2章 星の裏側(2)
†††
下水流め、手を抜いている……‼
和知川原リヒトはそのことを確信し、眼光をたぎらせた。
いつでも攻撃できるくせに、いっこうに仕掛けてこない。
その余裕が気に入らない。
これまで、リヒトを含めた五人の攻撃は全て、カヲルのまとった積層結界を破れずにいる。防御に絶対の自信があるのか、避ける素振りが全くない。身長より大きな七支刀「鬼切」の柄を肩に担ぎ、艦砲射撃のただなかを悠然と散歩するような、下水流家の継承者。
――いいぜ、そのまま舐めてろ。
リヒトは片目で、他の魔法使い――正式名称「予備特務員」、通称ヨビトクの動きを観察。
下多賀老人は早々に隠密結界を精製して存在を秘匿、おそらくすでにケット・シーが詠唱に入っている。どんな魔法を放つのか知らないが、カヲルは止める気もなさそうだし、まずは詠唱魔法の発動まで粘ろう。
アーサー王伝説の妖精ニミュと雨女を持つ五十代、谷口は銀狼とアーリマンを持つ主婦、苫米地と共に最も間近からカヲルへ攻撃を仕掛けている。
谷口は両手剣で積層結界の破壊を試み、斬撃のたびに激しい火花と爆発が巻き起こる。結界は一層ずつ破壊されている様子だが、カヲルの修復が異常に速く効果なし。
主婦、苫米地はカヲルを取り巻くように狼の爪を空間から出現させ、全方位から一斉に斬り付けるものの、谷口と同じく修復に追いつけない。
ふたりとも、衝撃波だけで街路樹の葉が散るほどの斬撃を数十回も繰り出している。しかし、性質の異なるエネルギー障壁が一千層以上も積み重なった結界は、撃たれるほどに厚みを増す。さらに四層に一層、爆発反応障壁が仕込まれており、攻撃する剣と爪が焼けただれた流体金属の奔流を浴び、逆にダメージを受けてしまう。
カヲルは微笑んでいる。
じゃれつくハムスターを、指先で転がして遊んでいるような。
と、カヲルの足下に地割れが走った。
アスファルトが盛り上がり、地鳴りと共に通学路が放射状に裂ける。百雷が一気に落ちたような鳴動と同時に、体長十メートル、重量四十トンを越えるアースドラゴンが粉塵の尾を曳いて地中から立ち上がる。
縦長の瞳孔を持つ黄土色の瞳。戦艦装甲さながら、分厚い鱗に鎧われた体表面。前足を一歩前へ送っただけでアスファルトが砕け、新たな地割れが近隣家屋を傾ける。摂氏二百度を越える鼻息で辺り一帯を水蒸気のとばりに押し包み、すさまじい咆吼が民家全体を振動させる。
住宅街に現れたあまりに巨大なアースドラゴンは、尻尾の一振りで街路樹をなぎ倒し、めくれあがったアスファルトを蹴飛ばして、長大な鎌首をカヲルの眼前に持ち上げる。
あまりに巨大すぎて、カヲルの立ち位置からは、夜空が龍に覆い隠される。
アースドラゴンは黄土色の瞳を燃え立たせ、口腔をひらく。上顎と下顎にはびっしりと、千歯扱きじみた鋭い牙。
ひらいた口腔の奥が不吉な紅をたたえて、どろりと焼ける。煮えたぎったなにかが喉の奥からせり上がり、風景がゆらりとひん曲がる。
――火炎放射。
カヲルはアースドラゴンの攻撃を予測。察知した谷口と苫米地は民家の屋根へ跳躍し、難を逃れる。
龍族のブレスはあらゆる物質、あらゆる結界を溶解する。普通の魔法使いなら逃げるはずだが、カヲルは逃げない。
ただ片手に握った鬼切を肩に担ぎ、首を傾げてにこりと笑う。
「宿主ごと実体化するタイプか。いいなあ、かっこいい~」
刹那、煮えたぎったマグマがアースドラゴンの口から迸り、積層結界ごとカヲルを飲み込む。
