2章 星の裏側(1)


二.星の裏側


 なんだ、いまの?

 朱色の粒子が個室内に充ちて、ぼくの存在が崩れ――また元に戻ってる。

「出るよ」

カヲルはなんの説明もないまま、ぼくと一緒に個室を出る。

「……………………」

 目の前にはさっきと同じ、ひなた荘203号室。

「じゃ、パーティーに行こう」

カヲルはぼくを促し、外廊下を歩き抜けて、張り出し階段を降りる。

 ぼくは狐につままれたまま、なんとなくカヲルの背について行き、

「いまの、なに?」

「移動したの。出入り口がトイレってセンス最低よね。でもこれ作ったひとたち的に、そこじゃないとダメみたい」

 移動などしてない。ぼくの目に映っているのは、住み慣れたぼくの街だ。

 いつもの街並みに、変化はなにも……。

「…………ん?」

人通りが全くない。それから、妙に静かだ。信号が青なのに、車が路上で静止している。

「どうかした?」

傍ら、カヲルが悪戯っぽい笑みをたたえて、ぼくを見やる。

「少し……様子がおかしい」

「どこが?」

「……誰もいない」

「うん。そうじゃなきゃ、困るから」

 相変わらず意味のわからないことを呑気そうに言って、カヲルは後ろ手を組んでぶらぶら、学校のほうへ歩き出す。

「あっちにいると思うんだよねー」

「………誰が」

「わたしと戦いたいひとたち」

 さっきからぼくにできるリアクションは、首を傾けることだけ。

「歩きながら説明する~」

 カヲルは安穏と道を行く。

ぼくはカヲルの背中を見やって、溜息をこぼし、あとについていく。

 やはりいま、この町はおかしい。生まれ育った場所だからこそ、ぼくの肌が違和感を伝えてくる。通りに居並んでいる店や家もぼくが目にしてきたものと全く同じ配置と形状なのだが、しかし決定的になにかが違う。

 が、なにが違うのかを言語化できない。

 カヲルは前を見つめたまま、

「魔力の元って、血なの。サラブレッドと同じで、相性の良い血統を掛け合わせてより優れた子どもを作るのが魔法使いの使命みたいになってて。でも血で継承できるのは魔力と基本的な魔法だけで。いろいろな種類の魔法を使うためには、『精霊』と契約する必要があるの。『精霊』も魔法使いと契約することで自分を成長させられるから、より強い魔法使いとの契約を望んでて」

 つらつらと説明の言葉を並べるが、ぼくの耳にはあまり入ってこない。意味のわからない話より、目の前の光景の異様さのほうがどうしても気になる。

道は通学路に入った。車が三台、路上で停止している。追い越すときに運転席をのぞき込んだら、誰も乗っていなかった。

 なんだ、これ。

「んで魔法使いは、倒した相手の精霊を奪うことができるのね。だから魔法使い同士が出会うと、相手が育てた精霊を奪おうとしてケンカになる。でも町中で魔法使いがケンカしたら建物壊れるし市民に死傷者が出るし、秩序を維持できない。それで大昔に上水流家と下水流家、併せて『水流家』の超強い魔法使いが現実世界を平行世界にまるごとコピーペーストしちゃったの。信じられないだろうけど、昔の『水流家』ってそういうことできるひとがゴロゴロいたみたい。で、魔法使い同士の戦いは、その平行世界で行うことに決まったの」

