第152話 修復 ~麻乃 11~

「おまえ……こんな時間にそういう話しをするか?」


「大丈夫ですよ、別になにも見てませんから。ただ、あの演習で怪我をしたとき……」


「ちょっと待て!」


 麻乃の言葉をさえぎって、市原はそのまま稽古場を出ていき、十分ほどしてから戻ってきた。

 そしてそのまま、稽古場のすべての窓を閉めて鍵をかけると、布団の上にどっかりと腰をおろした。


「よし! いいぞ、なんでも言え。戸締りも火の確認も全部済ませてきた。朝までここから出ないからな」


 市原の膝頭が揺れているのが目に入り、麻乃はクッと吹き出したあと、思いっきり笑ってしまった。

 そういえば、この手の話しは怖いと言っていたっけ。


「先生。アレには鍵や壁なんて意味をなさないじゃないですか。そんなにキッチリ締めきったら、なにか出たときに、逆に逃げられなくなりますよ」


 麻乃がそう言うと、市原は黙ったまま、廊下への出入口の鍵を開けに行った。

 笑い過ぎて涙がにじんだ目をこすりながら、フーッと息をはいて呼吸を整える。


「実は、あの演習で怪我をしたとき、誰かの声を聞いたんです」


「立てないほどの怪我が治ったっていうあれか?」


 市原の問いかけに黙ってうなずいた。


「そいつは人を嘲笑うような口調で、治してやろうか、そんな傷も治せないなんて不自由だ、っ言ってきて」


「おまえが怪我していたのを知ってたのか……?」


「ええ。それで、こんな傷が簡単に治るわけがないって反論したら、不意に目眩がして、そのまま寝てしまったのか、気づいたら朝になっていました」


 腕を組んで目を閉じたまま、考え込んでいる市原を上目遣いに見ると、一呼吸置いて、麻乃は自分の膝に視線を落とした。


「目が覚めて、変に体が楽になっていると思ったら、傷口が全部、ふさがってたんです」


「その声の主がなにかしたと思うのか?」


「わかりません。なんの証拠もないですし、姿も見てない……こんなこと、自分でも理解できないのに他人にわかってもらえるわけがないって思ったから、誰にも言えませんでした」


 低い唸り声を上げ、市原は何度か手のひらで顔をなでた。


「まぁ、そりゃあ言えないだろうな、そんな話し……」


「それに、あのときは、どうやって傷が治ったかっていうことよりも、治った事実のほうが大事に思えて、深く考えないようにしていたんです」


 今になって考えてみればおかしいということが良くわかる。

 そんなことはどうでもいいなどと、どうして思えたのか。


「思い返すとあの少し前から、なにかを忘れているような気がしたり、なにをしていたのか思いだせない時間があったりするんですよね」


「それは今も続いているのか?」


「はい。それに、おかしなことばかりで落ち着かなくてイライラするし、人の思いがわずらわしくて……」


「柳堀のあと、ここへ来たおまえはひどく刺々しかったからな。どこの悪党が来たかと思ったぞ」


 荒い言葉とは裏腹に、市原の目は優しげに麻乃を見ている。

 修治や高田、塚本もそうだ。

 もちろんほかのみんなも……こうやっていつも見守ってくれていることを知っていたのに。


 問われるのがうとましくて急かされるようにみんなを遠ざけていたけれど、高田のいうように、なにもかも手放してどうするつもりだったんだろう。


「おまえには黙っていたんだが……」


 いつもは言い澱むことの少ない市原が、少しうつむき加減で言葉を濁している。

 なにを聞かされるのかと思い、麻乃は身構えた。


「婆さまに頼んで、遠目からおまえの様子を視てもらったんだよ」


 婆さまと聞いた途端にギクリとした。

 ひどく緊張したときのように、鼓動が速くなり手に汗がにじむ。


「おまえ、誰かに見られている気がするとか、怪我をする直前に誰かの声を聞いたとか言ったろう?」


「いつの間にそんなことを……」


「婆さまに言わせると、なにも心配することはないそうだ。けどなぁ、塚本はああいうやつだからすっかり安心しきっているが、俺はどうも気になるんだよ。だからおまえ、なにかおかしなことがあったときは俺にも教えろ、な?」


 真面目に考えようと、頭を働かせているところに割って入るように言葉を浴びせてくる。

 そんな市原に半ば閉口しながらも笑いが込みあげた。


「別に構いませんけど……そのかわり聞いた以上は、最後まで責任を持って聞いてもらいますよ」


「そのつもりがなけりゃ、そんな話しを聞きたいわけがないだろう? 聞いてなにかしてやれるのか、それはわからんが、一緒に考えてやるくらいはできる。一人で考えるよりはなにかいい案も浮かぶかもしれないしな。さ、ボチボチ寝るとするか」


 パコンと平手で頭をたたかれた。

 不思議と怒りは湧いてこない。

 返事をして布団に潜り込むと、なにを考える間もなく、麻乃は眠りに落ちていった。

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