カヲルのすがたが灼熱の濁流のなかへ消え失せ、たちまち周囲が摂氏三百度を超える熱波に白く閉ざされる。
本物の火山から流れ出るものに遜色のない溶岩流がアスファルトを溶かし、爆ぜる熱波だけで街路樹が燃え上がる。
この炎熱地獄のただなかで、原型を保てる生物は存在しない。
だが下水流家の継承者は。
「ちょっと欲しくなってきたかも」
言葉と同時に、アースドラゴンを中心軸にして視界三百六十度、全周囲へ疾駆する疾風が溶岩流をめくりあげ、摂氏一千度を超える灼熱の風となって周縁の民家に直撃、十数棟が瓦礫を巻き上げて倒壊し、たちまち炎に包まれる。
通学路の両側で火災発生。しかし消防車のサイレンも、逃げ惑う民衆も、テレビ局のヘリコプターもない。「星の裏側」はただ静かに、魔法使いによる破壊活動を受け入れる。
アースドラゴンは火の海のただなか、黄土色の瞳にカヲルを映し出す。
周囲を埋める炎に構わず、カヲルは凄艶に微笑んでいる。
「うちの子にならない?」
右手一本で握りしめた鬼切の刀身から、青白い光芒がゆらりと爆ぜる。
「受けんな、逃げろ!」
リヒトが叫ぶと同時に、賢者の前の紅海さながら、住宅街を覆った火の海が割れた。
鬼切から放たれた衝撃波はアースドラゴンの分厚い鱗を貫通し、顔面も胴体も尻尾まで左右対称に両断するや、そのままアスファルトを抉り、穿ち、通学路を二百メートルほど疾駆して上祖師谷高校の校舎に着弾、壁面の窓ガラスが全て割れ、細かな銀光を散らしながら、三階建て鉄筋コンクリート建築が真ん中をめがけてM字型に崩落する。
「………………‼」
神門ツカサが絶句する。征矢原リリカの生成した積層結界に守られて炎や熱波の影響はないが、しかし自分の住む町や通う学校が目の前で破壊されてゆく光景は言語に絶する。思考を抜き取られたまま、ただ傍観することしかできない。
両断されたアースドラゴンは、幾千万の真っ赤な微粒子に変じて、空間へ溶けるように消えた。
通学路は爆心地さながらの様相を呈し、アスファルトの裂け目が溶岩溜まりとなって水蒸気を吹き上げ、密集して立ち並んでいた民家はすべて倒壊し、折れ曲がった梁を剥き出しにしてまだ燃えている。
自らが破壊した光景のただなか、大剣を担ぐ可憐な少女は一切の罪悪感をまとわず、裏庭を散歩するようにゆっくりと歩む。
そのとき突然、カヲルの眼前に、栗色の長い髪をした小人の精霊が出現した。
「ぼく、キジムナー」
「わ、かわいい」
「お姉ちゃん、握手して」
「うん、絶対イヤ」
「油断したね、4ねや」
キジムナーはいきなり光のロープとなり、カヲルの全身に巻き付いた。
両腕を下ろしたまま完全に動きを封じられ、カヲルはきょとんとした表情。
「せっかくかわいいのに、言葉遣い悪いね」
「余裕ぶっこいてっから負けんだよ、ぶちかませジジイ!」
キジムナーの言葉が終わると同時に、遙かな高空にキラリとなにかが光った。
カヲルは夜空を見上げる。
そういえば仕合開始からずっと、下多賀老人は存在を秘匿しながら魔法詠唱に入っていた。いつでも止められたが、カヲルは撃たせるつもりでいた。いまこれを見ているツカサに、魔法使い同士の戦いがどんなものか、教えるために。
夜空を翔るなにかが、こちらへ迫ってきている。
大気のうなりが徐々に大きくなる。目を凝らしたなら、巨大な氷塊が燃え上がりながら、成層圏をつんざいてカヲルめがけて落ちてくる。
「隕石魔法と氷魔法の合わせ技か。はじめて見た」
「ジジイが長年、必死こいて研究した魔法だ、お前の負けぇっ!」
