第51話 柳堀 ~麻乃 3~

「ちょっとアンタ! うつるってなによ。あたしゃアンタと違って、性悪病なんざ持っちゃいないわよ」


 松恵はチラリと横目でおクマを眺め、フン、と鼻であしらうと無視して麻乃の髪をなでた。


「麻乃ちゃん、久しぶりじゃないの。食事ならうちに来なさいな。うちのほうがおいしいものを出すし女の子たちもあんたの顔を見たら喜ぶわよ。鴇汰くんも、ずいぶんとご無沙汰じゃない。寄ってくれると理恵ちゃんが喜ぶわ」


 ニッコリとほほ笑む松恵の言葉に、麻乃は思わず鴇汰を見あげ、つぶやいた。


「理恵ちゃん……ね」


「ばっ……ちょっと姐さん! 違うぞ! なにもないからな!」


 焦って言い訳をする鴇汰の肩の向こうからおクマが顔を出した。

 鴇汰の肩に手を回して抱き寄せ、挑発するように松恵を睨んでいる。


「嫌ねェ、この年増女ったら。鴇汰ちゃんは今、麻乃ちゃんを連れてるのよ? 女をあてがうようなことを言うなんてサイテーよねェ。こんな女のところで食事なんかしたら、それこそ性悪がうつるわよォ」


「お黙り! 熊吉! アンタはさっさと帰ってヒゲでも剃っといで!」


「チョット! 本名で呼ぶんじゃないわよ! まったく、なんてデリカシーのない女なの!」


 二人のあいだに火花が散って見えた気がして、麻乃は目眩を覚えた。


「ちょっと……やめようよ、ね? みんなが見てるから……」


 オロオロとしながら、止めに入ろうとした麻乃を押しのけ、鴇汰が割って入ってきた。


「二人ともやめろって! 俺たちはこれから食材を買って家で食うよ。こいつの飯は俺が――」


 鴇汰の鳩尾に肘鉄を食らわせて黙らせてから睨み合う二人のあいだに割って入った。

 おクマの腕を取って、その顔をのぞき込むようにして訴える。


「わかった! こうしよう。お昼ご飯は、松恵姐さんのところで食べる。おクマさんのところには、そのあと、お茶をしに行くよ。このあいだ巧さんにもらったチーズケーキ、本当においしかったもん。濃いコーヒーと一緒に。ね? それでいいよね?」


 おクマの視線が麻乃に向いたのを確認してから、ニッコリ笑ってみせる。


「んもう……アンタがそう言うなら、いいわよ、それで」


 仕方ないわね、そう言ってようやくおクマが微笑した。


「姐さんも、ね? 買い物を済ませたら店のほうに行くから」


「そう? それじゃあ支度して待ってるからね」


 おクマと松恵は目を合わせると、フン、と互いに顔を逸らせていそいそと戻っていく。

 それを見送って大きなため息をつく麻乃を、鴇汰がおなかをさすりながら、納得のいかない顔つきで睨んできた。


「なんだよ、うまく逃げようと思ってたのによ」


「だって、あのままじゃ大変なことになったよ。あの二人はあれで剣術と武術じゃ、この国の一、二を争う腕前なんだから。喧嘩でも始まったら、あたし恐ろしくて止めになんか入れないよ」


「あ……熊吉って、もしかして榊熊吉さかきくまきち? おクマさんって榊熊吉だったのか!」


 鴇汰が思い出したようにあげた名前は、おクマの本名で、剣を学ぶものならその名を知らないものはいないほど有名だ。


「おまえ、凄いのに気に入られてんだな」


「おクマさんはあたしの亡くなった父親の友達だったんだ。だからかわいがってくれるの。松恵姐さんは、昔、酔っぱらいに絡まれてた姐さんのところの女の子を助けてから良くしてもらってるんだよね」


 とりあえず、買い物をしてから行くと言ってしまった手前、鴇汰と市場へ足を運びオレンジを買い込んだ。

 近々、オレンジを使うことになるからちょうど良い。

 例年よりも安く売っていたので、つい大量に買い込んでしまった。


 松恵の店に着くとまだ人けのない店内に入った。

 入ってすぐの場所は食事ができるようになっていて、奥の間から店の裏手と階段をあがった二階が伎楼として使われている。


 松恵に促されてカウンターに座った。

 出された料理を食べながら、鴇汰が小声で麻乃に言う。


「うまいけど、絶対に俺のほうが勝ってんだろ?」


「あんたの料理は破壊力、抜群だよね。あたし最近、お気に入りの店のご飯じゃちょっともの足りないもん」


「ホラ見ろ。だから俺が作るって言ったじゃんかよ」


「いいじゃない。外で食べるのもさ。ちゃんとおいしいんだから」


 得意げにいう鴇汰を、麻乃は軽くたしなめた。

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