4章 魔法少女大戦(1)


四.魔法少女大戦


「久保くーん。いつまで走ってんのー⁉」

 校舎二階のベランダからカヲルが大声で呼びかけると、すでに三時間以上もトラックを走っている久保は遠くからこちらへ手を振り、

「……うあ★▲カヲ○○△~っ‼ 平気××ぜー……っ! クリ〒〒×愛○かたちー……っ!」

 声がかすれて、なにを言っているのかわからない。いやもしかすると、こことは違う世界から降りてきた言葉をわめいているのかも。

 すごい脚力だ、とカヲルは感心する。昼休みから走りはじめて、七限目が終わったのに止まる気配がない。脚力というより執念を感じる。ベランダには生徒たちが並んで、久保がいつ力尽きるか賭けに興じている。

「あれ、なんで走ってんの?」

「知るか」

 カヲルに問われた和知川原リヒトが仏頂面で答える。すると耳ざといD組の女子生徒が、わざわざカヲルに教える。

「銀鏡さんに言われたみたい。止まれ、って銀鏡さんに言われるまで止まるつもりはないらしくて! 先生が止めようとしても、『おれはクリスたんにしか止めらんねーんだ』って、言うこと聞かないんだって!」

「クリスが? なにそれ」

 意味がわからず、カヲルはベランダ伝いに歩いて、窓からD組内を覗き込む。

 クリスティナも、ツカサもいない。

「ふたりとも、昼休みに出てっちゃったの! 午後ずっとサボってて! もしかしてあのふたり、そういう関係⁉」

 くだんの女子生徒がうれしそうに尋ねてくる。

 カヲルは驚く。

「え、ふたりで…………?」

 傍らを見上げれば、リヒトがなにもかも悟った表情。

「あの女、動いたか」

「知ってたの?」

「おれもツカサの力に惹かれた人間だ。ライバルがいることくらい、とっくの昔に嗅ぎ取ってる」

 カヲルは呆れたようにリヒトを見やり、溜息をつく。

「どうしよう。わたし、ツカサくんに連絡したほうがいいのかな」

「見つけてどうする? 三人でデートすんのか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……心配だから」

カヲルは困惑しながら、LINEでツカサへ呼びかける。既読はつかない。焦れて電話してみるが、スマホの電源を落としているらしく、かからない。

「これ……どういうこと?」

 現在時刻、十六時十五分。昨夜、クリスティナの「招待状」に書かれていた仕合時間は、十八時ちょうど。まだ少し時間があるが……ツカサが気がかりだ。

「わたし、やっぱ探してくる」

「あてはあんのか」

「なんとかする」

 言い捨てて、カヲルは駆けだした。

 走りながらスマホを取り出し、LINEでリリカへ連絡。

『ツカサくんの現在位置、教えて』

 十三課の権限があれば、生体マイクロチップを埋め込んだヨビトクの現在位置はつかめる。

――なにもないとは思うけど。胸騒ぎがする……。

 カヲルは顔を上げ、ひなた荘を目指して走る。


†††


 最後にここから東京を見渡したのは、小学六年生のときだったと思う。

 ここ二十九階建て「ザ・タワー烏山」最上階は、ワンフロアまるごとクリスティナの家で、壁に沿って一周すると高度九十二メートルの高みから東京を三百六十度見渡せる。はじめて来たとき、ぼくはこの景観に興奮して家のなかをぐるぐる走り回って大はしゃぎした。

 いまはさすがに高校生なのでそういうことはせず、東側の窓から新宿の高層ビル群を遠望しつつ、だだっ広くてひとけのないリビングのソファーにぽつんとひとり、座っている。

 リビングには、人間が生活している痕跡が全然ない。

ゴミ箱はからっぽ、キッチンも使っている様子がないし、あの大きな冷蔵庫も中身は入っているのだろうか?