 夜の通学路に夜風が吹き抜け、並木がざわめく。

 すれ違うものはいない。人間はもちろん、犬猫さえも見かけない。

 生活に伴う音や温度みたいなものが、この街並みからきれいさっぱり抜け落ちている。

「それがここ、『星の裏側』。ここならどんだけ暴れても誰にも文句いわれないから、思う存分やっちゃって」

誰が、なにを。

 完全に他人事としてカヲルの説明を聞き流しながら、ぼくは薄気味悪い街を歩く。

 すると。

「お、いた。やっほー」

 カヲルが前方の暗がりへむかい、笑顔で手を振った。

 道の先、複数の人影が並んでいる。ようやく生きている人間を見つけて、こころなし安堵した。カヲルと待ち合わせしていたのか、数名の人影が手を振り返す。

「あれ、誰?」

「魔法使いのみなさん」

へえ、と鼻の先で返事して、改めて人影を見やる。

 近づくにつれて、街灯の光が五つの影を明らかにする。

「こんばんはー」

カヲルは人影へ挨拶。

「こんばんは」「今日はよろしく」「はじめまして、こんばんは!」

老人、主婦っぽいおばさん、サラリーマン風の二十代後半の青年、五十代くらいの中年男性、ヤンキーっぽい少年がぼくたちを迎え入れた。

 紺の甚平を着た七十代くらいの老人が、にこやかにカヲルを見上げ、

「下多賀米三と申します。まさかこの年になって下水流家の継承者に再びお目にかかれるとは。若い頃は何度か、袈裟彦氏とともに『外敵』と戦ったことがございます」

「わ、そうなんですか⁉ 長老、元気ですよ!」

「あのかたは年を取りませんな……。もう百を超えておられるはずですが」

「はい、全然ぴんぴんしてて、みんなに怖がられてます」

「いやはや、下水流家直系の血というものはまこと、驚くべきもの。うらやましいやら、恐ろしいやら……」

カヲルはにこやかに、初対面とおぼしい大人たちと会話をはじめた。ひときわ大声で話しているのは、四十代くらいの太った主婦だ。

「すごいひとが来たのは気配でわかったんだけど、ヨビトク掲示板に『下水流家のお姫さまが上京してきた』ってあって、わたし舞い上がっちゃって! 勝てるわけないけど、ほら、人生の記念になるでしょう? だから思い切ってきちゃったの、あ、良かったら写真一緒に!」

 主婦は有無を言わせずカヲルと顔を接近させて、自撮りする。よくわからないが、カヲルは彼らの間では有名人であるらしい。

「お姫さまとかじゃないですよー。普通です普通。あ、あと、彼は見学です! 能力はあるんですけど、まだヨビトク登録してなくて。ほらツカサくん、みなさんに自己紹介」

 不意にカヲルに背を押され、ぼくは見知らぬ五人の前へ引き出される。

「あ、神門ツカサ、高校二年です。……今日はよろしく」

意味が掴めないまま、とりあえず挨拶すると、五人のほとんどは愛想のよい挨拶を返してきたが、一名、金髪で坊主のヤンキー少年だけは厳しめの目つきでぼくをにらんでいる。

「………………」

 なぜにらんでくる? ぼくなにもしてないけど。でもヤンキーだからこれが通常運転なのかもしれない。

 ていうかこのひと、絶対お近づきになりたくないタイプだ。筋骨隆々、というわけではないが、タンクトップから突き出た両腕は鍛え上げられ、血管がびっしり浮き出ている。目つきは悪いしピアスあけてるしアクセサリーもどぎついし、他の四人とは明らかにタイプの異なる人種。

 と、スーツを着たサラリーマン風の青年が、にこやかに声を張った。

「さて、仕合前にあまり馴れ合うのもなんですし、さっそくはじめたいのですが。招待状はみなさん、模擬仕合で出してますよね?」

「おれは真剣で」

 問いかけに、金髪坊主が即答した。

 と、ほかの四人が渋い表情。

「真剣仕合だとお姫さまが有利ですよ。持ってる精霊の質も数も、我々と桁が違うし。状況に合わせて最適な精霊をその場で出されると、こっちは苦しい」

 サラリーマン風の青年の言葉につづいて、スポーツウェアを身につけた五十代くらいのおじさんが口を挟む。

「模擬仕合なら予め、使う精霊がわかってるから、どんな攻撃をしてくるか予測できる。まあ、こっちの手の内もバレるわけだけど。でもわたしたち五人も初対面だし、お互いがどういう攻撃をするのか知っておけば連携もできる。なにより、持っている精霊を全部取られるのは厳しい。模擬仕合に賛成」