「うわー、これヤバいかも」
呑気そうにそんなことを言っているカヲルの頭上、巨大すぎる氷塊が表面に炎をまといながら、秒速一九万メートル、音速の五十六倍で落下してくる。
「服が燃えたらイヤだし」
カヲルはつぶやくと、えいっ、と一言、掛け声を掛けた。
「ぎゃっ‼」
光のロープに変化していたキジムナーが悲鳴と一緒に千切れ飛ぶ。通常の魔法使いには絶対に解けない拘束なのだが、魔力の桁が違いすぎて、カヲルにとっては縒り糸に等しい。
カヲルはとん、と地を蹴って瓦礫の山を飛び越え、二回の跳躍で倒壊した校舎の背後、体育倉庫に到着すると、隠れて詠唱する下多賀老人の眼前に突っ立ち、にこりと笑む。
老人の顔のしわが、驚愕で深まる。
「なぜわかった……⁉」
下多賀老人は詠唱中も自らの魔力を秘匿する技を五十年以上も磨きつづけてきた。戦場において最強なのは、誰にも探知できない場所から攻撃魔法を放つ魔法使いだと信じている。だからこそ他の四人を囮に使って時間を稼がせ、自らは開始早々に隠れたのだが。
下水流家の継承者の返答は、残酷だった。
「これだけ大きい魔法なら、探知できちゃうよ」
そんなバカな、という言葉を下多賀は飲み込む。どれだけ詠唱時間のかかる魔法であろうと探知できないよう、長い研鑽を自らに課してきた。半世紀に及ぶ努力が、わずか十代の少女に及ばないなんて。
くっ、と唇を噛む下多賀老人の首をめがけ、一切容赦なくカヲルは鬼切を横一線に薙ぐ。
首の切断面から血潮が噴き上がる。
「星の裏側」での死はすなわち、現実への強制帰還を意味する。首だけになって夜空を舞う下多賀老人は、自分が幾千万の発光する微粒子へ変じていくのを感じながら、改めて魔法使いの基本を思い出す。
わずか一代の努力など、下水流家が二千六百年間かけて継承してきた血脈の前では塵芥に等しい。一族のなかでも特に資質に秀でた「継承者」が努力を積み上げ、増進させた能力を次代へ繋ぎ、五十八代に渡って磨き上げられた高貴すぎる血がカヲルの体内を巡っている。凡才による五十年の努力が、五十八人の天才による二千六百年間の研鑽に叶うはずがなかった。
「……理不尽、よな……」
そんな恨み言を残し、下多賀老人は先ほどのアースドラゴンと同じく、空間へ溶け落ちた。
落ちてくる氷塊もまた、詠唱者の退場に合わせて砂のように消え失せ、静かな夜空が舞い戻る。
下多賀老人が溶けて消えた空間には、ネコと人間を足し合わせたような精霊、ケット・シーがふわふわ浮かんでいた。
「いまの魔法、けっこーすごかった」
カヲルが褒めると、精霊ケット・シーは満足げに口元を緩め、
「きみと組みたいニャ。きみがぼくを使ったら、もっとすごいのが出せるニャ」
ケット・シーのお願いに、カヲルは困ったような笑みを返す。
「うーん。終わってから考える。アースドラゴンもあなたも欲しいけど、あんまり契約しすぎるのも良くないし」
それから、周辺へ顔をむける。
無惨に倒壊した校舎群がギザギザに夜空を切り取って、あちこちから火の手があがり、火の粉まじりの煤煙が周辺を覆っていく。
すでにカヲルは瓦礫に隠れて迫り来る、みっつの影を探知している。
「三人、同時に!」「お、おう!」「アリちゃん、出番よ……!」
残った三人の魔法使い、悪魔アスタロスを操るリヒト少年、雨女と妖精ニミュを操る谷口、銀狼とアーリマンを操る苫米地主婦は個別戦闘を諦め、連携に最後の希望を託す。
カヲルは微笑んで、片手に握った鬼切を肩に担ぐ。