記憶をたぐってみると、そういえばぼくは何度もこの家に来ているのに、クリスティナの両親に会ったことが一度もない。

 もしかするとクリスティナは、ここにひとりで住んでるのでは。

 そんな疑問を抱いたとき、クリスティナがティーポットとカップを運んできた。

「お待たせ」

「……ありがと」

香草の浸かったガラスポットから、黄緑色の紅茶がぼくのカップに注がれる。

 沈黙が気まずくて、言葉をかける。

「紅茶淹れたり、するんだ?」

「お団子食べるよりは、こっちのが得意かも」

クリスティナはぼくの隣に腰を下ろし、はあ、とひといき。

すぐ傍らのクリスティナから届く百合の香りが、ハーブティーのそれと混じり合う。

 手を伸ばせば肩を抱けそうなくらい、距離が近い。

 心臓が、どきどきする。

 ぼくは心音をごまかそうと、紅茶をひとくち。

「すごい。ちゃんとした紅茶だ」

「なにそれ。ちゃんとしてないと思った?」

「クリスが料理してるイメージないから」

「料理は……。……そのうち勉強する」

 少し悔しげな声でそう言って、クリスティナは紅茶をひとくち飲んで、はあっ、とまた溜息をひとつ。

「溜息、多くない?」

「……そうかな。……あんまり自覚ない」

それから、沈黙。

 そののち、溜息。

「多いよ、やっぱり」

「…………ツカサ」

「ん?」

「……カヲルの料理、おいしい?」

いきなりそんなことを問われ、ぼくはきょとんとクリスティナを見る。

「え?」

「……三食、カヲルが作ってくれるんでしょう? あなたの隣の部屋に住んで、毎日……」

クリスティナはぼくを見ることなく、虚空へむかって無表情にそんなことを言う。

 なにこの会話。

「そ、そうだけど。うん、ぼくもはじめは戸惑ったけど……」

「どうして彼女は、一ヶ月前まで見ず知らずだったあなたにそこまで尽くすの?」

「……そう言われても……」

 ぼくはクリスティナに告げるべき言葉を探す。

 ぼくが立派な魔法使いになれるよう、カヲルはつきっきりで指導している……と真実を答えても、一般人に信じてもらえると思えない。

「……ぼく、両親いないから、親戚が心配してくれて。……誰かがぼくの面倒見なきゃ、ってことで、カヲルが……」

 なんとかクリスティナに伝わる言葉を選んで事情を伝える。これはウソではなく、おおまかには間違ってない。詳細を省いただけだ。

 しばらく黙って、クリスティナはまた溜息をつき、陰りのある眼差しをぼくにむけた。

「……ごめんなさい。……いまの忘れて」

「いや、謝ることでも」

 そして、再び沈黙。

 その重さに耐えかねて、切り出した。

「ぼくに黙ってたことって、なに?」

「……………………」

「……言いたくないなら、無理して言わなくていいけど。……もちろん、話してくれるならうれしいし、どんな隠し事だったとしても、それできみを嫌いにはならない」

 そう告げると、クリスティナは間近から、ぼくへ乾いた翡翠色の瞳をむけた。

「……本当に?」

 また、心臓の鼓動が早くなる。

 どきどきを抑えつけて、ぼくは頷く。

「……あなたが思っている以上に、ひどい秘密があったとしても?」

 クリスティナの口調の底に、孤独と悲しみが溜まっていた。

 彼女がなにを隠してきたのか、詳しいことはわからない。でもクリスティナがその秘密のために自分自身を責めて傷つけてきたことは、佇まいから伝わってくる。

 ぼくはクリスティナに、楽しく元気良く生きていってほしい。小学生のころみたいに、不必要なくらい偉そうにふんぞり返って、周囲を引きずり回して満足げに笑っているクリスティナは、ぼくにとって魅力的だった。

どんな秘密なのか知らないけれど、そのことであの元気の良かったクリスティナがこんなに悲しく孤独になってしまったのなら。

「たとえきみが人殺しでも、嫌いにならない」

本心を、言葉にする。

 ゆら、とクリスティナの乾いた瞳が揺らぐ。

「……それが、あなたがイメージする最悪?」

クリスティナは静かに、問いかける。

 まさか人殺し以上の罪を犯したとでも?

