エピローグ



エピローグ


 翌朝、午前七時。

 制服に着替え、朝食を食べ終えて歯を磨き、例によってカヲルが「ダンス・クリムゾン」を勝手にプレイしはじめたとき、カンカン、とアルミの張り出し階段を登る音が聞こえた。

「あ、来た!」 

 カヲルはプレイ中なので、ぼくが西側にむいた窓をあけて、ちょうど階段を登る途中のクリスティナの背中に挨拶。角部屋なので、お客さんが来るとすぐわかる。

「おはよう、ごめん、わざわざ」

 制服を着たクリスティナは、少し緊張した表情でぼくを振り返り、

「あ、……ううん」

「上がって。一緒に学校行こう」

ノックを待たずに入り口のドアをあけると、クリスティナはやや決まり悪そうな表情でぼくのスマホと財布を差し出し、

「……これ。ごめんね、勝手に置いていって……」

「いいよ、ありがと、壊れたら大変だったし」

「あ……カヲル、来てる?」

問いかけと同時に、部屋の奥からカヲルの「ぎゃー」という悲鳴と、聞き慣れたGAME OVERのコール音。

「おはよークリス! 上がって、クソゲーしようよ!」

 呼びかけると、クリスティナの表情に複雑そうな色が差したが、

「……お邪魔します」

 覚悟を決めたように、玄関で靴を脱ぐ。

「きゃークリス、昨日あれから大丈夫だった?」

カヲルは笑顔で、抱きつかんばかりにクリスティナに接近して問いかける。狭い六畳間だし家具もあるから、三人いると必要以上に距離が近い。

「えぇ、わたしは……。カヲルこそ、制服大丈夫だった?」

「こういうこともあろうかと、予備の制服持ってきてたの! 精霊、戻ってきた?」

 問いかけると、クリスティナはうかがうようにちらりとぼくを見た。

「……昨日、カヲルときみが『ウラ』で戦ったことは聞いた。それ以上のことは、なにも聞いてない」

「わたしが口出しすることじゃないしさー。ま、そのへんはふたりで話し合ってよ」

 カヲルは笑顔でそう言い切って、胸を張る。クリスティナはうつむいて少し考えてから、ぼくに顔をあげた。

「……お線香、あげても?」

 クリスティナは化粧台の上、ぼくの母親の位牌を一瞥してからそう言った。

「あ、うん、もちろん」

 クリスティナはマッチを擦ってロウソクに火を点け、母親の位牌に線香を立ててくれた。

「あ、わたしも!」

 つられてカヲルも線香を添え、それからしげしげ、ふたつ並んだ位牌を見つめる。

「ふたりぶん?」

「あ、それ、母親のお姉さんの。子どものころに死んじゃったらしい」

「へー」

 神門美佐子。享年十四。ぼくのおばさんにあたるひとだが、もちろん会ったことはない。生前、母親はよく位牌に手を合わせ、なにごとか語りかけていた。死因を尋ねたが、母親はなにも教えてくれなかった。

 けれど、七年前、サユリが赤髪の男に連れ去られたとき。母親は突然現れた老人にむかってこう叫んだ。

『その子だけは手出ししないで‼』

『姉さんだけでいいでしょ⁉』

 あの老人は、サユリだけでなく、おばさんの死因にも関係があるらしい。赤髪の男とは敵同士のようだが、ぼくの見えないところでなにがどうなっているのか、さっぱり見当がつかない。

