1章 隣の魔法少女(5)

 始業式のあと、二年D組のホームルームが終わり、ぼくは窓際後方の席から新しいクラスメイトたちを眺めていた。カヲルは違うクラスに入ったらしく、教室内にはいなかった。

 そしてぼくの目の前の席には、知っている背中があった。

 白銀の髪が、窓からの微風にそよいでいた。

髪の表面を陽光がきらきらと滑り、毛先で散る。

 周囲の喧噪を佇まいで断ち切り、ひとりだけ不可視の繭にくるまれているかのように、深い静寂をまとい読書する少女。

 ――銀鏡(しろみ)クリスティナ。

 父親は総務省のキャリア官僚、母親は富裕層のオーストリア人。ガラスケースに入っていそうな深窓のご令嬢であるが、常に高みから見下ろすような表情を崩さず、あたかも氷塊に閉じ込められたお姫様さながら、余人の接近を許さない。

 小学四年生で出会ったときは、活発で気の強い女の子だった。しかし中学に上がったころから凍てついた雰囲気をまといはじめ、周囲から孤立しはじめた。高校に入るとその威圧的な美貌と血の通わない言動で自らの孤城に立てこもり、新クラスになった今日もまた、拒絶の繭にくるまっている。

 背中を見ただけで、とても話しかけられる雰囲気ではない。

 新しいクラスになっても、おそらくクリスティナは周囲とは打ち解けないだろう……と思っていた矢先。

 クリスティナの右隣に座っていたチャラそうな男子がおどけながら話かけた。

「やべっ、クリスたん、隣じゃん、やっべ。おれずっとクリスたんと話したくてさ、やっべ」

「………………」

「つか近くで見っとすげー光ってっし。中に電球入ってたりする? やべっ、まぶしっ」

 チャラ男はにやけながら早口でなにごとか言っているが、クリスティナは読書をつづけたまま、一瞥も投げない。普通の男子ならここでめげるはずだが、このチャラ男は強靱なメンタルを持つらしく。

「まぶしっ。近くで見るとマジ違うわ、目、つぶれんじゃね? まぶしっ」

 執拗に同じ言葉を繰り返す。ひとりでアホみたいにまぶしがっているチャラ男と、無言で読書をつづけるクリスティナ。うしろから見ているだけでいたたまれなくなる光景だ。

だがしかしこのチャラ男、根性があるのか神経が焼き切れているのか、笑顔で身悶えしながらクリスティナへのアピールをやめない。

 そして――おもむろにクリスティナは本を閉じた。

 冷たく冴えた眼差しが、チャラ男へ据えられる。

「……珍しい言葉をしゃべるのね。未開の部族の言語かしら?」

一切の情緒が剥げ落ちた、無機質な言葉。

 チャラ男はおろか、周辺でだべっていた生徒たちも、一瞬静まる。

「…………」

「どうしてもわたしに用件がある際は日本語、英語、ドイツ語のいずれかで。わたしとしてはよほどの用件でない限り、あなたを視界にいれたくないけれど」

 静かな口調で凍てついた言葉を綴り終え、クリスティナは再び本を手に取り、読書を再開。

 窓から吹き込んでくる風が、カーテンを柔らかく持ち上げる。

 そよ、と風の音まで聞こえてきそうな静寂。

 うわー……。と誰かの溜息が聞こえ。

 ほどなく、やりとりを聞いていた女子たちがひそひそ話をはじめる。

 あっけに取られたチャラ男の目線が宙をさまよい、ぼくとぶつかる。

 ぼくは目線に哀れみを込める。きみは悪くない、ただちょっと、メンタルが強すぎただけだ。

 ぼくの気持ちが届いたのか、チャラ男はうれしそうに椅子ごとぼくに近づいてきた。栗色のくせっ毛に、少しなよっとした垂れ目、緩んだ口元、手首にミサンガ。シトラスの匂いをまといながらぼくを上目で見やり、

「おれ、久保。よろしく」

「……神門ツカサ。よろしく」

久保はへらりと笑って、ぼくの耳元に口を近づけ、クリスティナの背中へ目線を這わせながら、ささやく。

(やっぱいいな、クリスたん)

 気に入ったらしい。どうしてそうなる。

(どのあたりが?)