転瞬、いきなり空が雷雲に閉ざされ、すさまじい豪雨が視界を閉ざす。
降り注ぐ雨粒ひとつひとつが飛礫となって、常人であればその場に打ちのめされるほど。しかしカヲルの積層結界は貫通できず、カヲルの周囲だけが半球形に雨粒を弾く。
雨女を使用する谷口も、はじめから雨でカヲルをどうこうしようと思っていない。あくまでカヲルの視界を閉ざすための雨だ。
谷口はカヲルめがけて駆け込みながら手印を切って、おのれの身のうちに宿った精霊ニミュの力を解放する。
雷雲がいななく。直径五百メートルを超える巨大な魔方陣が青白く、雷雲の表面に浮かび上がる。古代文字の連なりに稲光が爆ぜ、その中心から放たれた巨大な稲妻が真っ逆さまにカヲルを目指す。
傍ら、苫米地主婦も手印を切って、身のうちに宿した精霊アーリマンの力を解放。
苫米地の瞳の奥底に暗い炎が宿り、瞳を乗っ取ったアーリマンは、漆黒の炎を両目から吐き出す。
暗い炎は蛇のようにのたうちながら、カヲルをめがけて突っ込んでいき、積層結界に衝突。
ぶわりと広がった炎は、光を吸い込みながら積層結界を食らう。爆発反応装甲が、アーリマンの攻撃に反応しない。結界そのものが攻撃と認識できず、一千層が瞬く間にアーリマンへ食い尽くされ、カヲルは生身を戦場へ晒す。
刹那、苫米地は銀狼の爪をカヲルの周囲へばらまき、一斉に斬りつける。
――相性が、悪くねえ。
アーリマンがカヲルの結界を剥ぎ取り、ニミュが雷撃を放ったことをゼロコンマ一秒のうちに把握したリヒトもまた、奥の手を使うべく、踵へ魔力を込める。
リヒトの身体が宙を舞う。
一気に高度二百メートルへ上昇したリヒトは手印を切って、アスタロスの力を解放。
リヒトの瞳が黄金色となり、電光が傍らに芽生え、それが二メートルほどの槍となる。
槍の穂先には暗い炎がまとわりついて、表面に稲光が明滅する。
――食らえ、下水流。
谷口、苫米地、リヒトは三者同時に呼吸を合わせて精霊を呼び出し、ほぼ同時に攻撃を仕掛けた。
アーリマンが積層結界を破壊したゼロコンマ一秒後、ニミュの雷撃がカヲルへ着弾。
さらにゼロコンマ一秒後、リヒトの投擲槍もカヲルへ着弾。
火球が芽生え、膨張していく。
街路樹も、半壊した上祖師谷高校も、住宅街も、生まれ出た火球に飲み込まれ、影絵のように蒸散。
マイクロ秒後、直径五十メートルを超える火球が爆発。
高層マンションを越える火柱が立ち上がり、同時に衝撃波が上空に立ちこめた雷雲と、上祖師谷地区一帯を放射状になぎ倒す。
走行中の自動車が木の葉みたいに中空へ吹っ飛ぶ。砕け散った数千万のガラス片が炎の色を反射しながら夜空を彩る。脱線した電車がミミズみたいにのたうちながら地を滑り、高層マンションは膝が抜けたように直下へ沈む。
爆心地である上祖師谷高校を中心に、半径五十メートルが蒸散し、その外縁の建築物群も衝撃波によって内縁から外縁にかけてドミノ倒しのように倒壊、火災発生。室内にこもった都市ガスが爆発し、誘爆が連鎖、家屋の内装や家財道具が燃え上がり、燃え移る。
目を覆いたくなる惨状ながら、逃げ惑う人々も、悲鳴も怒号も絶叫も、警察や消防のサイレンもない。
不気味なほどの静寂を伴ったまま、ただ上祖師谷地区が燃えている。
炎と煤煙、黒い雨の降り注ぐただなか、紅と紫紺の閃光が非常な高速で右へ左へ入り乱れ、高い金属音を無人の廃墟へ響かせる。
剣戟に伴う閃光だ。
およそ人間離れした速度で、無数の光線がそこかしこに幾何学模様を描き、閃光と共に激しい烈風が周辺へ爆ぜ、炎が渦巻く。