「……それより酷いことだと……無差別テロとか……?」

伺うように、傍らを見る。

クリスティナの瞳の奥に、新しい光が灯る。

「……たとえばわたしが五百歳の吸血鬼で、これまで一千人以上の生き血をすすって生きてきたとしても?」

 なるほど、それは確かにたいそうな秘密だ。

でもあくまで仮定の話だし。

「嫌いにならない」

 そう答えると、クリスティナはしばらくぼくを見つめた。

 感情のない瞳に、ゆっくりと色が差していく。

「……今日、午後六時に、とある場所でカヲルと会うの」

 またしても突然、そんなことを言ってくる。

「あ……そうなんだ」

 壁の時計は、午後四時三十分。

「……とても大事な用事があって。どうしても会わなくてはならないの」

 クリスティナはもったいをつけるように、謎めいたことを言う。

「……それは、きみの秘密に関わりのある用事なの?」

問いかけると、クリスティナは答える代わりに、ぼくの肩にこつん、と自分の頭をのっけた。

「え…………」

「…………いや?」

「あ……きみがいいなら……」

 クリスティナはなにも答えず、ぼくにもたれかかったまま動かない。

 髪の毛からいい匂いがする。しなやかな身体の感触が、ぼくの身体の右側面に押しつけられる。

 どくんどくん、自分の心音が、いやというほど耳の奥に反響する。

「ツカサ」

 耳元へ呼びかけられる。身体のなかが、熱い。

「うん」

「……さっきの言葉、本当?」

「……ウソつかないよ。きみが一千人の生き血をすすった吸血鬼だとしても、ぼくはきみを嫌いにならない」

勇気を振り絞ってそう答えた。

 と。

 クリスティナの両腕が、ぼくの首のうしろに回った。

 細い両腕に、ぎゅうっと力がこもる。

「ク、クリス……?」

「…………ありがとう」

 クリスティナのおでこが、ぼくのおでこに押しつけられた。

 すぐそこに、おとぎ話の妖精みたいに美しい顔立ちがあった。

 吐息が鼻にかかる。

 くらりと頭の真ん中が痺れる。

 艶めいた唇がひらく。

「あなたが一千一人目でも、わたしを嫌いにならないで」

 ひらいた口の端に、光る牙があった。


†††


 カヲルがひなた荘203号室へ入った直後、LINEに着信。

 リリカからだ。

『神門ツカサの生体チップ反応消失。「ウラ」へ行ったらしい』

 添付されたGoogleマップを見ると、クリスティナのマンションにツカサの現在位置を示すマーカーが点滅していた。 

『ありがりょ』

 感謝と了解をひとことにまとめ、カヲルは財布とスマホをちゃぶ台に置いて、203号室のトイレへ入る。

 ――クリスがツカサくんを「ウラ」へ連れて行った……。

 カヲルは手印を切って、「星の裏側」へ転移。

 トイレを出て、外廊下を歩き抜け、ひなた荘の中庭へ。

現在時刻、午後四時四十五分。

 ――約束の時間より早いけど、四の五の言ってられないし。

 カヲルの身体が宙に浮き、瞬く間にひなた荘上空、高度二十メートルへ上昇。

 民家も雑居ビルも足の下に見晴らして、音のない夕景が視界いっぱいに広がる。

 目線を持ち上げると、ぎゅっと身を寄せ合ったコンクリート建築群の彼方、クリスティナの住むタワーマンション「ザ・タワー烏山」が中世城塞さながらそびえ立つ。

 七、八匹の翼竜がぎゃあぎゃあとしわがれた声で鳴きながら、ザ・タワー烏山を中心に旋回していた。なにかに怯えているような、腰の引けた飛び方だ。民家の屋根やビルの屋上に並ぶ魔物たちも、どことなく緊張した面持ちでザ・タワーを注視している。

「…………」

 街並みに陽炎を立てるほどの魔力が、空間を通して伝わってくる。

存在を隠すつもりもない、あからさまな魔力の発露。

 水平距離一キロメートルほど離れたザ・タワーの屋上へ目を凝らし、常人の視力では捉えられないものをカヲルは視認する。

 屋上では少女がひとり、影絵すがたで佇立していた。

 上祖師谷高校の制服に身を包んだ少女は夕日を背後に従えて、禍々しい大鎌を肩に担いだ死神の佇まい。

銀色の髪を風になびかせ、翡翠色の瞳に静謐な色をたたえ、銀鏡クリスティナはじぃっとカヲルを見つめる。

 すでにこちらに気づき、臨戦態勢に入っている。

 空域の圧力が高まって、全身がびりびり、反応する。

 ――思ってたより、全然すごい……。

 クリスティナの口上にウソはなかった。

 血で血を洗う欧州の暗黒期を生き抜いたメスナー家の力がいま、空間へ陽炎を蹴立てる。周辺の魔物が怯え、恐れるほどに、数千京のダークエネルギーΛが渦を巻いてクリスティナへ凝集していく。

 カヲルの身体を巡る血が、ざわめく。

 血に宿る五十八代の先人たちが、手強い敵との勝負を求めて鯨波をあげる。

魔法使いである以上、「星の裏側」での勝負は避けて通れない。

 勝負を重ね、精霊を奪い奪われることで、魔法使いの「血」は強化され、血脈の価値は高くなる。一生をかけて磨き上げた強力な「血」を次代へ受け渡すことが魔法使いの宿命であり、継承者の責任だ。

 クリスティナがそうであるように、カヲルもまた奇跡の血を継承したもの。

 四肢を駆け巡るこの血には、下水流家の祖先たちの二千六百余年に渡る研鑽、研究、執念、そして犠牲が底流している。

 上水流・下水流家は、異能の力をもつがゆえに「鬼」と呼ばれて表舞台から追放された呪術師の宗家。遙か古代から「修験者」と呼ばれる魔法使いを束ね、この国の七割にあたる山間部に強力な修験者ネットワークを構築し、残り三割の平野部で紡がれるオモテの歴史へ陰日向から影響を与えてきた「水流家」の末裔、それが下水流カヲルだ。

 その価値と重みを、幼少期から骨身にたたき込まれてきたから。

「逃げないよ」

下水流家の継承者として、他家の継承者に負けるわけにはいかない。

これが「模擬仕合」なら、公安十三課の審判を呼んで、予め使用する精霊の制限をかけた上で勝負することになるが。

 クリスティナの「招待状」は、審判を呼ばず、精霊の制限もかけない「真剣仕合」を望むもの。

 真剣仕合に敗れたものは、自分の保有する全ての精霊を相手に取られる。過酷なようだが、昔から魔法使い同士の戦いというものは真剣仕合であり、模擬仕合というヌルい形式はここ五十年内に確立されたもの。いまも生き残る魔法使い一族はいずれも、他家を踏みにじることで自らの血脈の価値を高め、生き抜いてきた。

 カヲルも、クリスティナも、祖先が数百年の時間をかけて獲得し、成長させてきた精霊をその身に宿している。真剣仕合に負けるということは、自分だけでなく、祖先たちの血と汗と涙も相手に奪われるということ。だから、負けるわけにいかない。