(え? 全部いいよ。正直、興奮してる。ひどい罵声をおれに浴びせながら、鞭でバチーン‼ って叩いてほしい)

 どうやら久保は、チャラいというより変態らしい。正直あまり、関わりたくない。

(おれ、クリスたん狙うから。協力よろしく)

久保はへらへらしながら、ぼくにウインク。なかなかの逸材だ、そのうち新聞に載るんじゃないか。事件欄で。

 ほどなく一限目、英語の授業がはじまる。

前の席から一年間の授業内容を記したプリントが回ってきた。クリスティナは半身をぼくにむけて、プリントを差し出す。

「……やあ」

ぼくのほうを見ようともしない横顔へ、挨拶した。

クリスティナは右目だけでぼくを見やり、

「…………」

 横顔だけで少し頷き、無言で背をむける。

「……………………」

 うしろの席へプリントを回しながら、胸がうずく。

 クリスティナと同じクラスになるのは中学三年生のとき以来だ。

 そのころにはすでにクリスティナは誰とも話さなくなっていたため、会話したのは数えるほど。小学校のころはぼくとは特に仲が良く、家にもよく遊びに来ていたというのに、なにが彼女を変えてしまったのか。

 ただ、半年前。

 クリスティナは突然ぼくの部屋を訪れ、死んだ母親に線香を立ててくれた。子どものころは何度もうちに遊びに来ていたし、母親もクリスティナを猫かわいがりしていたから決して不自然ではないが、ぼくからすると唐突すぎる訪問だった。