風と光と炎の中心に、魔法使い四人。
鬼切を構えたカヲルは、微笑みをたたえて跳躍。
カヲルの舞った航跡を、ニミュの放った雷撃の束が三つ、四つ、轟音を蹴立て空間を焼く。
「みんな強いねー」
カヲルの言葉はイヤミではなく、素直に感心した様子。
「なら、倒されなさいよ……‼」
いらだったように、苫米地主婦が銀狼の爪を振り下ろすが、カヲルは体捌きで避け、鬼切で弾く。
「はあ、はあ……」
火炎を避け、廃墟を駆けながら、五十代の谷口が息切れしはじめた。精霊を使役するほど宿主は体力と魔力を消費する。ニミュと雨女の力を使いすぎ、カヲルの動きに追いつけない。
カヲルは器用に攻撃を避けながら、残るひとり、リヒトを見上げる。
和知川原リヒトは新たな槍を構えたまま、高度三百メートルからカヲルに追随するだけで攻撃してこない。
「ワッチーはこれから、もっと強くなるね」
勝手にリヒトにあだ名をつけて、カヲルはとん、と地を蹴った。
その身体は空中で物理法則から外れた動きで反転、さらに重力も無視して、いきなりの加速で谷口と苫米地の狭間をすり抜ける。
「⁉」
驚愕するふたりを振り返り、カヲルは微笑む。
「楽しかったよ。ふたりともとっても強かった」
言葉と同時に、谷口と苫米地の首が飛ぶ。
胴体が二、三歩進んで崩れ落ち、先ほどの下多賀と同じく、微粒子のように溶けて消える。
それを確認することもなく、カヲルはリヒトを見上げ、
「これだけ長い時間アスタロスを使役して、まだ余力を残してる。やるじゃん」
独り言を呟いて、にこり。
「東京上空魔法バトル、やっちゃいますか」
勝ち気な笑みをたたえると、精霊ユニコーンの力を解放。
天翔る天馬の力が、カヲルの身体に充ちて――
カヲルは一気に高度三百メートルへ上昇。
突き出されたリヒトの槍を、鬼切の柄で弾く。
「きみが一番強いと思う」
言葉と共に、カヲルは夜空を跳ね上がる。あたかも夜空に不可視の階段を敷いたように、右足、左足、交互に踏み込むたびに五、六メートル、高度が上がる。
「遊んでんじゃねえ、継承者……‼」
リヒトは黄金色の瞳をたぎらせ、カヲルを追って夜空を翔る。
ふたりの魔法使いはジグザグに航跡を折り曲げながら、星空を飛ぶ。
「これ、遊びだし。楽しもうぜ~」
高度八百メートルに達し、カヲルは夜の東京を鳥瞰する。
直下、世田谷区北西部の大火災が、火の粉を噴き上げ燃え広がっていく。そのむこう、十キロメートルほど東方に、エイリアンの入植地じみた光の溜まり。楕円に広がる光を突き破り、魔王の塔のような高層ビル群が夜空を下から突いている。
火炎と都市光の織りなす凄絶な美しさに、カヲルの表情が輝く。
「あれが新宿? かっこい~」
見とれるほど美しい光景を、リヒトの声がかき乱す。
「余裕こいてんじゃねえ……っ!」
リヒトはカヲルをめがけて上昇しつつ、槍の穂先から漆黒の雷光を八方へ放射。
「肩の力、抜こうよ」
鬼切の一閃。
カヲルの周囲の空間が断ち切られ、アスタロスの雷光を別次元へ転送。黒々とした稲妻たちは空しく次元の裂け目へ消える。
「ナメんなっ!」
稲妻は囮、リヒトはゼロコンマ一秒で二百メートル上昇。突然の急加速により、リヒトのすがたが一瞬消える。
「ナメてない」
カヲルは大剣の柄頭をおもむろに、自らの後方へ突き出す。
刹那、槍の穂先がカヲルの柄頭に止められる。
「⁉」
カヲルの背後へ回り込んでいたリヒトが驚愕。カヲルは振り向きもせず、渾身の一撃を止めてしまった。