 主婦と老人も、その意見に賛成した。金髪坊主は苛立たしそうに、

「……ヌルすぎっだろ。おれはお姫さまと戦う機会を何年も待った。やっと巡り合ったってのに、ちんたらやってられっか」

 主張するが、ほかの四人は受け入れず、長い議論がはじまってしまう。

 騒ぎを眺めながら、ぼくは傍らのカヲルに問う。

「日本語に翻訳してもらえるかな」

「ルールを決めてるの。模擬仕合は、使う精霊を予めみんなに教えるやりかた。仕合に勝った魔法使いは、負けた相手が事前に提示した精霊を取っていいの。で、真剣仕合は、持ってる精霊を何体でも使っていいけど、負けたときは持ってる精霊を全部相手に奪われる」

 うーん。なるほど。まあ、とりあえずいまは理解できなくても、聞くだけに徹しよう。

 けんけんがくがくの議論の末、ついに金髪坊主が折れた。

「……クソっ、根性なしが。……東京のヨビトクはふぬけしかいねーのか」

悔しげに独りごちる少年を傍目に、青年がにこやかな表情をみなにむけた。

「では模擬仕合ということで。後出しは、アリにしますか?」

「アリで」「アリがいいですっ」

「模擬仕合、後出しアリ。みなさんオーケーですね? では、せーの、で」

一同も頷き、「せーの」と声を合わせると。

「……⁉」

 ここに居合わせたなかで、ぼくだけが目を見ひらいた。

 ほかは全員、当たり前の表情で、いきなり空間に出現した得体の知れないなにかを眺めている。

なんだ、これ。

 引きつるぼくへ、カヲルが微笑をむける。

「解説しよう。これが、精霊である」

テレビ番組のナレーションのような、説明口調。

「魔法使いは通常、複数体の精霊を宿している。精霊をたくさん宿すほど、使える魔法の種類も増える。でも、宿しすぎると精霊に精神を乗っ取られる危険がある。一般的に、普通の魔法使いは二、三体、優秀なもので五、六体の精霊を宿している」

説明を聞き流しながら、ぼくはその場に出現した「ぼんやり光る動物みたいな変なの」を眺める。

 各人の目の前に、それぞれ一体から二体、「精霊」なるものがふわふわと浮かんでいる。

 かたちも色も、それぞれ違う。

幽霊っぽいの、ネコっぽいの、人間っぽいの。他にも剣とかドラゴンとか、見たこともない妖怪っぽいのとか。

カヲルを含めた六人の魔法使いたちも興味深げに、この場に浮揚する精霊たちを観察して言葉を交わす。

「うわっ、雨女ですか。レアですね、いいなー。百年ものですかね」「百二十七年です。日曜日に使うといいですよ、子どもと外出せずに済んで。そちらこそもしかして、アースドラゴンの二百年もの?」「百六十年です。これだけは出したくないですけど、でも下水流家が相手なら出しちゃおうかなと」「それは豪気ですなあ。あー、でもわたしもアースドラゴンの年代物欲しいな~。よかったら下水流さんの前に、わたしと手合わせしません?」「いえいえ、さすがに雨女とは」「あなたさっき羨ましがってたのに!」「いやいや、雨女とは釣り合いませんよ、さすがに」「えー、おじいちゃん、それ、キジムナー⁉ うわー、かっわいい~。観賞用にも良さそう!」「こいつは意志がありましてな。会話できますよ。ほれ、しゃべれ」『こんにちはババア、ぼく、キジムナー』「ひゃあ、喋るタイプ⁉ 声、赤ちゃんみたいでかっわいーー! もっと喋って!」『ねえババア、ぼく、かわいい?』「かわいい声と仕草でババアって呼ぶのね‼ 腹立つわ~」「あなたもこれ、銀狼でしょう。良いですなあ、狼の眷属は常々一体、所望しておりました」「ルーちゃんって呼んでますの、かわいいんですよ、この子、実体化もできるんです、もさもさのふわふわで、夜はこっそり一緒に寝るんですよ~」