 なにを考えているのか、全くわからない。

 ぼくとしては昔みたいに、気安い言葉を交わしたいのだが。

 クリスティナがこうなった原因がわかれば、小学生時代の関係に戻れたりするだろうか。


 三限目が終わった休み時間、久保がにやけながら話しかけてきた。

「C組に超かわいい子、転校してきたって。性格が超良くて、巨乳で、スタイルヤベーって」

 カヲルだろう。隣のC組に編入されたらしい。

「そうなんだ」

「昼休み、見にいかね?」 

「いや、いいよ。パン買いに行くし」

 ぼくの昼食はいつも、購買部のパン。早めにいかないとツナマヨパンが売り切れる。

「メシ食って行こうぜ~。噂じゃ、歩くだけでぶるんぶるん揺れんだって、見てえ~」

 久保のうっとりした表情を、ぼくは遠い気分で眺める。カヲルがぼくの隣の部屋に住んでいることを知ったときの周囲の反応を予想するだけで、気が滅入る……。


 昼休み。

「一緒に食おうぜー」

「あ、あぁ」

 久保は当然のように、ぼくの机と自分のをくっつけた。新クラスの初日、ぼくもまだ他に親しい人間がいないし、まあいいか。

 ていうか、早く購買部へ行かないと。

「ごめん、ちょっとパン買ってくる」

 久保に断って席を立とうとしたそのとき。

「ツカサくーん。忘れ物ー」

 ベランダ側の窓からカヲルが笑顔を覗かせ、弁当箱の包みを窓際のぼくの机へちょこんと置いた。

 教室内の全員が、ぎょっとした目をぼくとカヲルにむける。

「ごめん、渡すの忘れてた~。朝と献立同じだけど、食べてね!」

「あ、ああ」

「わたし、隣のC組だから! お邪魔しました~♪」

歌うようにそう言って、カヲルは身を翻し、るんるんした足取りでベランダを通り抜けて隣のC組へ戻っていく。

 一瞬の静寂ののち。

「あれ噂の美少女⁉ すげーぜ、キラキラじゃね⁉ つかなんでツカサの弁当作ってんのよ、どういうこと⁉」

久保が興奮した顔をぼくに近づけ、質問を浴びせてくる。

 久保だけではなく、周囲の生徒たちも興味ありげに聞き耳を立てたり、近づいてきたり。

 とても面倒くさいが、どうせいつか弁明はしなければならない。

ぼくは溜息をついて、手短に事情を説明する。

 教室内の半分の生徒がぼくの説明に聞き入るなか、ただひとりクリスティナだけがぼくの前の席にいながら、我関せずの態度で淡々とサンドウィッチを口に運ぶ。

「マジ⁉ あの子と親戚で隣部屋で食事も一緒⁉ うらやましすぎっぜ、恵まれてんな~」

 うらやましがる久保へ、ぼくは一応、補足を入れる。

「ぼくはそんなこと頼んでないから。カヲルの実家の意向。ぼく、独り暮らしだから、食事はきちんとしたものを摂ってほしいとかなんとか」

「んだよ、カヲルとか呼んじゃってんのかよ、いいな~。ほぼほぼ同棲じゃねーか、お前、うらやましすぎっぜ~。つか弁当みせろ」

 久保に促され、ぼくはカヲルから受け取ったネコ柄の包みをひらく。

アジの干物と卵焼き、黒豆の甘煮。朝食と一緒に弁当のぶんも作っていたらしい。

「くあ~。愛妻弁当じゃん。いいな~。愛がにじむぜ~」

「そんなんじゃないよ。カヲルも実家にいわれて、仕方なくやってるだけだから……⁉」

ぼくの弁解の言葉は、途中で止まった。

 同時に久保も、周囲で様子をうかがっていた生徒たちも、驚愕に目をみひらく。

 クリスティナが九十度旋回し、右目だけでぼくを注視していた。

「…………………………」

 いつも変わらぬ氷像じみた無表情。常に手元の本へ注がれている目線は、いまはっきりとぼくの顔面へ据え置かれている。

「な、なに」

「…………………………」

 クリスティナの目線はゆっくりぼくから剥がれ、机の上の弁当へと移動した。

 一切の感情が剥げ落ちた表情から、クリスティナの気持ちを読み取ることはできない。

 だが、ぼくにはわかる。

 ――怒ってる……!

傍目には、クリスティナが怒っていることはわからないだろう。彼女はいつもの無機質な表情で、弁当を眺めているだけだから。しかし十歳のころから一緒に遊んでいるぼくには、翡翠色の澄んだ瞳の底がもう一段深く静かに煮えたぎっているのが見て取れる。

 そして――改めて真正面からクリスティナとむきあって、悟る。

 ――怖いくらい、美人……。

肩にとどく白銀の髪は常に光を孕んで絹のように風になびき、指先で触れたら砕けそうな白磁の肌は宗教画の天使のよう。自然な高貴さと不可侵な雰囲気を輪郭にまとい、人形のようなに無機質なのにぞっとするような凄艶さが存在の奥底から香り立つ。

 真正面から見つめられるだけで思わず平伏して懺悔してしまいそうな、天上人の佇まい。

 クリスティナは孤立しているが、実は男子の間での人気は飛び抜けて高い。

 なぜなら、頭みっつほど抜けて美人だからだ。

 男子専用裏学校掲示板のガヤ校ヒロイン選手権では、2位にぶっちぎりの大差をつけて二年連続優勝している。いつも孤高の佇まいを崩さないため、その孤独を救ってやりたいと勝手に思う陽キャ男子も数多い。

 そんな我が校のお姫様が、ぼくを見つめたまま静止している。

「え、あの……クリス?」

 動かない幼なじみへ、ぼくのほうから昔の呼び方で話しかけてみた。

「…………なにか」

 クリスティナは能面の表情をぼくに戻し、反応した。

 周囲がさらにざわつく。全てを拒絶するはずのクリスティナが、ぼくの呼びかけに応じたからだ。

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