第132話 再来 ~麻乃 4~
「一体、誰がおまえにそんなことを――みんなを信用するな、などと言った? カサネさまがそう仰ったのか?」
「いえ、カサネさまは、あたしに、なるべく一人の時間を持たないようにしなさい、って言いました。背中をさすってくれて、とても暖かくて……」
麻乃は口もとを手で覆うと、誰に言われたのかを考えた。
カサネでなかったことは確かだ。
霧の向こう側に姿があるように、ぼんやりと輪郭だけしか思い浮かばない。
どうにか思いだそうと記憶をたどってみても、眉間の奥が痺れて集中できずに、なにも思い出せない。
確かに誰かがこの手を取って、蓮華のものたちを信用するなと、そう言ったのに。
「市原が、おまえが誰かの声を聞いたようだと言っていたが、それか?」
「それとは違います。でも、思い出せないんです」
「そうか……自分の感情を持てあましたうえに、そんな言葉を聞かされて、おまえは蓮華の連中から遠ざかろうと思ったのか? 修治からさえも」
突然、修治の名前が出て、麻乃はドキリとした。
「それもあります。でも、修治のことはそれだけじゃなくて、頼ってばかりじゃなく、いい加減、独り立ちをしたかったんです。それだけです」
「そんなに焦ってなにもかも手放してどうする。だから感情がかたよって整理がつかなくなるのではないか? 独り立ちをしようと思うのはいいことだと思うぞ。だが、結果、今の状態になるようではどうしようもないだろう」
「でも……」
高田が腕組をして、大きく息をついた。
「焦らず、もう一度ゆっくり考えてみるといい」
「……はい」
麻乃の返事にうなずくと、高田は立ち上がって部屋を出ていき、数分後にお茶を手にして戻ってきた。
「おまえを呼んだのは、ほかに頼みもあってな」
「頼み、ですか?」
目の前に出された湯飲みに、麻乃はそっと口をつけた。
「ああ。近々、東で地区別演習があるのだが、私や塚本はつき添いで数日、道場を空けることになる」
「そうか、もうすぐ洗礼……最後の地区別演習ですね」
「次の中央での会議が済んだら、三日ほど道場に顔を出してほしいのだよ。今回はほかの道場から出る人数も多くてな。残って指導する師範が足りないのだ。市原一人では大変だろうからな」
「わかりました」
膝を正して高田の頼みを受けると、ようやく高田の顔がほころんだ。
「まだ柳堀の出入り禁止も解けないだろう? どうせなら隊のものたちも呼んで、ここで一緒に食事をとればいい」
「でも、それじゃあ、ここにも多香子姉さんにも、迷惑がかかってしまいますから」
「そのくらいの人数が出かけるのだ。いつもと変わりやしない。残る門弟たちも戦士たちに触れることができるのは、いい経験になるしな」
ありがたい申し出だけれど、負担をかけてしまうと思うと、どうしても麻乃は首を縦に振れない。
「たまには隊のものたちも休ませてやれ。昨日も見ていたが、どうせ釣れやしないのだろう?」
高田が豪快に笑いながら竿を振る真似をしたのを見て、岩場で全部見られていたことを思い出し、苦笑いをした。
確かに狩りは楽で、肉類は調達しやすい。
けれど、釣りはどうも全員がうまくなく、魚類の調達はひどく難しい。
川で乱獲するわけにもいかず、仕方なく海へ出ても、そんな日は十分な量が獲れないことばかりだ。
「食事だけはきちんととっていないと、いざというときに困ることになるだろう。ここは素直に聞いておけ。その代わり、多香子の買い出しが減るように、中央の帰りに花丘で野菜類をたっぷり買ってきてやってくれないか」
「そういうことでしたら、ありがたく受けさせていただきます」
ここへ来たときとは大違いで、気持ちが軽くなった気がして、自然と笑みがこぼれた。
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