わいわいがやがや、年齢も性別も異なる大人たちが互いの精霊コレクションを品評しあっている。端から見ているとカードコレクションを自慢する小学生と大差ない。彼らの話題はやがて、カヲルの前に並んでいる二体の精霊に移った。

「おお、ユニコーン……。はじめて見ます。さすが下水流のお姫さま、精霊もオシャレですなあ……」

「……こちらは七支刀の精霊ですな。刀剣類の精霊は何体か見たことがありますが、これはまた見事な……」

「『鬼切』っていいます。はじめて自分で捕まえた精霊だから、かわいくて」

 カヲルの説明を受け、おじさんと青年は感嘆の声を並べて、うすぼんやりと発光しながら虚空を漂う剣と、角の生えた馬を羨ましそうに見やる。

 カヲルの背丈ほども長い刀身から、小さな六つの刃が枝のように突き出ていた。緩く湾曲する漆黒の刀身には黄金色に光る奇妙な文字が浮かんで、柄の部分は現代的なセラミック加工。華奢なカヲルが持つには大きすぎる感じが。一方、馬は実物大サイズだが、微粒子の粗い集合体であって、発光する綿菓子のように見える。このままでは手に取ったりまたがったりは出来なさそう。

「いやあ、これは雨女ではちょっと敵いませんねえ」

「アースドラゴンには自信ありますが、うーん、ユニコーンと鬼切が相手だと、うーん……」

 おじさんと青年が悩みはじめた。話を総合すると、要するに自分たちの精霊を出し合ってカードバトルみたいなものを行い、勝った人間が場に出した精霊を自分のものにするのだろう。

 で、カヲルの出した精霊は、他の五人が逃げ腰になるくらい強いカードだった、と。

「キジムナーでは無理ですのう」「ルーちゃんは、がんばってくれるだろうけど……お別れするのはイヤだしねえ……」

老人とおばさんも、途端に意気消沈をはじめた。自分の精霊には愛着もあるだろうし、負けて奪われるのはキツい様子。

 目の前の光景にいまだ現実感を抱くことが出来ないまま、ぼくはただここにいる人間たちを観察するのみ。本来なら精霊の存在を目の当たりにして腰が抜けるべきなのかもしれないが、ぼくはなぜかそれほど驚きがない。カヲルがトイレから現れて以来、驚くことが多すぎて、異常事態に慣れてしまったのかも。

一方、金髪坊主はユニコーンと鬼切を間近から観察し、カヲルに問う。

「これ……主力じゃねーだろ?」

「え、よくわかったね。もしかしてルックスに似合わず看破スキル持ち?」

「ルックスは関係ねえ。本気で来い、主力を出せ」

「んふふ~。この子らに勝てたら次回、考えてもいいかな」

カヲルのにやけた答えを受け止め、金髪坊主はすさんだ目つきをさらに底光りさせ、カヲル本人を観察。身体を透過するような鋭すぎる視線をしばらく突き立て、

「……全部で十体以上。主力は上級三隊が二、三体。……熾天使クラスの精霊もいる」

「ふふーん。どうでしょう?」

 カヲルがはぐらかすと、金髪坊主は悔しげに表情を歪ませる。

「……ファーストランクを一体宿せば、おれでも食われる。そんなのを複数体宿したうえに、下水流家の継承魔法が加わるわけか。……話には聞いてたが、本物のバケモンだな」

「きみ、失礼だね、カヲリンって呼んで。……で、どうする? 降りる?」

「……ざけんな。ここまで来て降りられっか。……後出し、いいな?」

「おっけー」

 カヲルの答えを受けて、金髪坊主は他の四人の魔法使いへ目を送った。

「……お姫さまはおれたちを甘く見てる。この場に出した精霊は主力じゃねえ。てことは、おれら五人が協力して戦えば勝ち目も出てくる。……ここは本気で、主力を使っていい場面じゃねーか?」

