瀬は、上着のポケットからメモとペンを出すと、それらすべてを書き記した。
「私たちはそのかたと親しくしていました。いよいよ危ないかもしれない、という噂が立ったとき、わざわざ訪ねてきてこれを託していかれたのですよ」
「ご自分が危ないということをわかっていらしたんですか?」
「そのかたは純血だったんですけど、ご主人が泉翔人で、お子さんを生していたのです」
「なるほど……そのかたのお子さんは?」
「さぁ……なにせあの混乱です。私たちも逃げるだけで精一杯だったでしょう?」
「そうですね……」
当時、梁瀬は十歳になっていた。
ほとんどのことを覚えている。
親しくしていたものたちの豹変する目、虐げられて暮らした日々、泉翔へ渡る不安、慣れた大陸を離れるのが嫌で、ひどくごねたこともあった。
「これはどうやら大陸の統一に関わる伝承だと、そのかたは仰っていました。大陸を破壊しようとするもの、再生を図ろうとするもの、まとめあげようとするもの、それらいずれかをサポートするもの」
メモに写した言葉を見つめ、梁瀬は黙って母の話しを聞いた。
「これはそれまでにないほど、大きな出来事だったことでしょう。未だ統一されることもなく、あれほどに枯れた土地……まとめる力は敵わず、再生も成されず、といってすべてが破壊されたわけでもない……」
「そうですね……」
「どのような形で終結したにせよ、それぞれが無事とも思えません。確かに、これまであらわれないことを考えると、絶えた可能性も高いのですが……さっき、あなたが言った術を、賢者以外に使えるとしたら、彼ら、あるいは彼らのうちのいずれかでしょう」
紅き華、その言葉が妙に引っかかる。
泉翔に長いせいか、紅と言うと自然と麻乃を思い出す。
おまけに華という言葉が女を連想させる。
鬼神が女性であったことは、これまでの泉翔の文献にはなかった。
けれど、この『紅き華』が鬼神だとしたら、麻乃は『サポートするもの』になる。
この中の誰につくか、それによっては大陸も大きく変わるということか。
『破壊しようとするもの』
『再生を図ろうとするもの』
『まとめあげようとするもの』
いずれかが既に生まれ、目覚めているとしたら?
麻乃は術を使えない。
まだ覚醒もしていないのに、自分で傷を治すのは不可能だ。
鬼神の情報はあの庸儀の諜報のおかげで大陸に流れている。
もしも麻乃に気づき、干渉し、傷を治したんだとしたら?
(けど……泉翔の中にいて、どうやってそれができる?)
なにかをつかんだような気はするのに、手応えのなさに梁瀬はジレンマを感じる。
母が入れ直してくれたお茶を飲みながら、何度もメモをたどった。
「それでなにかがわかるとも思えませんけど、なにもないよりは、手がかりに繋がるかもしれないでしょう」
「ええ、想像の域は越えませんけれど、これが抜けた歯車の一つになるかもしれませんし、助かりました」
「詳細がわからないだけに、余計に迷わせてしまうかもしれませんけどね。豊穣までもう数日でしょう? なにも見えずとも、そのときにはきちんと気持ちを切り替えなければいけませんよ」
「……わかっていますよ、もう子どもじゃないんですから」
憮然として答えると、母はもう一度、湯飲みにお茶を注ぎ、問いかけてきた。
「……ところであなたは、まだ独りなんですか?」
ハッとして母に視線を向けると、手に釣書を持っているのがわかり、梁瀬は軽い目眩を覚えた。
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