1章 隣の魔法少女(7)
†††
サユリ。ぼくの双子の妹。
ぼくの半身。
『お兄』
あの日、十才のぼくとサユリは、公園の砂場で遊んでいた。
『見て。ミーとクー』
城を作ろうとしていたぼくの傍ら、サユリはうれしそうに、自分の作ったネコの砂像を指で示す。
『え、うまっ』
そのできばえに、ぼくは思わず両目をみひらいた。サユリが作ったのは「ひなた荘」の大家が飼っているネコ、「ミー」と「クー」なのだが、耳、瞳、口のかたち、身体のライン、全てが本物と遜色ない、あまりに精確すぎる砂像だった。
しかも、像を造りはじめてまだ一分間も経っていない。一分かからずにこれだけのものを作るのは、プロの彫刻家でも無理だ。
『どうやって作った?』
『へへー』
サユリはうれしそうに、砂場にむかって両手のひらをかざし、目を閉じた。
『こうやってね、作りたいのを、想像するの』
すると――
サユリの手の先で砂がまるで生き物のように渦を巻き、凝固して、気がつけばぼくたちの住む「ひなた荘」の精巧な砂像が砂場に出現していた。
『すごい?』
サユリの笑顔に、ぼくはあんぐりと半口をあけて答えた。
それまでもサユリはたびたび、不思議な現象を起こすことがあった。
泥水を真水に変えたり、チーズを液状にしたり、枯れたヒマワリを咲かせたり。しかしいま目の前で見たものは、あまりに異常すぎる。
『お、お前、こわっ』
『え、なんで』
『だって、こんなの、超能力じゃ……』
『お兄もできるよ』
『できないよ、こんなこと!』
ぼくは少し怯えながら、自分が作ろうとしていた不細工な城と、サユリが作ったネコ二匹とひなた荘を見比べる。サユリのは明らかに、普通の人間にできることじゃない。
妹を、少し怖いと思ったそのとき。
どこからか、声がした。
『待ったぞ、令美』
艶のある、男の声。
ぼくは周囲を見回した。ぼくの母親、神門令美は少し離れたベンチで、顔見知りの主婦ふたりと話している。
男性らしきすがたはない。空耳か、と思ったが。
『怖いひとがいる』
サユリが、突然そんなことを言った。
『赤い髪の、おじいさん』
サユリはそう言って、公園のトイレの方向を指さした。
ぼくの目には、不審者が見えない。
『誰もいないよ?』
『怖い、お兄』
怖がりのサユリはぼくに抱きついた。こういうのははじめてではなく、サユリはよく、その場にいない人間や動物、魔物じみたなにかを幻視して怯えることがあった。
突然――
公園に霧がかかった。うっすらと赤みがかった、血の色の霧。
母親と、主婦たちが少し驚いて、顔を見合わせた。
『え、雨?』『色、赤くない?』
サユリがぼくに右手ですがりつき、残った手で霧のただなかを指さす。
『あそこ』
『…………?』
ぼくはサユリが示す方向を見やり――
『⁉』
公園を埋め尽くした霧のなか、美しい青年がひとり、ぽつねんと佇んでいた。
輪郭に青紫の朦気をくゆらせ、燃え立つような赤い髪が、黄金色の双眸にかかっていた。清潔な白いシャツにスラックスを合わせ、革の真っ白な肌に生気はなく、しかし爛々とした瞳には強く妖しい光があった。
『あのおじいさん、怖い!』
サユリの両手がぼくの首のうしろに回る。
サユリは「おじいさん」と言ったが、赤髪の男はどう見ても二十代の青年だ。
突然、赤髪の男が一歩前へ出た。歩み寄ってくる。
服装は普通なのに、まとった雰囲気が尋常でなく美しくて禍々しい。世界に存在するあらゆる美徳と悪徳を煮こごりにして、ひとのかたちにこねあげたような。
男を中心にして空間が浄化され、たちまち腐敗していく。見えているものの意味が、全くわからない。
『なんだお前、来るなっ』
ぼくの言葉と同時に、砂場の砂が渦を巻いた。
サユリの仕業だろうか。砂場の砂が全て虚空へ巻き上がり、凝固して槍のような形状になり、赤髪の青年をめがけて射出された。
『うむ……』
砂の槍は、青年に突き立つ直前で掻き消えた。ぞっとするほど美しい顔立ちに、一瞬、驚きの色が垣間見えた。
『よもや、同じ時代に忌み子がふたりとは』
男の呻きとほぼ同時に、母親が叫んだ。
『ひとりだけにして!』
言葉を受けて、赤髪の男はうろんな表情になる。
『なにゆえ』
『ツカサはなにも継いでないっ』
母親の金切り声を、男は哀れみを込めた眼差しで受け止めて、呟いた。
『……気づかれた。時間がない』
同時に男の瞳が発光し、風景が裂けた。
十字型の裂け目が、サユリを包み込む。
ぼくにすがりついていたはずなのに、いつのまに引き剥がされた?