「きみの熱意が、ツカサくんにも欲しいね」
カヲルの上方に占位したリヒトの目に、地上を埋め尽くす火炎を背景にしたカヲルの微笑みが映し出される。
「笑うなっ‼」
リヒトは飛行しながら、槍を繰り出す。
「ごめん、楽しくて」
カヲルも飛行しながら、鬼切で槍をさばく。
リヒトは打ち合いながら詠唱を開始。
「堕天使ルシフェル および堕ちた七つの魂 バルベリト ドゥマ ラハブ」
アスタロスが持つ最強の魔法の発動まで、三十秒かかる。
この三十秒間を、カヲルと剣戟を交わしつつしのぎたい。
「わ、すごい。戦いながら詠唱できるんだ?」
カヲルは感心した表情で問いかけるが、返事のできないリヒトは槍を操りながら詠唱をつづける。
「メフィストフェレス メリリム ロフォカレ サリエル」
ここまで戦って、リヒトはカヲルの強さの一端に気づいていた。
――バケモノが、転移魔法を無詠唱で使ってやがる。
自分の肉体を一瞬にして別地点へ転移させるのは、難しい。普通の魔法使いなら二十秒ほどの詠唱が必要になる魔法だが、カヲルは無詠唱で高ランクの魔法を発動させている。
――アースドラゴンの火炎放射も、ニミュの雷撃も、無詠唱の転移魔法で逃れている。
――発動が早く、気配も読めない。チートすぎっだろ……!
あまりの強さに、リヒトは思わず愚痴ってしまうが。
――継承者が転移魔法の使い手なのはわかった。それだけでも収穫だ。
――まだまだ、力を暴き立ててやる……!
おのれを励まし、リヒトは打ち合いながら詠唱をつづける。
「我は剣なり 我は鉄なり 宇宙四方の裁定者なり」
突き出した槍の穂先を剣で跳ね上げ、カヲルは微笑む。
「ちゃんと詠唱が成り立ってる。すごく訓練したんだね、頑張り屋さんだ」
余裕がありすぎる。あたかも、この剣戟だけでいつでもリヒトを仕留められる、とでも言いたげな。
――完全にナメてやがる。
カヲルはアスタロスの詠唱魔法ごとき、受けても構わないと思っているのだ。だからリヒトのチャンバラにあえて付き合っている。
――この女、泣かす。
詠唱は、あと三節。そのまま笑っていろ、バカ女。
「我はアスタロス 光を憎むもの 狡猾な破壊者 地と海を苦しめるもの」
リヒトの周辺の空間が再び一千の渦を巻き、今度は漆黒の剣が数千、空間から現出した。
カヲルの剣を槍の石突きで跳ね上げ、そのまま槍を旋転させて、カヲルの心臓めがけて突き出す。
詠唱は、あと二節。
「無量の剣以て 裁定を下さん」
カヲルは打ち合いをやめて後方に退避、近くにあったマンションの骨組みに突っ立ち、にこりと笑う。
「無限に撃つヤツだ。かっこいいね」
リヒトはこめかみに血管をたたえ、最後の一節を詠じる。
――消し飛べ。
「鋼鉄の雷撃」
刹那、千の渦から漆黒の剣がカヲルをめがけて射出される。
一斉射ではない。渦からは次々に新たな剣が現出し、二斉射、三斉射、連射する。
三千、四千、五千……泉のように湧き出る剣が、秒速六百メートルでカヲルめがけて襲いかかる。あたかもリヒトの周囲の空間に一千の重機関銃が据えられたような、すさまじすぎる鋼鉄の濁流。
カヲルは逃げない。
マンションの骨組みに突っ立ったまま、迫り来る千万の剣を眺める。
鋼鉄の溶岩流はマンションに激突。
コンクリートも鉄骨も切り刻まれる。かろうじて残っていた低層階も蜂の巣となり、粉塵を噴き上げて腰が崩れる。
剣の豪雨はやまない。
