1章 隣の魔法少女(6)
氷像が動いた。そんな無音の驚愕が教室内に爆ぜた瞬間。
「ツカサくん、ごめ~ん。わたし、お弁当こっちで食べていいかな?」
再びベランダからカヲルが現れて、困ったような笑顔をぼくに投げかけてくる。
ざわざわざわっ。さらなるざわめきがD組内へ広がる。
「なんかしつこい男子とかいてさ~。落ち着いて食べれなくて。ツカサくんと一緒なら平気かな~って思ったんだけど、迷惑?」
カヲルが自分の弁当包みを顔の前へ持ち上げて笑顔を傾けると、ぼくより先に久保が反応した。
「全然余裕。入って入って。つかしつこいやつって、坂本? あいつ空気よめねーからマジで、逃げてオッケー、全然逃げて」
「ほんと? ありがと、入っていい?」
「全然全然オッケー、くつろいじゃって」
「ごめんね~。あ、三人で食べてた? 今日だけ混ぜて、明日からなんとかするから」
カヲルの目には、ぼくと久保とクリスティナが三人で食べているように見えたらしい。ベランダからD組内へ入ってくると、空いてた椅子をぼくの隣に寄せて、弁当箱を広げる。
「マジ全然オッケーだから、明日からずっといて平気だし。おれ久保。しくよろ~」
「カヲルかカヲリンでしくよろ~。てかあのひと坂本くんっていうの? 友達も何人かいたみたいだけど。女の子同士で食べてるのに、すっごい話しかけてきて」
「C組、チャラいの固まってんだよね~。困ってんなら、おれ、言ってきてやろうか?」
「え、久保くん、もしかして番長⁉」
「番長ってか、ガヤ校のカリスマ? みたいな?」
「うわ、ほんと⁉ かっこいい~。なんとかしてくれたら助かる~」
カヲルはあからさまにあざとい身振りで久保を煽る。煽られた久保は得意満面、すっくと席を立って襟元を整える。
「まっかされました~。坂本、お前死んだぜ? すぐ戻っから、待ってて」
キメ顔をカヲルにむけると、久保はベランダからC組へと歩み去って行った。無事に帰ってこれるといいけど。
ぼくはカヲルとクリスティナの三人で、その場に取り残される。
「なんとかしてもらえると助かるな~。……ええっと、あなたもツカサくんとお友達? いきなりお邪魔してごめんね」
カヲルはクリスティナのまとった不可侵の雰囲気など全く意に介さず、あっさり話しかける。
クリスティナは例によって、
「………………」
無言だが、驚いたことに、頷いた。いつも雪だるまみたいに動かないクリスティナが他人の言葉に反応しただけでもすごいことだ。
「わたし、今日C組に転校してきた下水流カヲル。カヲルかカヲリンでオッケー」
にこにこしながらカヲルは自分の弁当箱を広げつつ自己紹介。
クリスティナは不動不変……と思いきや。
「……銀鏡クリスティナ。……はじめまして、下水流さん」
挨拶を返した。驚いて腰を抜かしそうになるぼくに構わず、
「カヲルかカヲリン! 髪、すごいキレイだね、もしかしなくてもハーフ? クリスって呼んでいい?」
「……どうぞ、カヲル」
美少女ふたりは奇妙なくらいにあっさりと互いを受け入れ、食事を共にする。
クリスティナの表情はずっと変わらないが、ぼくはなんだかカヲルが現れてからよりいっそう、肌を刺す冷気がクリスティナから漂ってくるのを感じている。
なぜかわからないが、クリスティナはぼくに対して怒っている。いったいなぜに。
そしてカヲルはそんな空気を読むわけもなく、
「ツカサくん、お弁当どう? アジ、冷たくても大丈夫?」
そんなことを聞いてくる。ぼくは黙々と箸を動かしつつ、
「うん。全然おいしい」
「………………………………」
なにか、気のせいだろうけど、クリスティナの冷気が鋭さを増したような。
「クリスのサンドウィッチ、かわいい! 近くの店?」
クリスティナのサンドウィッチの包みには、パン屋のロゴが入っていた。クリスティナは淡々と、
「わたし、食事はほとんどウーバー」
答える。素っ気ない返事ではあるが、クリスティナが他人と会話するのを目撃するのは数年ぶりなので、ぼくは正直、驚きのほうが強い。
誰とも会話しようとしなかったのに、なぜ、カヲル相手だと答える?
