第136話 下準備 ~高田 1~

 中央から戻った麻乃を、高田は朝早くに道場へ呼び出した。


「今夜から留守にするが、市原の手助けを頼んだぞ」


「はい」


「今日は準備で少々慌ただしくてな、時間があるなら今日も手を貸してやってくれ」


「わかりました……」


「深夜に出発するが、多香子も一人で心細いだろう、おまえ、ここへ泊まっていけ」


 麻乃は昨夜のうちに山で数頭の獣を狩り、中央で食材の調達は済ませてきたと言う。

 明日はそれらをここへ持ってくるだけだろう。

 泊まっていったところで、なんの問題もないだろうことはわかる。


 麻乃のほうも、深夜に人けのない道場に、多香子だけが残ることに不安を覚えたようで、素直にうなずいた。


「一度、詰所に戻って、隊員たちに明日のことなどを指示してきます」


「そうだな、それがいい。それから耕太と正次郎、雅人、琴子の四人が緊張しているようでな、気にかけてやってくれ」


「緊張? あの子たちでも緊張なんてするんですか?」


 麻乃が驚いた様子で高田に問いかけてくる。

 その姿に昔の修治と麻乃を思い出し、苦笑した。


「馬鹿者、誰でも少なからず緊張はする。洸でさえも落ち着きがないほどだ。演習前に嬉々としていたのは、おまえと修治くらいだ」


「なんだか意外です。あたしのことは軽んじてみて、舐めてかかってきたのに」


 高田は初めて麻乃が子どもたちと顔を合わせた日に、相当舐められていたという塚本の話しを思い出し、つい大声で笑った。

 麻乃はバツの悪そうな顔をしている。


「やつらにはこれが最後だからな。そのあとの洗礼を思うとことさらなのだろう」


「そうですね。じゃあ、とりあえず詰所へ行ってきます。すぐに戻りますので」


 立ちあがって道場を出ると、馬を走らせて詰所へ戻っていく麻乃を見送った。

 高田はすぐに、塚本と市原を部屋へ呼んだ。


「おまえたち、今日は少し面白いものが見られるかもしれないぞ。洸のやつが良く動けるように、体を温めておいてやってくれ」


「わかりました」


「洸のことは麻乃には内緒にしろ。それと二人とも、麻乃の様子を良く見ておいてくれ」


 麻乃が駆けていったほうへ目を向けたまま、このあとのことを考えると、年甲斐もなく面白さを感じて胸のうちが高揚した。


 塚本も市原も、まったく意味がわからずに首をひねりながらも言われたとおり洸に体を解しておくようにと、指示を出しに戻っていった。


 一度、机に向かって手紙をしたため、それを笠原の道場へあずけに出かけた。

 あいさつを交わし、宛先を知らせて頼むと、快く受けてくれた。

 そういえば、ここの子息も蓮華の一人であることを思い出す。


 実際に会ったことはないけれど、どうやらいい使い手で人柄も良く、既に両親以上の力を備えているという噂を聞いている。

 麻乃の周辺には、本当に良い人間が揃っているということを、いまさらながら思い知らされる。

 そろそろ麻乃も戻るころだろうと思い、礼をして笠原の道場をあとにした。


 高田は戻るとまず、洸の様子を見た。

 塚本に指導されながらも言われていることが耳に入っていないようで集中しきれていない。

 塚本も市原もほかの師範たちも、最近の洸には手を焼かされている。


 麻乃と演習をさせて以来、なにかこだわりを持ったらしいことはわかったけれど、どうも方向性を間違えているようだ。

 蓮華の中村から今日の申し出があったときに、これはちょうどいい機会かもしれないと思い、高田は洸の訓練もそこへ組み入れてみることにした。

 道場の片隅で見守っている塚本に声をかけた。


「洸はどうだ?」


「ええ、相変わらずこっちのいうことを聞いたふりです。まったく……なにを考えているのやら……」


「そうか……あれも思慮がまだまだ浅い。が、それも今日までのことになる」


 断言した高田に、塚本は不思議そうな顔をして問いかけてきた。


「一応、今のところは基礎をさせて体をほぐしてありますが、今日は一体なにを……?」


「まぁ待て。すぐにわかる」


 そう答えてニヤリと笑うと、また自分の部屋へと戻った。

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