第87話 物憂い ~麻乃 5~

 子どものころから大好きだった。

 大きくなったら修治のお嫁さんになる。

 ずっとそう思っていた。


 修治の背中に手を回しながら、麻乃はそのことを思い出していた。

 この日、初めて二人きりの夜を過ごした。


 麻乃が蓮華の七番部隊隊長として稼働を始めて数ヵ月後、八番部隊の蓮華が病で亡くなった。

 それからさらに数カ月後には、五番部隊の蓮華が戦争で片足を失い、引退することになった。


 このころには、麻乃はもう落ち着きを取り戻し、持ち前の腕で十分な戦績をあげ、古参の部隊にも引けを取らないほどに動いていた。


 それでも頼ってきた古株の蓮華が二人もいなくなると、不安を覚える。

 一番下でいることができたぶん、ほんの少しだけ甘えていられたのが、今度は麻乃の下に二人も新しい蓮華が増えてしまう。

 頼られるほどの自信が、麻乃にはまだなかった。


 翌年の洗礼で蓮華の印を受けたのは、鴇汰と穂高だった。

 二人と面識がある麻乃は少しホッとした。

 最後の地区別演習でやり合った相手だったけれど、知らないよりは知った顔のほうがいい。


 歳が一才違いで近かったからか、すぐに打ち解けられたつもりでいたのに、あるときから急に鴇汰が麻乃にきつく当たるようになってきた。

 顔を合わせれば、鴇汰は必ずと言っていいほど噛みついてくる。

 修治もどうやら馬が合わないらしくやり合っているところを何度も見た。


 しばらくすると今度は、持ち回りでどこの詰所に行っても繁華街の妓楼で鴇汰の名前を聞くようになり、麻乃はひどく嫌悪感を覚えた。


 修治も時々、つき合いがどうと言っては妓楼へ出入りしていた。

 なぜかそれは許せても、鴇汰の名前を聞くたびに、言いようのない嫌な感情が麻乃の中で湧き立った。


 鴇汰とだけうまくいかないまま、半年が過ぎたころ、鴇汰の部隊と南詰所の持ち回りで一緒になった。

 隊員たちと南区の繁華街である銀杏坂へ夕飯を食べに行った帰り道、南浜に続く林の木陰にとても奇麗な女性を見かけた。


 一緒にいたのは鴇汰だ。


 人目を避けるようにして、浜のほうへ歩いていく姿を遠目で見送りながら、なぜだか胸が締めつけられた。


(鴇汰が夜遅くに人けのない場所で、意味ありげな雰囲気で女性と一緒にいた)


 という事実に、息が苦しくなるほど胸が痛んだ。

 修治がほかの誰かと一緒にいるところを見ても、こんなふうに胸が痛むようなことはなかったのに。


 最初はどうしてそんな気持ちになるのか、麻乃にはまったくわらなかった。

 それが、ふとした瞬間、無意識に鴇汰の姿を目で追ってること、言い合うたびに苛立ちよりもひどく悲しくなること、鴇汰が笑っているときは幸せな気持ちになることに気づいた。


 どんな感情が生じても湧いてくる苦しい胸の痛みにも。


 そのとき初めて、本当に心から誰かを好きになるという感情を知った。

 修治に対する思いとは明らかに違うなにかが、そこにはあった。


「ねぇ、修治。あたし修治のこと、大好きだよ。でも……好きの意味が違う気がするんだ。あたしこれまで、本当に人を好きになる気持ちを知らなかったんだと思う」


 宿舎に戻ったときに麻乃は修治の部屋を訪れ、思いきって自分の中の感情を告げた。


「おまえが言いだすのが先か、俺がいうのが先か、って思ってはいたんだ。近すぎて気づかなかったな、俺たち……」


 初めてお互いを異性として意識してから、二年近くも一緒に過ごして、体を重ねたのは簡単に数えられるほどだった。

 重ねるたびに違和感を覚え、意識して避けていた気がする。


 お互いがお互いを好きと思う気持ちは本当だし、抱き締められれば安心する。

 修治にはなんのためらいもなく寄り添える。

 そばにいるだけで落ち着くことも、すぐそこにお互いの姿があることも当たり前のように思うのに――。


 ただ、それは恋人としての愛情ではなく、兄妹として、家族としての愛情だったと、今ごろになって麻乃も修治も気づいてしまった。

 それに加えて、ある夜、修治の脇腹に残る刀傷に触れたとき、両親を亡くした日に麻乃が修治になにをしたのかをも思い出してしまった。


(修治を傷つけたのはあたしだった――)


 覚醒するときに、麻乃はまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 今度は傷つけるだけでなく殺めてしまうかもしれないという恐怖。

 それが心の奥底にこびりついて、どうしても拭い去れなかった。


 高田に覚醒についていろいろと説明をされても、素直に受け入れることができずにいたのもそのせいだ。

 何度か覚醒しそうになるたびに、麻乃はそれを無理に抑え込んだ。


 過去の記憶と、鴇汰への思いだけは、修治にさえも話すことができなかった。

 生まれて初めて、修治に隠しごとができた。

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