その言葉に、大人たちは目線を交わし合う。どうやらカヲルひとり対この五人、という図式らしい。傍観者からすると、カヲルが不利なように見えるけど。

「おれの主力は、これだ」

 金髪坊主がそう言って、そろえた中指と人差し指を空間へ走らせる。

 光の粒子がさざめき、翼の生えた子どもみたいな奇妙な生物がふわふわ、金髪坊主の眼前に浮揚した。

 体長は一メートル半ほど。他の精霊は明るい色合いで明滅しているが、この精霊は黒っぽいもやの奥で、わずかに小麦色の脈動が見える。頭部に羊のような角があり、昔の聖者が着るようなローブを着て、背中には翼。ややうつむいた顔の奥に、黄金色の眼差しが獰猛な色をたたえていた。

 カヲルの表情が輝く。

「なにこれ、かっこいい……!」

「……アスタロス。中世期は天使として宗教画に描かれたが、実際は堕天使。七百年モノだ、せいぜいビビれ」

金髪坊主の言葉に、カヲルは何度も頷きを返す。

「亜空間から武器引っ張ってくるヤツだね、かっこいい~。やっぱ東京の精霊はいろいろいるねー。肌の質感と翼がステキ、強そう、欲しい~」

「……誰がやるか。こいつでお前をつるっつるに剥いてやんぜ」

「うへ~。ちょっとヤバいかな、すごい強そうだねこの子、うわ~、鬼切とユニコーン、取られたくないな~」

 カヲルは危機感ゼロの表情で、アスタロスという悪魔みたいな精霊を観察している。

他の四人もアスタロスの出現を受けて、少しばかり態度に変化が出てきた。

 雨女とかいう精霊を出したおじさんが思慮深げな顔で、

「アスタロスですか……。協力すれば勝ち目もありそうですね……。ではわたしも僭越ながら後出しで……」

 空間に指を走らせて、漢字みたいなものを描く。

 すると緑色の粒子が爆ぜて、体長三十センチくらいの、ドレスに身を包んだ少女の精霊が現れた。全体が黄金色に発光していて、おとぎ話に出てくる妖精そのもの。

「アーサー王伝説に登場したニミュという精霊です。湖に住んでいて、円卓の騎士ランスロットの守護精霊として知られていました」

 おじさんが誇らしげに胸を張ると、青年がわめく。

「あなたそんなすごいのを持ちながら、雨女でアースドラゴンと戦おうとしたんですか⁉」

「あぁ、いや、あなたがあんまり雨女を褒めるから、もしかしたらいけるかなと思って」

「うわー、油断ならないな~。やっぱヨビトクは信用しちゃダメだ~」

盛大にぼやく青年の傍ら、老人も新たに空間へ文字を描き。

「ではわたしもとっておきを」

 王冠をかぶり、杖を持ち、マントを羽織って王様みたいな格好をしたネコが、頬杖をついてふわふわ、空間からにじみ出るように現れた。

「ケット・シー。かわいらしい見た目ですが、魔法の実力はみなさんご存じでしょう……」

 うわあ、とまたその場がざわめく。これもどうやら有名らしい。

 おばさんが頬を紅潮させて、

「これはもしかしたらもしかしちゃうかも。こうなったらあたしも、切り札いっちゃうしかないかな~」

いきなり元気になって、空間へ絵文字みたいなものを描き。

 体長四十センチくらいの蛇みたいな精霊が現れた。黒々とした炎が蛇の表皮を覆っていて、頭部には金色の目が三つ。

「アーリマン……あたしはアリちゃんって呼んでるの。小さいけど強いのよ~」

にこやかに述べるおばちゃんの精霊を見て、老人とおじさんと青年が同時にのけぞる。

