第19話 古巣での待ち人 ~麻乃 2~

 鴇汰はなにかいいたげに麻乃を一睨みし、大きく深呼吸して息を整えている。

 大股で歩み寄ってくると、腕を組んで麻乃を見おろし、一気にまくしたてた。


「笑いごとじゃねーだろ! 下から姿が見えた気がして上がってきたら、本当にいやがる。なにしてんの? おまえ。こんなところで。ってか、医療所は? 怪我の具合はどうなってんのよ?」


「うん、大したことはなかったんだ。すぐ帰っていいって言われたよ。今は薬で痛みもない。そうだ。医療所まで鴇汰が運んでくれたんだってね、面倒をかけたね。ありがとう」


 麻乃は抱えた膝がしらに顎をのせ、疑わしそうに睨む鴇汰を上目づかいに見あげた。


「そんなことはいいんだけどよ。でもよ、だからってこんな遅くまで、フラフラしてんのはどうかと思うぜ? 怪我人なんだから、こんなときくらいは早く寝とけよ」


「あのねぇ……あたし、子どもじゃないんだから。それよりあんたこそ、こんな時間にどうしたのさ?」


「俺? 俺は今から南詰所に行くトコよ」


「ああ……そっか……あたしらが出られないぶん、迷惑ばかりかけてごめん」


 本当なら、明日から南詰所に待機するのは、麻乃と修治の部隊だった。

 いまさらながら、前線に出られないんだということを実感する。


 こうやってみんなに迷惑をかけているんだ。

 ふがいない思いに、またため息がこぼれる。


「いいんじゃねーの? たまには。俺にとっちゃ持ち回りが少しくらい増えたところで、どうってことはねえし」


「けど……」


「でもまあ悪いと思うなら、今度メシでもおごってくれよ。俺は麻乃が作ったもの以外なら、なんでも好きだからよ」


 鴇汰はそう言って笑った。


「フン! どうせね、あたしは料理も苦手だよ」


 麻乃は立ちあがると、鴇汰の足を思いきり踏みつけてやり、痛がってしゃがみ込んだ鴇汰の背中を軽くたたいた。


「さてと……あたしもう戻って寝るわ。鴇汰もこれから南なら、早く行かないと。下で部隊のやつらが待ってるんじゃないの?」


 振り返らずに階段へ向かう。

 なんとなく、それ以上鴇汰にかける言葉がみつからず、麻乃は無言で歩いた。

 鴇汰のほうも、特になにも声をかけてはこない。


 ただ、後ろから心配しているだろう思いだけが伝わってきた。

 その距離感が今の麻乃にとっては、とても楽であり、気持ちを和らげてくれる。


「じゃ、気をつけて。あとのこと、頼んだよ」


 軍部の玄関を出るところで声をかけると、鴇汰は答えの代わりに軽く手をあげ、隊員たちのところへ走っていった。


 鴇汰の後姿を見送ってから、麻乃は部屋へ戻った。

 その夜は眠りが浅く、目が覚めたらまだ四時前だった。


 外は真っ暗でとても寒い。


 支度を済ませ、刀とかばんを両手にさげて宿舎の玄関を出ると、もう修治が待っていた。


「思ったより早かったな」


「だって、あんなに念を押されたら、早く来るしかないじゃないのさ」


「いい心がけじゃないか」


 意地悪な表情でニヤリと笑った修治の後ろから、梁瀬が顔をだした。


「あれ? 梁瀬さん、見送りに来てくれたの?」


「うん。場合によっては送っていかないと駄目かと思ったんだけど、麻乃さん、意外と元気そうね」


 梁瀬は眠そうに大あくびをしている。

 送ってくれようという気持ちはありがたいけれど、麻乃も修治も、それは丁重にお断りした。

 何しろ梁瀬は運転が危ない。


「うん、心配させたみたいでごめんね。おまけに迷惑もかけるけど……」


「迷惑をかけるのは、お互いさまだよ。僕だって、怪我で休むのなんかしょっちゅうなんだしね。せっかくなんだから、ゆっくりしてくればいいよ。僕は近いうちに、資料を届けがてら遊びに行くから」


「うん、ありがとう。向こうで待ってるよ」


「さてと、それじゃあ出かけるとするか。荷物は後部席へでも放り込んでおけ」


 修治が運転席のドアを開けて車に乗り込むのをみて、急いで助手席におさまると、梁瀬に手を振って別れた。


 中央から西区へ向かう山道を、修治はまだ薄暗い中でも慣れた手つきでハンドルをさばいている。


 その隣で麻乃は、資料を読みながらウトウトしていた。

 途中で何度か休憩をとり、西区に入ったのは午前六時を回ったところだった。


「そろそろ稽古が始まるころか」


 道場へ向かう途中の道で、何人か子どもを追い越したのを横目に、修治が言う。

 敷地へ車をとめて道場の裏口に回った。


「あ~……気が重い……ねぇ、気が重いよ~」


「言うな。こっちまで気が重くなるだろうが」


 二人が幼いころから通い詰めた道場は、高齢の師範が道場の主だった。

 蓮華を引退した高田がそのあとを継ぐようにやってくると、数人の師範たちにほかの子どもたちを任せ、麻乃と修治は高田から直々に、熱心に鍛えあげられた。


 両親のことも、麻乃の事情も知っていたから、武術以外でも常に目をかけて力になってくれる。

 それだけに、麻乃にとっては、高田は親同然でもあり、恐ろしい存在でもあった。

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