ぼくの疑問の傍ら、カヲルが目を見ひらく。
「……ウーバーって……ウーパールーパー⁉」
しん、と場が静まりかえる。
ぼくはまばたきを三回入れて、
「ウーバーイーツ、知らないの?」
「……? ……あぁっ! スマホで出前とるやつ⁉ テレビでやってた!」
カヲルは顔を真っ赤にし、うろたえる。ぼくは苦笑いをたたえ、
「そういえば、田舎のひとだったね……」
「そうだよね、食事がほとんどウーパールーパーなわけないよね! あーやだ恥ずかし、てか東京すごいね! サンドウィッチが出前で届くって、高千穂じゃ無理だわ~」
カヲルは赤面し、焦った様子で米をかき込みはじめた。どうやらクリスティナがウーパールーパーを食べていると思ったらしい。このひとはこのひとで、なにかと規格外だ。
一方のクリスティナは表情を変えず、
「……ウーパールーパーって、なに?」
「え、知らない⁉ 高千穂水族館にいるんだけど、東京にはいないのかな。オタマジャクシでっかくして手足はやしたピンク色のバケモノ」
「……………………そう。…………それは…………確かにバケモノね」
全く噛み合わないクリスティナとのやりとりを経て、いきなりカヲルはぼくを振り向き、
「てかツカサくんとクリスって知り合い?」
ぼくは二度ほど目をしばたいて、
「どうしてそう思ったの?」
「え、いや、見つめ合ってたから」
ぼくはクリスティナへ目を移す。クリスティナは相変わらず無表情に、サンドウィッチを咀嚼している。
「見つめ合ったっけ? ちょっと目が合っただけだよね?」
「あ、そうなの? 仲良いんだなーって思ったけど」
たぶんカヲルはさっきの、クリスティナがぼくをにらんでいたことを言っているのだろう。
だとすると、鋭すぎる。
「気のせいだよ。チェック細かすぎ」
とりあえずごまかした。だがカヲルの言葉はそれほど間違っているわけでもない。
クリスティナは、ぼくが相手だと、いまでも時折しゃべることがある。
夜、銭湯へ行くときに偶然道でクリスティナに会って、少しだけ世間話をしたことが高校に入ってから二度ほどあった。自慢することでないことはわかっているけど、ほとんど誰とも話さないクリスティナがぼくとだけ言葉を交わしたりするのは、ちょっと、いやだいぶ、うれしかったりはしている。
「七年前から、知り合いではあるけれど」
戸惑うぼくを傍目に、クリスティナが端的に答えた。わあ、っとカヲルが微笑む。
「やっぱり! なんかちょっと、なじんだ雰囲気あるよねー」
「……なじんでるのかな。でも小学校のころは、銀鏡さんとよく遊んでた」
「……………………」
ぼくの答えにクリスティナはなにも言わず、サンドウィッチを食べ終えた。
そしておもむろに美しい顔立ちをぼくにむけ、つややかな唇をひらく。
「ツカサ」
唐突に名を呼ばれ、どきっ、と心臓が跳ねる。
「あなたには親戚が、いないはずでは」
「……………………」
その問いに、ぼくは一瞬、息をのむ。
そういえば半年前、クリスティナはぼくの部屋を訪れて線香を立てたのち、ぼくに身よりはあるのか尋ねてきた。母親の貯金が充分あること、母親の親戚には会ったことがないことを、そのときクリスティナに伝えたが。
しかしなぜ、クリスティナがそんなことを気にかける?