 ――いくよ、クリス。

 決意して、カヲルは目線を彼方のクリスティナへ持ち上げる。

「鬼切」

 呟いた刹那、精霊「鬼切」は七支刀のかたちを取って、カヲルの右手に収まる。

深く呼吸を鎮め、空間を透過していく数千万兆のダークエネルギーΛを視認。

 彼方、ザ・タワー烏山を中心にして、渦を巻いていたΛが竜巻へ変じる。

 クリスティナが複数体の高級精霊を励起したことを感知。

 天と地を結ぶΛの竜巻が二本、三本、ザ・タワーの周囲に生まれ出て、身をくねらせ、砂塵を空へ巻き上げていく。

 クリスティナの背後の空が血のような夕焼けに染まる。

 風の唸りがここまで聞こえる。翼竜の群れが悲鳴をあげ、竜巻から逃げ惑う。ザ・タワー烏山とひなた荘を結ぶ直線上にいた魔物たちがなにかを察知し、一斉にその場から飛び退いた。

 ――来る。

 カヲルはΛを自らの周辺へ凝集して物質化させ、三千層の積層結界を構築。一層ごとに異なる属性を帯びたこの障壁は、魔法も物理も、あらゆる攻撃に耐性を持つ。

「約束の時間より早いけれど」

不意に、クリスティナの言葉がカヲルの耳元に鳴った。

 思考を経ることなく、鬼切は亜音速の斬撃を受け止めていた。

 受けただけで、空間が炎をまとう。

 足の下、ひなた荘がひしゃげ、円形のくぼみに変じる。

 マイクロ秒後、ザ・タワーとひなた荘を結ぶ一キロメートルの直線上に存在したあらゆるコンクリート建築物がぐしゃりと凹み、大地の溝となる。

「待ちきれなくて、来ちゃった」

一撃のもとに三千層の積層結界が両断された驚きも見せず、カヲルは大鎌の刃を七支刀の枝で受け止め、微笑んで見せる。

 ゼロコンマゼロゼロゼロ一秒後、クリスティナの航跡、すなわち一キロメートルに及ぶ大地の凹みが溶融し、火山の噴火さながら一直線に爆発。

 直線から衝撃波の航跡が爆ぜ、密集したビル群が一斉に倒壊し、爆発。

 さらなる衝撃波が地上を掃き清め、咲き乱れる幾千の炎の華のただなか、爆心地の建築物群が千兆の砂礫と化して放射状に掃射され。

 目標のない機銃掃射さながら、鉄片、コンクリート片が居合わせた魔物たちを細切れに引き裂いていく。

 カヲルとクリスティナは高度二十メートルに浮揚したまま、地上の爆発など気にもとめず、互いに顔を間近に寄せて、つばぜり合う。

「そんなにツカサが心配?」

 クリスティナは千兆の破片を吹き飛ばしながら、大鎌の刃に青白い炎をまとわせる。

「それ、たぶん誤解」

 吹きすさぶ強風、明滅する火柱、吹き飛んでいく瓦礫にさらされ、カヲルもまた鬼切に紅の炎をまとわせて、クリスティナの斬撃を完全に受けきる。

 ふたりの周囲で稲妻が芽生え、消える。空間がさらなる熱を帯び、秒速五十メートルを越える烈風が爆ぜ、地上の業火がさらに勢いを増して都市を灼く。

「あなたこそ、誤解してる」

 告げながら、クリスティナは柄を握る両手に力を込める。 

「ツカサくんのこと、好きでしょ?」

 カヲルがそう問いかけると、クリスティナの瞳の底が音も立てず光った。

大鎌の出力が上がる。

 四つの竜巻がクリスティナの周囲を旋回し、守護天使さながら襲い来る鉄片や砂礫を弾き返す。

 ふたりの周囲はすでに火の海、地上は三十メートルを越える業火に閉ざされているが、ふたりは意にも介さず相手の剣を弾き、また打ち合う。

 打ち合うたびに閃光が走り、炎が烈風を呼んで踊り狂う。

 歌曲に歌われるいにしえの神々の戦闘じみた、ふたりの剣戟。

「わたしはメスナー家の継承者。そのような些末な感情は持たない」

大鎌の刃が、つばぜり合いながら変形をはじめる。

 刃が、増える。

 増えた刃の先端が、脈絡もなく延伸し、あらゆる方角からカヲルへ襲いかかる。

「そのわりに、ツカサくんの名前が出ると動揺するよね」

カヲルは軽口を叩きつつ、襲い来る数十の刃をことごとく弾き返すと、いきなり後方へ加速して距離を取る。

クリスティナは逃がさない。

 先ほど一キロメートルの距離を縮地したのと同じ加速でカヲルに追いつき、新たな斬撃を振り下ろす。

「全てあなたの思い込み」

 カヲルの七支刀が斬撃を受け、弾き返す。

 断ち切られた黒髪の先端が風に散り。

「言うわりに、いらだってるし」

「これは、蔑み」

 またしても大鎌の刃が増え、複数の先端が全方位からカヲルを狙う。

「いま、ちょっと怒った?」

カヲルは大鎌に七支刀の枝を引っかけ、その反動でさらに後方へ退避。

 徐々に、クリスティナが押しはじめている。

「おいで、ユニコーン」

