第78話 すれ違い ~穂高 2~

 麻乃が車椅子に乗せられて病室を出ていくのを見送っている鴇汰の顔は、青ざめて見える。

 穂高は廊下に出ると、近くにいた看護係を呼び止めて麻乃の傷の具合を聞いてみた。


「背中はそれほどじゃないんですけど、足がひどいようで、当分は歩くのも大変だそうですよ。傷のせいで昨夜は発熱もしちゃってつらそうでしたし。今日もまだ、熱が下がっていないんじゃなかったかしら?」


「そんなにひどかったんですか? まさか歩けないほどとは思わず……容体もちゃんと聞いてなかったから助かりました。どうもありがとうございます」


 お礼を言って鴇汰をうながし、医療所を出た。

 車に乗ると、鴇汰はシートに体をあずけ、前を向いたまま放心している。


「見た目より大した怪我じゃないどころか、見た目よりひどい怪我じゃないか。足だけかと思ったら背中もだなんてさ」


 穂高はエンジンをかけながら、ミラー越しに鴇汰に目をやった。


「今日の鴇汰は最低だ」


 穂高の言葉に、鴇汰はふて腐れた顔で窓の外に目を向けてしまう。


「あんなひどいいいかた、よくもできたものだよ。麻乃の表情、おまえは見たか?」


「――どうせ腹を立てて、ムッとした顔でもしてたんだろ?」


 鴇汰の答えに、わざと大きなため息をつく。


「もう何年も蓮華として一緒にやってきているけど、俺はね、あんなに切なそうで哀しそうな表情をした麻乃を、初めて見たよ」


 車を走らせながら、もう鴇汰に目も向けず話し続けた。


「おおかた、修治さんの名前が出て頭にきたんだろう? だからって、あんなふうに八つ当たりして、あれじゃあ麻乃がかわいそうだ。だいいち、あの二人はとっくに終わっているじゃないか」


「終わってるかどうかなんて、わかんねーじゃんか」


「おまえなぁ――」


「俺は麻乃にちゃんと伝えたんだぜ? 変なタイミングで邪魔が入って、返事は聞けなかったんだけどさ、そのあとずっと、まるでなにもなかったみたいに、あいつなにも言わねーんだよ。その癖、なにかあるたびに修治が修治が、って……頭にもくるだろうが!」


 それまでシートに深くあずけていた体を鴇汰は急に勢いよく起こし、一息で言いきった。

 まるでつかみかかってきそうな勢いに、ハンドルをさばきながらも思わず身構えてしまう。


「それで? 頭にきた鴇汰は、昔みたいに麻乃をいじめて、いじけて妓楼に入り浸るわけだ?」


「そんなことはもうしねーよ。俺だって、あのころと同じガキのままじゃない」


 つと、視線を外して小さくつぶやいた。

 まだ少し顔色が悪く見える。

 おまけに不安と心配が入り混じった表情が、思いきり顔に出ている。


「そんなに心配なら、あんなひどいことを言わずに素直になればいいのに」


 西詰所に着くと鴇汰と荷物をおろした。


「鴇汰が今、やらなければいけないのは、麻乃に悪態をつくことじゃなく、もう一度ちゃんと話しをすることだと思うよ」


「…………」


「さっき鴇汰は聞く耳を持たなかったけれど、麻乃は違うと言っていたじゃないか。返事ができないのにも、何か理由があるのかもしれないだろう?」


 穂高は鴇汰にそう言うと、また車に乗り込む。


「俺は用を思い出したから、もう一度出かけるけれど、頭を冷やして自分がなにをするべきか、良く考えてみるといい」


 ドアを閉めてエンジンをかけ、鴇汰をそのままに来た道を戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る