「あのー、けっこう遠縁で。ツカサくんも忘れちゃってるくらいの」
カヲルが弁解の言葉を並べ、クリスティナは無表情にその説明を聞く。なんていうか、空気がすごく硬くて、居心地悪い。
と、ベランダが突然騒がしくなった。C組の方向から、女子たちの騒ぎ立てる声がする。
顔を上げると、久保がやや焦りながら逃げ帰ってきた。
「やっべ、焦る~。ギャグ通じねえ~」
口調はチャラいが、表情は若干、青ざめていた。カヲルが心配そうに、
「え、なに、やらかした?」
「いや、女子に『ちゃんとカヲリン守ってやれよ!』て説教したら逆ギレされて」
「え、坂本くんたちは?」
「坂本? いや、こういうのはまず、女子を味方につけないと」
久保はよくわからない弁明をすると、弁当箱をひらいて笑顔をたたえた。
「ま、弁当、毎日こっちで食えばいいんじゃね?」
カヲルは半口をあけて久保の無垢な笑顔を見やり、ぼくを見た。
「東京のひと、すごいね」
「いや、全員こうじゃないから」
「弁当うめー」
結局、カヲルはD組で弁当を食べて、五限目がはじまるころにC組へと戻っていった。
放課後。
帰り支度して廊下へ出ると、カヲルが待っていた
「ツカサくん、帰ろ!」
「え、あ、うん」
カヲルはC組のクラスメイトに手を振りながら、当然のようにぼくと一緒に帰ろうとする。
C組の女生徒たちはすっかりカヲルと仲良くなったらしく、大勢が「じゃーねー」と笑顔で挨拶。それから髪を染めてピアスして制服を着崩した陽キャ男子が四、五名、C組前にたむろしてぼくをにらんできているが、あれが噂の坂本くんたちだろうか。絶対関わりたくない。
校門をくぐり、ふたり並んで桜並木を歩く。
「わたし、うっとうしい?」
余裕の笑顔をたたえたまま、カヲルはそんなことを聞いてくる。
「……そうは言わないけど。でも、ずっと一緒にいる必要ある?」
「言ったと思うけど、きみの能力を狙う魔法使いがいるの。校内を歩いて気づいたけど、すでに生徒のなかにも、魔法使いが紛れ込んでる。わたしはきみの師匠兼ボディガードとして、いつも一緒にいなきゃいけない」
カヲルはつらつら答えるが、ぼくはどうにも実感がわかない。ていうか全部、カヲルの妄想では。
「まあ、うっとうしいとは思うけど。自分の身を守るためだから我慢して」
と言いつつカヲルは笑顔で道の先を見据え、元気に足を前へ送る。
ぼくは、喉元に出かかっていた言葉を投げた。
「……ぼくが構わなくても、きみの負担が大きすぎる」
カヲルは、ん? とぼくを振り返り、
「えっ、もしか、気を遣ってる?」
「……普通、遣うよ。三食作るだけで大変だし、ぼくの護衛しながら学校の勉強もしなくちゃいけないし」
告げるとカヲルは「きゃー」とわざとらしい叫びをあげながら、両頬へ両手をあてて、目をきらきら輝かせ、
「ツカサくん、もしかして優しい⁉」
なに言ってんだ、このひと?
「……普通の配慮だよ、こんなの。親からなに言われてるのか知らないけど、誰がみたって、普通の女子高生には負担が大きすぎる」
本心を告げるが、カヲルは真っ赤な頬を両手で抑えて身をくねらせながら、楽しそうに笑っている。
「きゃーっ。まいったなー。やー。ツカサくん、優しいんだ~」
なにがそんなに楽しい? もしかして、からかわれてる?
「ぼく、真面目に言ってるんだけど」
「いやいや、わかってる、ごめん、ちょっとうれしくて」
カヲルは笑いながらそう言って、咳払いをひとつ、ふたつ。
えへんえへん、あー、あー、と発声練習してから、真面目な表情をこしらえて、告げる。
「もう一回言うけど、きみを狙う勢力が存在します。これまでは水面下でうごめいていたけど、きみの力が目覚めはじめたいま、彼らはいつ実力行使に出てもおかしくない。だからきみがよちよち歩きのうちは、わたしが護衛してあげる。わたしも憧れの東京で高校生活できるから都合いいし」
「………………」
「ツカサ君が正しく能力に目覚めて、自分の身を守れるようになればわたしはお役御免だから。少なくとも高校卒業までは、我慢して」
そんなこと言われても。
「ぼくは別に、魔法使いになりたくない」
「うん、みんなそう。わたしも、なりたくてなったんじゃない。でも、血族のなかでも魔法使いが生まれるのは二、三世代にひとりくらいだし。魔力を持って生まれたからには、イヤでも魔法使いになるしかないの。それが血に選ばれたもの……『継承者』の責任」
決めつけられて、ぼくの口がへの字に曲がる。
「ていうか、そもそも、魔法使いなんて存在するの?」
「するよ。きみは、見たことがあるはず」
言われて、反論できない。
昨日から頭の片隅に、七年前、ぼくが十歳のときに起きた事件のことが浮かんでくる。
あれが魔法使いの仕業なのだとしたら……カヲルが言っていることも完全に妄想とはいえない。
「もしかして、サユリのことを言ってる?」
「うん」
「サユリはどこ?」
「わからない。でもきみの双子の妹さんをさらったのは、悪い魔法使い……『悪魔』なのは間違いない」
「………………」
ぼくは片目を、傍らのカヲルへ送る。カヲルはいたって真面目な表情で、ぼくの目線に応える。
痛みと一緒に、蓋した記憶がよみがえる。
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