 精霊を励起し、自らに同化させ、カヲルは空中で半回転すると、いきなりクリスティナに背をむけて、新宿へむかって中空を飛ぶように駆ける。

 クリスティナの翡翠色の瞳が光る。打ち合いは分が悪いとみて、ユニコーンの脚力で逃げる気か。

 逃がさない。

「シームルグ」

 イランの神話で「神鳥」とされる高級精霊を召喚し、同化する。

 クリスティナの全身が炎に包まれ、その炎が翼のような造型を為し、はばたく。

 逃げるカヲルは甲州街道沿いに建ち並ぶビルの壁面を蹴りつけて加速しながら、時速二百五十キロメートルで飛ぶように駆けるが。

クリスティナは炎の翼を翻し、瞬く間にカヲルの真後ろに占位して。

「仕留めよ、シームルグ」

 命じた刹那、クリスティナのまとった炎が機関銃の弾丸さながら、カヲルめがけて掃射される。

「わ……っ⁉」

カヲルは右へ左へジグザグに針路を変えながら、真後ろから浴びせかけられる幾百の弾丸を躱す。

 かすめる弾丸の熱が肌を焼く。積層結界が意味をなさない。クリスティナの全ての攻撃は、こちらの防御を無効化している。

 つまり――一発当たればカヲルの負けだ。

 祖先が二千六百年かけて育てた精霊が全て、メスナー家へ奪われる。

 ――新宿まで、逃げるっ!

 カヲルは歯をくいしばり、時速三百キロメートルを越える高速で飛びながら、肉体を左右へ滑らせて逃げる。

 弾丸が身体をかすめていく。甲州街道に静止している車列が、クリスティナの掃射を浴びて瞬く間に燃え上がり、爆発した車両がもんどり打って中空高く舞い上がる。

 爆炎を背後に従え、カヲルは車列のルーフやボンネットを蹴りつけ、飛ぶように駆ける。蹴りつけるたびに増速し、時速三百五十キロメートルを越えて飛ぶ。

 しかしクリスティナは余裕綽々、ぴたりとカヲルを追尾して離れない。予想以上にクリスティナの飛行速度が速く、追尾を振りほどけない。これほど高速で飛ぶ相手は、長老とリリカと兄タケル以外に見たことがない。

「遅い」

呟いて、クリスティナのまとう炎がさらに勢いを増す。

 全幅十五メートルを越える両翼が翻り、打ち下ろされた刹那、数千の炎の弾丸が斉射。

 まとめて射出された弾丸は甲州街道を埋め尽くす炎の河となり、カヲルに追いすがる。

「⁉」

カヲルはかろうじてタンクローリーを蹴りつけて跳躍。

 炎の河はタンクローリーと十数台の普通車両を飲み込んで爆発。

 両側六車線の街道上が火球に呑まれ、衝撃波に巻き込まれたカヲルの身体が木の葉みたいに吹き飛ばされる。

「………………」

 クリスティナは表情を変えることなく大鎌の柄を握りしめ、一瞬の機動で吹き飛ぶカヲルの直上へ占位。

「あなたの全てを奪ってあげる」

 大鎌の石突きで、カヲルの腹部を打突。

「ぐふっ」

結界を透過する攻撃。直撃を受けたカヲルの表情が歪み、華奢な身体がそのまま燃え上がる甲州街道に叩き付けられ、放射状に衝撃波が走って、溶けかけたアスファルトがクレーターさながら円形に窪む。

 クリスティナは空中に浮いたまま大鎌を振り上げ、振り下ろす。

 全長三メートルほどの半月状の真っ青な炎が七つ、カヲルをめがけてうち下ろされ、着弾。

 衝撃波がぶわりと空間をめくりあげ、マイクロ秒後、折り重なった火球が次々に膨れ上がり爆発。

 笹塚駅が吹き飛び、京王線の高架が砕け、留置線の車両が二両、ヌンチャクみたいに屈折しながら中空を飛んでビルに衝突、砕け散った窓ガラスの破片が雪のように一帯を舞う。

 くるくる回転しながら中空高く吹き飛んだカヲルは、かろうじて高度百二十メートルで体勢を立て直し、状態を確認。

 ――肋骨、ひび入った。

 そのくらいで済んで良かった。制服のブレザーが焼け焦げたので脱ぎ捨て、邪魔だから胸のリボンもちぎって捨てる。

地上ではガソリンスタンドが大爆発を起こし、周辺への誘爆がはじまって、駅周辺の雑居ビル群は膝が抜けるように直下へ沈み込んでいく。

 大型爆撃機による空襲を受けたかのような惨状が、笹塚一帯へ広がっていた。倒壊した建物が鉄骨の梁を空しく空へ突き出し、炎がそれを焼いていく。

 煤煙に隠れて空中を逃げながら、カヲルは対策を講じる。

 ――クリスの攻撃、防御できない。

 いまのところ、なんとか転移魔法で逃れているが、積層結界が意味を為していない。クリスティナの大鎌は紙を破るように三千層の障壁を引き裂いて、カヲルの肉体へ物理的な衝撃を加えてくる。

 逃げているだけでは勝てない。どこかで足を止め、多少のダメージは覚悟して打ち合わなくては。

 ――一番でっかい攻撃を当てて、殴り倒す! 