 一方、クリスティナは凍り付いた表情をカヲルへ持ち上げた。

「……本当に全て放流したのね。……昨夜、全員、わたしのところに戻ってきた。……正直……あなたのしたことは馬鹿げていると思う」

「あははー。そうなのかな。あんまりたくさん強い精霊と契約すると、しんどいし。わたしはいまのままで充分かな」

「…………あの交換条件は…………本気なの?」

「もちろん。いろいろ本音で相談する相手欲しいのよ、特に女の子の同業者と」

「……………………」

「いいよね?」

 カヲルは無邪気な笑みをたたえて、クリスに迫る。

 クリスティナはしばらく困ったようにカヲルを見つめていたが――やがて決まり悪そうに視線を外し、少し頬を赤らめて、

「……きっと、後悔する。……わたし、ひねくれものだし。……性格、暗いし。……それでいいなら……」

「え、受けてくれるの⁉ やったー! よろしくクリス、今日から親友だね!」

 カヲルは朗らかに喜んで、男みたいにクリスティナの肩を抱くと、ぼくへ向きなおり、

「わたしたち、親友だから」

「う、うん」

「一緒にクソゲーしようよ親友、ハニワが倒せなくてさ、すっごい腹立つの」

 カヲルの言葉に、ウォンバット越後の「せっかくだから、おれはこの踊りで戦うぜ」が被さった。カヲルは真剣な表情で画面に向きなおり、マットの内側と外側に大股びらきで足を交互に踏みしめ、アホみたいな踊りをはじめる。

「……………………」

 クリスティナはしばらく黙って画面とカヲルを交互に見てから、ぼくを振り返り、

「……このゲーム、まだ持ってたんだ……」

ぼそり、と呟く。

言われて記憶を遡れば、そういえばクリスティナは小学生のとき、ぼくの家に来るたびにこのゲームをプレイしていたっけ。

「あー……そうだ、クリス、経験者だったね」

「ほとんど忘れてるけど……ちょっと思い出した」

「ぎゃーー」

 ぼくらの言葉に、カヲルの悲鳴が覆い被さる。またしても五匹目のコウモリにやられたらしく、表情を歪ませ、地団駄を踏んで悔しがっている。

「腹立つ! ほんと、コウモリ腹立つ!」

「あの、アパート揺れるから、畳蹴らないで」

「クリスもやってみる? すっごいつまんないし腹立つだけだから、あまりおすすめしないけど!」

自分から誘っておきながらおすすめはせず、カヲルはクリスティナにクリムゾン・マットを譲る。操作方法をカヲルに教えてもらってから、素直にマットに足を踏み入れたクリスティナは、スキップできないオープニングを無表情に鑑賞し、プレイ開始。

「え、うまい、なんで⁉」

「一応、経験者だから、クリス。七年前だけど」

「うわー、幼なじみズルい! わたしよりやりこんでる!」

クリスティナは最初のプレイで五匹目のコウモリを倒し、紫色をしたハニワみたいな次の敵へ立ち向かう。

「あー……。懐かしい。これ、ゾンビだっけ?」

「うん。公式はそう主張してる」

「……イラストレーター、不思議な感性だね……」

 イラストレーターをディスりつつ、押し寄せてくる紫ハニワをクリスティナはけったいな踊りで撃退していく。うまいけど、普段おしとやかなクリスティナが大股を押っ広げていて、端からみているとバカみたいな踊りだ。

「クリス、バカみたい!」

 言わなくていいことを、わざわざカヲルが至近距離から言い放つ。

「……うん、だよね」

 クリスティナも自覚はあるらしい。やがて画面外からハニワが飛びついてきて、体力の半分がごっそり減って、GAME OVER。

「クリス、わたしよりうまいじゃん!」

「……あんまり自慢にならない……」

「悔しいなー、クリスには負けたくない!」

 今度はカヲルがクリムゾン・マットに仁王立ちになり、戦いの再開を待つ。

 それからふたりは仲良く交互にプレイして、悔しがったり地団駄踏んだり開発者をバカにしたり、互いの踊りを見て笑ったりしていた。

 六畳間に美少女がふたりいて、彼女たちが交互に踊っているものだから、この狭い空間は白百合と柑橘類の香りが混ざり合って、大気に幸せの香りが充満していた。なんとなくぼくは、このままずっと三人でこうやってゲームできたらいいな、と夢みたいなことを思ってしまう。

「五匹目倒した! ハニワ腹立つ!」「カヲルの踊り、かっこ悪い……」「これかっこよくプレイするの無理じゃん!」

新宿を壊滅させる力を持つ美少女ふたりが大股をひらいてハニワ相手に必死に戦い、やがて時刻は午前七時半。

「クソゲー終了! 学校行くぞ!」

カヲルに促され、ぼくらはそろってひなた荘を出て、通学路へ。

 爽やかな朝日がいつもの街を輝かせていた。昨日見た火災も廃墟も大爆発もどこにもない、平和で穏やかな「オモテ」の日常がきらめいている。

「おはよー」「おはよう」「カヲリン、おはよう!」

ガヤ校へむかう生徒たちが、カヲルに気づいて挨拶してくる。カヲルもにこにこ手を振ったり談笑しながら、一緒に学校へ。クリスティナにも女生徒たちが近づいて、ぎこちないながら簡単な挨拶など交わす。