「あんた、こんな強いの宿してて、よく食われんかったですな⁉」「ゾロアスター神話に出てくるやつですね、うわっ、こわっ!」「やべえ、おばさん、どんだけ強いの⁉」

 ぼくには全くわからないが、彼らの反応を見るに、スーパーの特売で人垣をおしのけていそうな太った主婦が、このメンツでは一番ヤバいということらしい。

 金髪坊主も興味深そうに燃えさかる蛇みたいなものを観察し、

「別名アンラ・マンユ……。創世神話では創造神として登場する。……だがオリジナルじゃねえな、コピーだ」

 この金髪少年、見た目は不良だが精霊に関する知識が豊富だし、解説にも知性が感じられる。実は勉強熱心なのだろうか。

「そうそう、コピー品だからあたしでも宿せるの、だから大したことないのよ、おほほほ」

 空々しく笑うおばちゃんを、他の四人はうさんくさそうに見やる。カヲルも言っていたが、あんまり強い精霊を宿していると乗っ取られるとかなんとか。強い精霊は強い魔法使いでないと宿せない、ってことなんだろう。

 カヲルもしげしげとアーリマンなる精霊を観察して、感心したように、

「みんなレアなの持ってるな~。わたしも後出しいい?」

ほがらかに笑いながらそう頼むと、五人は一斉に顔を歪ませ、

「ダメじゃ‼」「あなたはダメ‼」「もうダメ、ここで終わり、これ以上追加するの禁止‼」

 必死の形相で、カヲルが新たな精霊を出すのを禁じる。

 小学生の集まりか。

という言葉を飲み込み、ぼくはただひたすら一連のやりとりを傍観。ここまで見た感じ、明文化されたルールはなく、お互いの話し合いでルールを決めている様子。

 カヲルが苦笑いしながら、一同を見回す。

「じゃ、これで全部でいいですかー?」

「異存なしっ」「うけたまわりました」「おっけーでーす」「いいですよー」「おっけ」

 カヲルの問いかけに、老人、おじさん、青年、主婦、少年が了承を返した。

「じゃ、審判呼びまーす」

 呼びかけと同時に、カヲルをいれた六人が同時に、虚空へ文字を書きつける。

 それぞれが描いた奇妙な模様が空間で合体し、一瞬、世界が白に染まった。

 つづけて、白の中心で黄金色の火花が散った。ひゅう、と夜風が一陣、吹き抜ける。

 突然――。

「くそが、呼ぶなウゼ~」

その場に新たな女性の声が加わった。

 ひとり、右目を髪で隠した二十代前半くらいの女性が暗がりから現れ、くわえタバコで歩み寄りながら、けだるそうな言葉を吐く。

「仕事だから仕方なく来てやったぜ、泣いて喜べグズども」

 ボン、キュッ、ボンと音を立てる黒のスリムスーツ、思い切りあけたYシャツの胸元は深々とした谷間が露わ。持って戦えば武器になりそうなハイヒール、胸元や指先にアクセサリーを散らし、金髪の隙間から外界を睨む朱色の瞳は尖った殺気が冷たく充ちて、美人なのだが退廃的なけだるさをまとう。

 彼女をひとめ見て、カヲルが素っ頓狂な声をあげた。

「リリカが審判⁉ えー、なんでなんで⁉」

 知り合いらしい。リリカと呼ばれた女性は、ふん、と鼻の先で笑うと、右目に覆い被さった髪を掻き上げ、

「偶然だバカやろ、できれば来たくねーよ」

「えー、ウソ、いくらなんでも偶然すぎるよ~。もしかして見張ってたりする?」

「うるせえ、黙れ、偶然ってことで納得しろ。……ここだけの話、お前が来たから上がヒリついてる。下水流のお姫さまになにかあったら左遷だし。長老、いまの警察庁長官より力あんだぜ? ウケる~」

