第56話 柳堀 ~鴇汰 3~

 陽が落ちたころ、鴇汰は麻乃の家の前に立った。


 柳堀では勢いであんなことを言ってしまって、少し顔を合わせづらかったけれど、なぜか麻乃のことが気になって訪ねてきた。

 もう辺りは真っ暗なのに、明かりがついていない。


 まだ柳堀にいるんだろうか?


 ノックをしてみても返事はない。

 がっかりして帰ろうとしたとき、中でなにかが落ちたような鈍い音が響いた。


(誰かいる――?)


 鴇汰は背負った大剣の柄を握り、ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていない。

 かすかに軋む音を立てて、ゆっくりと開いた。


 暗い部屋の中はひどく乱雑で散らかっているだけなのか荒らされたのか、鴇汰には判別がつかなかった。


 殺気は感じないけれど、人のいる気配はする。

 息を殺して周囲を見回すと、低くうめくような声が奥から聞こえた。

 声のしたほうへ暗闇の中をたどっていき、奥の部屋をのぞくと、ベッドに体を丸めて横たわっている麻乃をみつけた。


「麻乃! どうしたんだよ!」


 急いで近寄り、麻乃の肩に触れた。


「なんだ鴇汰か……ちょっと腕が痛むだけ。なんでもないよ……」


 つらそうな表情を浮かべた麻乃は、またうめくと、左腕を強く押さえてさらに体を丸めた。


「なんでもないわけがねーだろ! 見せてみろよ!」


「触らないで!」


 腕を取ろうとした瞬間、麻乃に思いきり怒鳴られ、その勢いに驚いて手が止まった。


「ごめん、今は触れられるだけでキツイ……でも平気だから。ジッとしていればすぐ治まるから」


「そんな状態で平気じゃねーだろ……医療所行くか?」


 嫌がるように、麻乃は首をかすかに横に振る。

 見た感じでは無理に連れていくのもむずかしそうだ。


「じゃあ、痛み止めかなにかないか?」


「……テーブル」


 大剣を降ろして床に置き、明かりをつけた。

 テーブルの上から痛み止めを探し出すと、水をくんで麻乃に飲ませた。

 効き始めるまで少し時間がかかるだろう。


 それにしてもひどい痛がりようだ。

 西浜での防衛戦のときに受けた傷のせいなんだろうか?

 そばに座って様子を見ていることしかできないのがもどかしい。


 しばらくして麻乃は少し落ち着いたのか、左腕を押さえている右手を緩めた。

 その手が伸びて鴇汰の手首をつかみ、思わずギクリとする。


「……修治には黙ってて」


 と、麻乃は言った。

 こんなときにも修治の名前が出ることに腹が立ったけれど、今はそれどころじゃないとわかっていたから、麻乃の手をギュッと握ってそれに答えた。


 部屋の中が荒れてるのは単に散らかしてるだけじゃなく、痛みで暴れたのかもしれない。

 ふと、そんな気がして、今にも眠りそうな麻乃の頬にそっと触れた。


 黙っていれば隠したりごまかしたりしてやりすごせた。

 けれど、口に出してしまった以上、もう気持ちは止まれない。

 返事を聞いていないことなど今は問題じゃなかった。


 大陸からは相変わらず妙な攻撃が続いているし、麻乃はこれから訓練で忙しくなる。

 そうなると、同じ西区にいたところで顔を合わせる暇もないだろう。

 鴇汰には、こんな時間でさえも大切に思えた。


 どのくらい時間がたっただろうか。

 麻乃は眠りについたようで安定した寝息を立てている。

 頬にかかった髪をなでて払い、そっと唇を寄せてから腰をあげた。


 居間へ出ると明かりをともし、部屋をぐるりと見回す。

 入ってすぐは荒らされたのかと思ったほどの散らかりように、変な笑いが込みあげてきた。

 食器を片づけ、あちこちに置き去りにされた本を書棚へしまった。

 読みさしになっていた本は、それぞれに栞を挟んだ。


「よくもまぁ……こんだけ散らかせるもんだよな」


 ひとり言をつぶやきながらテーブルや床を雑巾で拭き、ゴミをまとめて捨てた。

 冷蔵庫の中を確認すると、一人暮らしには十分な量の食材が残っている。

 それを使って温めればすぐに食べられるものを作り、テーブルへ並べた。


「まぁ、こんなところか……」


 あまり物音を立てては、麻乃が目を覚ましてしまうかもしれない。

 細かな汚れや整頓は、そのうち時間を作って片づけに来てやればいいか。


『防衛成功、清掃任務完了。飯は作り置きもあるから、しっかり食っとけよ』


 鴇汰はメモ書きを残してテーブルへ置き、玄関の鍵を閉めてから、それを郵便受けへ落とし、麻乃の家をあとにした。

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