 男らしい作戦を立てた直後、煤煙を切り裂いてクリスティナが現れる。

 また鎌の形状が変わっている。変わるたびに、こちらのダメージが増えていく。

 ――こっちの特性を読んで、攻撃を最適化させる精霊か。

 亜音速の斬撃を、七支刀で受け止める。

 が。

「⁉」

 受けた七支刀が砕け散る。

 カヲルの肩口を刃がかすめ、鮮血が散る。

 ――七支刀の組成が、変えられてる……!

 気づいたそのとき、クリスティナの瞳がさらなる妖しい光を宿し。

「おいで、トール」

 刹那、漆黒の鉄鋼装甲を全面にまとい、巨大な鉄槌を片手にした精霊、軍神トールが体長二十メートルの巨体をクリスティナの背後に現す。

「…………っ‼」

 さすがにカヲルも目をみひらく。これだけ派手な攻撃を連続させてなお、高級精霊を励起する魔力を残していたのか。

 驚くひまもなく、全長七メートル、重量三十トンを超える鉄槌が振り上げられ、受け太刀できないカヲルへ叩きつけられる。

「……っっっ‼」

カヲルの華奢な身体が吹き飛ぶ。

 通常の人間であれば分子レベルに解体されるであろう一撃を、カヲルはかろうじて後方へ転移して威力を逃がした。だがかすめただけでも身体は時速三百キロメートル以上で空中を吹っ飛び、東京都庁舎四十五階へ激突。ガラスをぶち破り、無人の南展望室内へ倒れ込む。

「う、うぅ…………」

口の端から血を流し、Yシャツもスカートもズタズタにされ、ぼろぞうきんのようなカヲルはうつ伏せに倒れたまま動けない。

 内臓がぐちゃぐちゃにされたような衝撃。骨も折れたのではなかろうか。「オモテ」ならすぐに救急車を呼ぶべきだが、「ウラ」にそんなものはない。

「いったぁ……」

 這いずりながら仰向けになり、痛みに顔をしかめて上体を起こし、窓の外を視認。

「…………っ‼」

すでに追いすがっていた軍神トールが都庁上空で鉄槌を振りかぶっていた。

 ――でかいのに、速い!

 その肩にはクリスティナが腰掛けて、傷ついたカヲルを超然と見下ろしている。

 無詠唱の転移魔法……を使おうとしたが負傷のため、発動が遅い。

 まだ使いたくないが、仕方ない。

「助けて、サリエル」

切り札を切った瞬間、軍神トールの巨大すぎる鉄槌が都庁をめがけ、袈裟懸けに振り下ろされる。

 都庁舎四十五階、南展望台から入った鉄槌は南塔を斜めに砕くと、外壁板と複層ガラスの破片を撒きつつ十五階まで紙を裂くように破砕して、そこからさらに持ち手を組み変え、豆腐を箸で割くように、今度は北塔をめがけて斜め上方へ切り上がる。

 都庁舎をキャンパスに巨大なVの字が描かれた瞬間、すさまじい噴煙とともに、高さ二百四十三メートル、総重量三十二万トン超のコンクリート建築物が垂直に沈下する。

 床コンクリートも鉄骨も粉微塵に砕け、膝が抜けるように沈み込んだ十二万トンの地上駆体が同じ質量の粉塵と化し、地上を揺るがす鳴動とともに、西新宿地区へ黄土色の海嘯となって覆い被さる。

 東京都庁跡を中心にして、津波じみた土煙が放射状に拡散していく。新宿中央公園も副都心も新宿西口商店街も噴煙に呑まれ、安眠をむさぼっていた魔物たちが鳴き騒ぎながら逃げていく……。


 クリスティナは軍神トールの肩に突っ立ち、高度二百メートルから黄土色の海原と化した新宿地区を見下ろす。

 背の低い建物は粉塵の海に掻き消えて、高層建築だけがのっそりと頭を突き出し、幾重にも押し寄せる波濤に中腹を洗われている。

 これが「オモテ」であれば、地上を行き交っていた数万人が死傷しているであろう、すさまじすぎる破壊の情景。

 これでカヲルが生きているわけがない……はずだが、空間を索敵したならば。

 ――生きている。

 ほんのわずか、カヲルの魔力の残滓を感知。

 この程度の攻撃で、下水流家の継承者が死ぬわけがない。どこにいるのかはわからないが、必ずいまの一手を上回って反撃をしてくる。

 軍神トールは使役するだけで大量の魔力を消費する。あまり長意時間使役できる精霊ではないが、カヲルの反撃に備えてこの場に留める。

 気を抜いたなら、現在使役している三体の高級精霊――シームルグ、フランベルジュ、トールに意識を乗っ取られ、クリスティナは「ウラ」を徘徊する悪魔と化す。

 深く、深く呼吸し、気力を取り戻す。

敵の防御を無力化し、さらに受け太刀の組成を組み替える大鎌、フランベルジュの柄を握り直す。

 次の一撃で決着をつけねば、こちらの気力、体力が持たない。

 背後を振り返ったなら、太陽はいままさに、西の空に沈もうとしていた。

 ねっとりとただれた夕焼けの下、先ほど破壊した笹塚方面を中心として絶えず爆発音が響き、あちこちで炎の竜巻が踊っている。逃げ惑う人間もいないまま、ただ無言で焼かれていく東京を鳥瞰しつつ、クリスティナは粉塵のさなかにカヲルを探す。

