第150話 修復 ~麻乃 9~

「そろそろ出る時間か」


「うん。洸が車に乗ってなかったから呼びにきたんだけど……」


「おまえ、あいつと手合わせでもしたのかよ?」


「手合わせっていうか演習でちょっとね」


 鴇汰はフッと笑って洸の後姿を眺めた。


「なんだ。俺のときと同じか」


「鴇汰のときと、まったく同じことを言うからさ、なんだか凄く懐かしかったよ」


 あのときはなぁ、とつぶやいた鴇汰も、昔を思い出しているのか懐かしそうな顔を見せる。


「それより今日は本当にありがとうね。一日つぶさせちゃったけど、多香子姉さんのことも、洸のこともさ、凄く助かったよ」


「別に……俺はああいうの好きだし苦じゃねーから。洸のやつも、俺がここの人間じゃないから素直に話しが聞けたんだろうし」


 鴇汰は前髪を払って額を掻いた。

 指先に巻かれた絆創膏が目について、ジッと見た視線に気づいたのか鴇汰が笑う。


「もう全然平気だって。血だって止まってるよ」


「そっか、なら良かった」


 本当にホッとする。

 怪我に対して過敏になり過ぎているんだろうか?

 血を見た瞬間、怪我をすることに対して、麻乃は強い恐怖心を抱いた。


「それより、俺、明日は穂高のところに行ってロマジェリカの地理情報、もらってくるよ。麻乃は地区別終わるまで、ここにいるのか?」


「うん、そう。先生も二人しか残らないし、チビたちの様子見とか、手伝いをしないといけないから」


「それなら明日の夜かあさってには、またこっちに来るよ。時間も残り少ないから、できるだけ多くの情報を頭に詰め込まないとな」


「わかった。そういえば岱胡も毎年ロマジェリカだよね。今は西にいるから詰所で話せば、鴇汰もジャセンベルの情報を教えてあげられるんじゃないの?」


「そっか、じゃあ詰所のほうが都合がいいな」


「中央まではみんなと一緒だとはいえ、運転には十分、気をつけて帰ってよね」


 麻乃を呼ぶ市原の声が聞こえる。

 振り返って返事をすると、鴇汰に軽く手を振り、その場を離れた。

 先頭のトラックへ戻り、市原とともに高田のもとへ向かった。


「留守中のこと、しっかり頼むぞ」


 高田の声に被せるように、低く響くエンジン音が深夜の空に広がる。

 前方のトラックで、ほかの師範たちになにか指示をしてる市原を見てから、高田は助手席に乗り込み、麻乃に向かって手招きをした。


「なんですか?」


 近寄って背伸びをしながら、麻乃は耳をかたむけた。


「不安や不満、疑問に思うことがあるならば、胸に秘めずに常に言葉に出すようにな。相手は誰でも構わん。話されたほうも真摯に受け止めて答えを探してくれるだろう」


「……はい」


「おまえが自分で言葉を発することで、自ずと見えてくるものが必ずある。口にしなければ見えるはずのものも見えなくなる。見極めろ。おまえ自身で判断するのだぞ」


 恐らくこのあいだ、『誰も信用するなと言われた』そう話したことへの答えだろう。


 確かに麻乃には言葉足らずなところがあると自覚している。

 最初にちゃんと問いかけていれば、勘違いも間違いもなかっただろうことは、今回のことでも良くわかる。

 昨日までの麻乃なら、きっと素直には聞けなかっただろう。


「はい、わかりました」


 しっかりと目を見て答えると、高田は満足そうに笑い、塚本に指示を出して車を走らせた。

 幌の中から元気に手を振る子どもたちに、市原と手を振り返す。


 最後に鴇汰の車が出ていくとき、窓越しにこちらに向かって頭をさげた。

 麻乃はつい、半歩前に出て手を振った。


 車がすべて出ていったあとの道場は、それまでのざわめきが嘘のように静寂に包まれている。


「さて、もう一時になるか。そろそろ休まないと、朝が早いからつらいぞ」


「そうですね」


「多香ちゃんの様子はどうなんだ?」


「そんなにひどくはないみたいでしたけど……無理はしてほしくないですよね」


 市原は困った様子で額を掻いている。

 その姿を見てなんとなく察しはついた。


「朝ご飯の心配ならいりませんよ」


「なんでだ? 俺が作るからか?」


「違いますよ。もう、用意がしてありますから。多香子姉さんのぶんも」


 市原が驚いてなにか言いかけたその前に、麻乃はキッパリと言いきった。


「言っときますけど、あたしが作ったんじゃないから、なんの心配もいりませんよ」


 市原が塚本と同じようにホッとした顔を見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る