「やっぱ長老一派が見張ってんだ~。うっとうしいなあ~」

「諦めろ。お前がここにいるってな、東京にゴジラいんのと同じだし」

「ひどい! わたし、町中で暴れたりしないし! こうやってちゃんとウラでやってるし!」

「はいはい、いつまでもそうしてろ、無理だろうけど」

 リリカはけだるそうにそう言って、じろっ、とぼくを左目だけで一瞥。

「よう、王子さま」

「え……?」

「事情は知ってる。今日は見学してろ」

 短く告げて、リリカは居合わせた全員へ警察手帳を示し、虚空へ文字を書きつける。

空間に青く浮き出た六つの紋様が、参加者六名の面前へ移動して、ふわふわと浮揚した。

 リリカが声を張る。

「令正四年付、警察庁警備局公安一課異能犯罪対策室公認仕合、第八十七号。管理者、警視庁公安部公安十三課、征矢原リリカ警部補。仕合に参加する予備特務員は、氏名と認定番号、使用する精霊の宣言を」

 事務的に告げると、一同は慣れた様子で自分の精霊を前面に並べた。

 老人は「下多賀米三。B;七番。精霊はキジムナー、ケット・シー」

おじさんは「谷口誠也。C;十四番。雨女、ニミュ」

青年は「風呂内淳二。C;二十番。アースドラゴン」

おばさんは「苫米地聖子。C;十八番。銀狼、アーリマン」

金髪坊主は「……和知川原リヒト。B;二十二番。ブラスソード、アスタロス」

それから「下水流カヲル。S;五番。ユニコーン、鬼切」

最後のカヲルの言葉が終わると、最初にリリカの描いた紋様が参加者それぞれの胸にぶつかり、体内へ溶けるように吸い込まれた。よくわからないけど、宣誓の儀式のような。

 ぼくに構わず、他の五人はみひらいた目をカヲルにむける。

「S級って、公安レベルでは⁉」

 おじさんが質問をカヲルに浴びせる。リリカはぷーっと支援を吐き出し、

「下水流家の継承者だぜ、Sでも低いくらいだ。文句あんならぶっ倒せ」

五人は驚いた顔を見合わせて、それから円陣を組み、ひそひそ相談する。

「これ、どうします? ほんとに大丈夫ですかね。わたし、ニミュを失ったら三日三晩は寝込みますけど」「あたしだって、アリちゃんいなくなったら悲しくて泣いちゃう……」「いや、でも、格付けが高くても、使う精霊はそんな飛び抜けて強いわけでもないですし」「……精霊はあくまで付属物、推進装置は本人の魔力だ。ぱっと見は自転車でも、超高出力のエンジン積めば、空飛べっぜ……」

 金髪少年、和知川原リヒトくんの顔に似合わない比喩を受けて、おのおの、深刻な表情を付き合わせると相談に相談を重ね。

 いつまで経っても相談は終わらず。

「いまさら迷うな、さっさとやれ‼ ぐだぐだしてっとケツ蹴っぞ‼」

 公安警部補から強めに促され、五人は苦しげな表情を寄せ集め、仕方なさそうに頷いた。

「……でも、五人で協力すれば、わからないですよ」「そうそう、精霊だって、下水流さんのより遙かに強いし!」「裏切りなしで、協力しましょう、ね⁉ 下水流さんに勝てば格付けがあがるし!」「……この女の精霊をぶんどれば、おれの名前が上がる。のしあがるチャンスなんだ、逃げられっかよ」

金髪坊主リヒトが自分に言い聞かせるようにそう言うと、周りの大人たちはおずおずしながら、

「……いえ、はい、やります」「でも、あの、下水流さん、その、もしあなたが勝っても、あの、アースドラゴン、大切なんで、その、放流してもらえると……」「そ、それならニミュも!」「アリちゃんも、あたしになついてるから! 勝手なお願いだけど! そのときは放流……」