「それで隠れているつもり?」

問いかけるが、答えは地上から空へ噴き上がる火の粉のみ。

 クリスティナはトールの肩に突っ立ったまま、

「いつまでも遊んでいないで、下水流家の継承魔法を使いなさい」

 凜とした声で挑発する。

 先ほどから、がらにもなく感情が高ぶっている。

 原因がわからない。それが苛立たしい。

 と。

「イヤです」

返答が、遙か高空から届いた。

 喉を晒し、クリスティナは直上を見上げる。

これから夜の色をまとおうとする天頂に、黒点がひとつ。

 ぎらり、と夕日が刃に弾かれ、黒点は瞬く間に少女のすがたに変じ、クリスティナをめがけて逆落としに突っ込んでくる。

 高度三千メートルから、突入角七十五度の急降下。

少女は剣尖を腰のうしろに回し、顔は直下のクリスティナへむけて、居合いの姿勢のまま、秒速二百メートルを突破して舞い降りてくる。

 ――天使みたい。

 この一撃は、トールでは防げない。防ごうとすれば、負けだ。カヲルの攻撃を上回る攻撃で弾き返さない限り、こちらの勝ちはない。

 ――ねえ、カヲル。

 クリスティナは徐々に輪郭を鮮やかにするカヲルを見上げ。

 ――あなた、本当に素敵ね。

フランベルジュの柄を両手でぎゅっと握りしめ、カヲルに習うかのように刃を腰の後ろへ回して、翡翠色の瞳を静謐に光らせる。

 ――明るくて、元気で、料理もできる、下水流家のお姫さま。

 フランベルジュの刃がさらに禍々しく屈折し、紫色の炎をまとう。

 見上げる翡翠色の瞳に、凄絶な光が宿る。

 ――あなたを好きにならないひとなんて、いない。

 命を、魂を、クリスティナは紫の炎へ託す。

 ――ツカサもきっと、あなたに惹かれていくでしょう。 

――そしてこれからツカサの力が目覚めるほど、あなたもツカサに惹かれていく。

 激突まで、ゼロコンマ一秒。

 刃の炎が、クリスティナの全身へ乗り移る。

 地獄の底の炎じみた、毛羽立った輪郭が一気に膨れ上がり。

――でもそれだと、わたしの居場所が、なくなってしまう。

 クリスティナは剣の正体を探知すべく、波長を変えた数千の走査型探知魔法をカヲルへ浴びせ、大元の精霊を看破。

「座天使、サリエル」

 偉大なる七天使のひとり。

 カヲルが握っているあの剣は、上級三隊の力が物質化したもの。

 先ほどのトールの一撃を、サリエルの出力で躱して一気に高空へ退避したのか。

「トール。シームルグ。フランベルジュ。わたしに合わせなさい」

 励起した三体へ呼びかけ、クリスティナは次の一撃へ総力を結集。

 ――わたし、すぐいじけるし、凹むし、妬むし。

 ――性格、暗いし、素直じゃないし。

 クリスティナの翡翠色の瞳が、急降下してくるカヲルを捉える。

 シームルグが対空機銃さながら、斜め上方をめがけ、紫の炎を掃射する。

 カヲルは迫り来る炎をミリ単位の挙動で躱し、構わず突っ込んでくる。

 ――あなたと違って、ひとに嫌われてばっかりで。

 フランベルジュを握る手へ、残された最後の力を込めて。

 ――でもそんなわたしを、ツカサは大好きって言ってくれたの。

 振り抜く。

――わたしも、ずっと前からツカサのことが大好きなの。

 クリスティナの全てを賭けた一撃が翡翠色の龍となって、カヲルをめがけて撃ちあがる。

 ――わたしの居場所を、取らないで。

 斬撃を見届けた軍神トールが、クリスティナの眼前へ盾として立ちはだかる……。


 突入角七十五度で急降下しつつ、カヲルは渾身の力で座天使サリエルを物質化させた剣を制御する。

 力の強すぎる精霊を使役すると、宿主の魂は侵食され、体力は奪い取られる。完全に浸食されたならカヲルはサリエルの下僕となり、「悪魔」と呼ばれる存在に堕する。

 だがサリエルを使役するためには、カヲルは魔力も体力も精神力も、全てを捧げきらなくてはならない。次の一撃は命も魂もかけた、文字通り乾坤一擲だ。

 ――これを撃ったら、わたしは力尽きる。

――お願い、当たって……!