『サユリっ‼』
叫んで、ぼくは裂け目へ飛び込もうとしたが。
『⁉』
見えないなにかに身体を弾き飛ばされ、地面に叩きつけられ。
赤髪の男は自らの背後に、サユリを飲み込んだ裂け目を従え。
『お前は、妹を追え』
ぼくを哀れむ目つきで、そう告げた。
『「ウラ」で待つ』
声と同時に、赤い霧が青年とサユリを包んでいった。
逃げられる。ぼくは立ち上がり、ふたりへ片手を差し伸べて――
いきなり赤かった霧が真っ白に塗り変わり、ぼくの手は、野太い腕に掴まれていた。
「⁉」
その瞬間、世界が暗転したように思えた。なぜだかぼくは、そのときはじめて「死」というものを意識した。
ぼくの腕を掴んでいるのは、黒い着物を着込んだ、身長百八十センチを超える、筋骨たくましい老人だった。
年齢は六十代半ばくらいか。短く刈り込んだ白髪頭。顔の半分を黒い布で覆っていて、蒼氷色の右目だけがぎろりとぼくを睨んでいる。掴まれた手首が、熱い。老人の輪郭から放たれる陽炎が見える。顔の皺がなければ老人であることに気づかないほど、肉体の圧力が強い。
知らない人間がいきなり目の前に次々と出現し、なにが起きているのか全くわからない。ただぼくは、濃厚な殺意をその目から感じ取った。
『やめてっっ‼』
母親の声が、空間を切り裂いた。
老人は母親をにらみつける。
『東京におったか』
しわがれた低い声で、老人は母親にそう言った。
母親は涙声で、叫んだ。
『その子だけは手出ししないで‼』
老人は鼻息をついて、ぼくへ右目を戻した。顔の半分を覆った布の隙間に、焼けただれた皮膚が見えた。
『………………』
なにも言わずともその目には、忌まわしいものを眺める嫌悪感が明らかだった。この老人がぼくを心の底から嫌っていることは、顔の皺で理解できた。
『姉さんだけでいいでしょ⁉』
ぼくが聞いたことのない金切り声で、母親は叫んだ。
『儂の言うことを聞かんから、こういう面倒が起こる』
吐き捨てて、老人はぼくの手首を放した。
霧がさらに濃度を増した。公園の景色はすっかり、純白へ塗り込められた。
青年もサユリも老人も、なにもかもが白のなかへ埋まって――
霧が晴れた。
公園には、尻餅をついたぼくと、地面に額を押しつけて泣きながらうずくまる母親と、ベンチできょとんとしている母親の友達ふたりが残されていた。
『許して。サユリ、許して……』
母親は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、ずっとサユリに謝っていた。
それから――
友達の主婦ふたりと、通りすがりのひとたちが懸命にサユリを探したが、行方は全くわからなかった。その間、母親はぶつぶつと意味のわからない言葉をつぶやきながら、自失しているだけだった。
警察が現場検証を行い、砂場の砂が全て囲いの外へ撒き散らされているのを確認したが、失踪の原因は特定できず。事情聴取で、ぼくは赤髪の青年と老人のことを話したが、主婦ふたりは彼を目撃しておらず、ぼくが見たものは「神経症性不安障害」という病名で処理された。
白昼、都会の公園で忽然と十歳の女の子が消失した事件は、「現代の神隠し」と全国報道され、現在でも未解決事件としてネットで閲覧できる。行方不明者として公開されたサユリの顔写真も当然のようにネットに晒され、閲覧数を増やしたい連中から好き放題に突き回され、勝手な噂を立てられている。
母親はこの事件以来、時折、心に変調を来すようになった。普段の生活は問題ないが、ふとした拍子に事件のことを思い出すと、意味のわからない言葉を呟きながら部屋を出て行って、三日間くらい帰ってこないことが頻繁にあった。だからぼくはこの事件に関し、母親に質問することをやめていた。
事件から七年が経ったいまも、ぼくは時折サユリの夢を見る。
『お兄。助けて』
十才のサユリがそう言って助けを求めるたび、ぼくは夢を破って飛び起きる。
ぼくの半身。いつか必ず助けてやる。
『お前は、妹を追え』『「ウラ」で待つ』
赤髪の青年が残したその言葉が、サユリを救い出す手がかりだった。サユリは結局、母親の死に目にも会えず、いまもって行方不明のまま、生きているのか死んでいるのかもわからない状態だ……。
†††
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