 なにやら嘆願する一同を、またリリカが怒鳴る。

「取られるの怖がってたら、ヨビトクなんかできねーぞ! 奪われたら奪い返せ!」

 黙って突っ立っていればかなりの美人なのだが、このひと、怒ったときの顔面が阿修羅みたいでとても怖い。

しおれ加減の大人たちのなか、金髪坊主リヒトはひとり、覚悟を決めた表情。

「……魔力の根源は魂の熱だ、精霊を奪われようが、魂まで奪われるわけじゃねえ。ぐだぐだいってねえで、はじめようぜ……‼」

 リリカは「おー」と満足げな声を発すると、片手でわしわし、リヒトの頭を撫でる。

「いいね少年、お姉さん応援すっぜ~」 

「気安く頭撫でんな! さっさとはじめろ、おれとアスタロスの力を見せてやる……!」

 真っ赤な顔で手を払いのけるリヒトを「にひひ」と見やって、リリカは改めてみなに向きなおり、こほんと咳払いしてから、面倒くさそうに告げた。

「これより予備特務員六名による公式模擬仕合を行う。ひとつ。使用する魔法は、事前に宣言した精霊由来の魔法に限定する。ふたつ。使用した精霊の所有権は敗者から勝者に移る。みっつ。勝者は精霊に対して 1.所有 2.譲渡 3.放流 のいずれかを選ぶ」

 すでに何度も何度も繰り返した内容なのだろう、メモも見ることなくすらすらと、ルールのようなものを述べる。言ってる本人も「どうせ聞いてないだろこいつら」という投げやりな態度、聞く方も「聞き飽きた」「言われなくても知ってる」といわんばかり、形式的な言葉がむなしく響く。

「……以上、終わり。んじゃお前ら、あとは仲良くケンカしな」

 めんどくさそうな説明は、その言葉で終わった。

 と、場の空気が一気に変わる。

「はじめ~」

 リリカの間延びした合図が発せられた瞬間。

発光しながら空間へ浮かんでいた精霊の大半が、カヲルと五人の魔法使い、それぞれの身体へ吸い込まれた。

 カヲルが出した鬼切とかいう剣は、カヲルの手に収まったまま、外界へすがたをさらしつづける。他にも二、三体、その場に残ったままの精霊もいる。

 老人とおじさんはその場から逃げるように距離を取った。金髪坊主は両手を合わせて、なにやらもごもご呟いている。青年とおばさんがカヲルの眼前に居残って、そろえた中指と人差し指を空間へ走らせる。

 それから――。

 なにが起きたのか、ぼくはただひたすら、わけがわからなかった。

 なんていうか、地獄みたいな光景のまっただなかに取り残されて、ぼくはひとりだけ蚊帳の外で、めちゃくちゃに破壊されてゆく町をバーチャルリアリティみたいに眺めていた。

 炎とか、爆風とか、地割れとか、吹っ飛んだ屋根瓦とかがぼくめがけて容赦なく襲いかかってきたが、ぼくは半球状のバリアみたいなのに守られて、傷ひとつつかなかった。

 ぼくの隣には、同じくバリアに守られたリリカが突っ立って、町をぶっ壊しつづける老人、おじさん、おばさん、金髪坊主をタバコを吸いながら鑑賞していた。

 公安の警部補ならすぐにでも取り締まるべきだと思うが、そんなことは鼻から念頭にない様子で、舞台劇を鑑賞するように悠然としている。

 一応、聞いてみる。

「これ、なんです?」

「魔法使いのケンカ」

リリカは短く呟いて、黒地に金文字で「JPS」と書かれたタバコを胸ポケットから取り出し、ぼくの目の前へ差し出す。

「ん」

 ん、と言われても。

「…………ぼく、高校生です」

 へっ、と鼻の先で笑って、リリカは一本を口へ運んで火を点け、呟く。

「真面目か」

「………あの、あなた公務員ですよね?」

ぼくたちのやりとりなど意にも介さず、ぼくの住む町はそこら中で爆発が起き、民家が砕け散り、カヲルたちはそのただなか、目で追いきれないほどの速度でぼくにはわからないなにかをやらかしていた。

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