 外すか、もしくはクリスティナに効かなかった場合はこちらの負けだ。

 眼下、クリスティナは逃げることなく、大鎌を腰の後ろに回して待ち受ける。

 完全無欠の真っ向勝負。

次の一撃に、クリスティナもまた全てを賭けている。

 ――クリス。あなた、イヤになるくらい強いね。

 ――だからわたしも、本気で撃つよ。

 刹那――

 クリスティナが大鎌を振り抜き、翡翠色をした龍がカヲルをめがけて撃ちあがる。

 転瞬、軍神トールが盾としてクリスティナの眼前に立ちはだかる。

カヲルもまた腰の後ろに回した剣尖を、居合抜きのごとく振り抜く。

 億の稲妻をひとつに束ねた雷撃が、斬撃の先、地上めがけて斜めに打ちおろされる。

 駆け上がる翡翠色の龍と、撃ち下ろされた億の雷撃が、真正面から衝突。

 摩天楼が白に染まり――

 世界を浄化するような閃光が爆ぜ――

 新宿駅上空、高度五十メートルに新しい太陽が生まれ出て――

 ゼロコンマ一秒後、新宿駅は月面クレーターじみたすり鉢状の陥没となり、摂氏百万度を越える大火球が陥没上に発生。

 ――ねえ、クリス。

 ――魔法使いって、寂しいね。

 ゼロコンマ七秒後、火球は直径二百メートルに膨張、巻き込まれた京王デパート、小田急デパート、ルミネは百万度の高熱のただなか蒸散し、数千京の砂礫に変じて天空へと巻き上げられる。

 ――持ちたくもなかった力を、なぜか持ってて。

 直弾からゼロコンマ八秒後、火球が爆轟へ変じる。四十万気圧の大気が秒速三百メートルの衝撃波となって、魔物も建築物も路上の車列も分子レベルに解体し、居合わせた魔物を吹き飛ばしながら放射状に新宿を薙ぐ。

 ――その力には、顔も知らない何百、何千のひとたちの人生が詰まってて。

 東京モード学園ビルは複層ガラスが全損、鉄骨が溶け落ちて膝が抜けるように崩落する。高さ百三十三メートル、地上二十八階建ての工学院大学校舎の中腹が崩れ、真後ろの京王プラザホテルに激突、砕けた外板、鉄骨、窓ガラス、コンクリート片が吹雪のように中空を覆う。

 ――その力を未来へ紡ぐためだけに、生きなきゃいけなくて。

 同時にその傍ら、高さ百メートル以上、総重量十万トンを越える副都心の高層ビル群も次々に力場と安定を失って、砕けた構造材を吐き、鉄骨の梁を露わに剥き出し崩れ落ちる。

 ――好きなひとと一緒になるとか。

 ――好きなことして、自分のために生きるとか。

 ――普通の人生に詰まってるいろんなの、諦めないといけなくて。

 その外縁に密集していたビル群も膝が抜け、ドミノように渦を巻いてなぎ倒される。爆発が連鎖し、熱波によってコンクリートが泡立ち、砕け散ったガラス片が乱気流に巻き上げられて魔物たちを切り刻む。

 ――実はわたしも、ツカサくんに隠し事があってさ。

 炎が熱風を生み、空へ舞い上がる。鋼構造の悲鳴をあげながら傾いていく高層ビル群が終局限界を迎え、ごおん、ごおんと遠い響きを折り重ね、長大な駆体を地に打ち付けてゆく。

 ――ひどい女なんだよ、わたし。

 破損した消火栓が水柱を噴き上げ、切れた電線が火花をあげて地上をのたうち、建物内にこもった都市ガスへ引火、くぐもった爆発音が連鎖して、鉄片、ガラス片、コンクリート片が空へ舞い上がる。爆発が爆発を呼び、膨張した大気が竜巻となって瓦礫と塵芥を身のうちに孕み、建物の狭間に踊りくるう。

 ――時々、泣きたいときとか、ある。

 新宿が炎へ覆われていく。弔鐘のような倒壊音がやまない。車列を伝う誘爆が大ガードを越え、東口へ燃え広がる。空を飛ぶ魔物たちが鳴き交わしながら、煤煙に閉ざされた空を旋回する。ぎゃあぎゃあとしわがれた声の下、地上を覆う炎熱の地獄が歌舞伎町にまで広がっていく。

 ――あのさ、クリス。

 ――わたしたち、友達になれない?

 火と火が結びあい、さらなる大きな炎となって、紅の群舞がはじまる。炎が風を呼び、烈風となって、火の粉や塵芥を身のうちに孕んで踊りくるう。

――傷のなめ合いを、あなたとしたいの。

 上昇気流が生まれ、真っ黒な雲が現れて、新宿を覆った火の海へめがけ、煤を孕んだ真っ黒な雨粒が覆い被さる。打ち付ける雨にも構わず、血を舐める炎はますます勢いを増し、破壊の外縁を押し広げていく。

 ――すごいみっともなくて、情けないところを、見せられる友達が欲しいの……。

 逃げ惑うひとびとのすがたもなく、静寂の世界が燃えていく。飛び交う魔物たちがレクイエムのように鳴き交わす。世界の終わりの光景のさなか、ふたりの少女のすがたもまた、灰燼のとばりに覆われて見えない……。


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