マンションを粉微塵に解体してもなお、二千、三千、鋼鉄の奔流が廃墟と化した世田谷区を鞭のようにしなりながら切り刻んでいく。
剣の濁流の行く先に存在する瓦礫の山が、さらに粉微塵に粉砕される。断ち切られた電線が火花を吹きあげ地上をのたうち、立ち上った火炎が車両やタンクローリー、ガソリンスタンドに引火して爆発、破壊された消火栓が水柱を吹き上げ、噴煙と粉塵が地上の業火に焚きあげられて天を閉ざす。
やおら、鋼鉄の濁流が地上への破壊をやめ、上方へ持ち上がり、サーチライトのように星空をまさぐりはじめた。
射出される数千、数万の刀身はカヲルを求めて旋回し、いきなり地上すれすれへ倒れ込んで横殴りに加速、行く先の民家、ビル、マンションの横腹を食い破り、薙ぎ払う。
市街地を誘爆の渦に巻き込みながら、鋼鉄の濁流が目指す先、カヲルが鬼切を片手に握って、戦闘機さながら星空を翔る。
常人の視力ではとても、カヲルの動きは追えない。半壊したビルの壁面を蹴って針路を小刻みに変え、稲妻じみたジグザグの航跡を描き、蹴りつけるたびに速度が上がる。
炎上する都市を舞台とした、音速の舞い。
凄絶な破壊を背景に、鋼鉄の濁流を背後に従え、下水流家の継承者はあくまで優雅に戦場を翔る。
――格が違う……‼
発光する直線と曲線がめまぐるしく折り重なり、視認できないほどの高速で描かれる天空の演舞に見とれた直後、吾に返ってリヒトは罵る。
「遊んでんじゃねー、継承者……‼」
悔しくて、思わず声に涙がにじむ。
アスタロスと同調し、その能力を十全に発現させるため、血のにじむような訓練を重ねてきた。しかしその努力も、継承者の前ではお遊戯の演し物にすぎない。あらゆる魔法使いの頂点に立つために捧げたリヒトの時間は、カヲルを面白がらせているだけだ。
「本気で立ち会えっ‼」
叫んだ瞬間、リヒトの眼前に「鬼切」を振り上げるカヲルがいた。
「⁉」
音速の一閃。
「もう一回言うね。きみは強くなるよ」
リヒトの胴体を両断し、カヲルはリヒトに顔を寄せ、呟いた。
高速で逃げると見せかけ、転移魔法を使われた。普通ならば魔法の発動を感知して予測できるが、全くその気配を感じ取ることができなかった。自分の敗因はそれだけだ。
真っ赤な微粒子に変じながら、リヒトはかろうじて、憎まれ口を叩く。
「いつか、お前に勝つ」
本当にふざけた連中だ、継承者というやつは。こちらのとっておきの切り札も、魔力を上手く運用するだけで打ち破ってしまう。おれの努力なんてたかが十七年、二千六百年かけて天才たちが磨き上げてきたこいつの血から見たならば、よちよち歩きの赤ん坊以下なのだろう。
――チートすぎっぜ、お姫さま……。
悔しさで細胞が沸騰しそうだ。おれが「ウラ」から消えたなら、アスタロスはカヲルに奪われる。第五階級「力天使」クラスの精霊を放流するヨビトクがいるはずもない。長い間、おれと一緒に成長してきた相棒を、こんなにあっけなく失ってしまうなんて……。
――おれが甘かった。
――下水流家の継承者を軽く見ていた。その結果、アスタロスを奪われた。
――許せ、アスタロス。けど、いつか絶対、奪い返してやっから……。
リヒトの視界が溶け崩れていく。この世界の肉体が破壊された以上、「ウラ」から離脱せざるを得ない。長年付き添ってくれたアスタロスへ詫びながら、リヒトの意識は「星の裏側」から消えていった……。
†††
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