 ぼくは並木道へ目をむける。いつもの通学路なのに、なんだかいつもと違って見える。

 現実の街の裏側に、ぼくの知らない「星の裏側」があった。

 現実を複製したその世界には魔法使いが闊歩して、互いの精霊を奪うために都市を破壊し尽くす戦闘を繰り広げており――そのなかにきっと、探し求めたサユリがいる。

『お前は、妹を追え』

『「ウラ」で待つ』

サユリを連れ去った赤髪の男の残した言葉が、ぼくの耳に舞い戻る。

いまはまだ駆け出しだ。カヲルにはとても敵わないし、公安さえ手を焼くという赤髪にはもっと勝てないだろう。けれどいつかカヲルに追いつき、追い越して、ぼくはあの男に打ち勝ち、妹を取り戻さなくてはならない。果てしなく遠い道のりかもしれないけれど、サユリを取り戻すためなら、どんな困難も乗り越えてやる。

決意して、唇を噛みしめ、顔を前へむけた。

「待ってて、サユリ」

自分にだけ聞こえる声でぼくの半身へ呼びかけて、並木道を歩み抜ける……。


†††


 少女がひとり、高度百メートルに浮かんだまま、上祖師谷高校へつづく並木道を見下ろしていた。

 年齢は十代前半くらい。白いブラウスに黒のロングスカート、黒のビットローファー。良家のお嬢さま風の出で立ちだが、斜めに提げた腰ベルトには背丈ほどもある複合セラミックブレードを差している。

 こんな出で立ちの女の子が「オモテ」の空を飛んでいたなら大騒ぎになるはずだが、量子隠密迷彩をまとっているため、地上から見上げても空の色に溶け込んで少女は見えない。

長い黒髪を高空の風に晒しながら、少女は冷たい瞳で眼下を見下ろす。

登校する生徒たちの列に、神門ツカサ、下水流カヲル、銀鏡クリスティナの三名を見つけて少女はぴくりと頬を動かす。

「極めて愚かしい」

 そう吐き捨てる。

 と、傍らに同じく量子隠密迷彩をまとった青年が現れた。

 白いYシャツに細みのスラックス、黒のローファー。服装は至って普通だが、燃え立つような赤い髪、色素の抜けた肌色、輝きの失せた光を宿す黄金色の瞳、青年に備わった全ての器官が一種異様な凄絶さをたたえ、背後の青空を従えている。

 少女は眼下を歩くツカサたちを見下ろしたまま、問う。

「なにゆえ下水流を泳がせるのです。あれでは兄が」

 赤髪も同じものを見下ろして、

「……あれでいい」

「どのあたりが?」

「………………」

 無言の答えに、少女は気に入らなそうな鼻息を返し、

「現状、悪いほうへ流れているとしか思えませぬ」

「…………下水流のもくろみは読めている。……神門ツカサはいずれ自分から我らへ接近し、真実に気づく。誰が悪魔で誰が人間なのか、全てを思い知るだろう」

「………………」

 なにかを言いよどむ少女の眼差しには、悲しみと憂鬱があった。赤髪の青年は身を翻し、

「……戻るぞ。……現状、なにも問題はない。上水流ツカサはやがて我らと共に行く」

 消えていく赤髪の背中を不満そうに見やって、少女はもう一度、登校するツカサとカヲルを見下ろした。

「……………………」

 悲しげに瞳を翳らせる少女の目線の下、ツカサはカヲルとなにごとか、楽しそうに会話している。すっかり打ち解けたふたりの表情を遠く見やり、少女は呟く。

「……お兄様は、その女に騙されておられます」

 言葉の底に、生き別れた兄への愛情と、会えない悲しみがあった。未練を断ち切るように上水流サユリは自らもマントを翻し、空間へ溶ける。

 去り際、短い言葉が空間に響いた。


「その女は、お兄様が最後に倒す敵なのに」





END


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リバース・ユニバース 内村ミチト @rosycrsfiction

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