1章 隣の魔法少女(3)
翌朝。
ドアのノックで目が覚めた。
「おっはー」
寝ぼけ眼でドアをあけると、上祖師谷高校の制服を着たカヲルが笑顔で挨拶。
ちゅんちゅん、しゅっしゅ。
窓の外、電線にとまったすずめの鳴き声と、炊飯器の駆動音。
いつの間にか台所には、米の炊ける匂い。
「言ったでしょ、朝ごはん作るって。早かった? わたしいつもこのくらいに起きるから、慣れてね」
食材の入った編みかごをぼくの目の前へ掲げ、銀河みたいなきらきらした瞳にはぼくの寝ぼけ顔が映ってる。
「……どうぞ」
ぼくはまだぼんやりしたままカヲルを迎え入れ、六畳間へ。
カヲルは当然のように炊飯器をあけ、
「おっけー、炊けてる」
昨夜、いつのまにか炊飯タイマーを設定していたらしい。カヲルは制服の上にエプロンを身につけ、キャベツを洗いはじめる。
ぼくは布団をたたみながら、頭が覚めるのを待つ。
母親も、このくらいの時間から朝の支度をはじめていた。
起きると同時に米の炊ける匂いが部屋に漂っているのも、懐かしい感じ。
「食べられないもの、あるんだっけ?」
ぼくに背中をむけたまま、問う。
「……ない」
ぼくは布団を押し入れの下の段にしまって、ジャージすがたでカヲルの隣へ。
「顔洗う」
「ん」
冷たい水で顔を洗って、鏡に映った寝ぼけ眼を眺め、思う。
――なぜ、ぼくはこの状況になじんでる?
我ながら不思議だが、ぼくは昨夜からつづくこの異常な状況に、早くも適応しようとしている。カヲルがいきなり現れても特に驚きもせず、勝手に朝食の支度をはじめても怒る気にならない。
原因は。
――冷静に振り返ると、カヲルのいうことに覚えがある。
昨夜は遅くまで眠れず、布団にくるまってこの事態の意味を考えていた。
そして思考は、七年前に起きた事件に辿り着いた。
できるだけ考えないように、記憶の奥底に封印していた忌まわしい出来事。
カヲルが現れた件はもしかすると、あの事件に関係しているのではないのか。
もしもそうなら――もう少し、言うことに耳を傾けるべきかも。
「出来たー」
ぼくの思惑など気にすることなく、カヲルは両手でお盆を持って、六畳間へ。
ちゃぶ台には、ごはん、味噌汁、卵焼き、アジの干物、千切りキャベツ。
「すごい。ちゃんとしてる」
目の前で調理された料理を食べるなんて、いつ以来だろう。
母親がいなくなってから朝はずっとコンビニのパンかサンドウィッチだったから、湯気の立つ食べ物は久しぶりだ。
カヲルはエプロンを外し、ぼくの対面に腰を下ろし、笑顔で手を合わせる。
「いただきまーす! ……おいしい!」
味噌汁をひとくち飲んで、快哉をあげる。
ぼくはややぎこちないながら、同じく味噌汁を口にして。
「あ、おいしい……」
驚くようなうまさではないが、しみじみと染み渡るような、優しい味わい。
「良かった。九州のひとだから、基本的に麦味噌なんだー。口に合わないか心配だった」
カヲルはうれしそうだ。母親が作っていた味噌汁より、少し甘みがある感じ。
「味噌には詳しくないけど、とてもおいしい」
素直にそう言って、次はアジの干物へ。
「おいし……」
スーパーで売ってる普通の干物なのだが、口の中で塩気と油がほどよくとろけて、頬の粘膜がきゅっと締まりそう。炊きたての米もしっとりつやつやで、思わず茶碗を傾けてかきこんでしまう。
「へへー。うれしい。朝はやっぱ魚だね~」
カヲルもにこにこ、うれしそうに箸を動かす。
アジの傍ら、湯気の立つ四角い卵焼きを箸で割ると、断面からじゅわっと出汁がこぼれ落ち、口に運ぶとネギと鰹節のいい香りが鼻に抜けた。
「お世辞抜きに、すごく、おいしいね……」
ぼくは感動さえ覚えながら、瞬く間に平らげる。
きっと料理の専門家からすればいろいろ粗はあるのだろうけど、いまのぼくにはできたての手作り料理というだけで心が震えるほどおいしかった。
「……ごちそうさま。……食費、払うよ」
伝えると、カヲルは「あー」と思い出したような合いの手をいれて、
「昨日の夜、下水流家の長老と話したんだけど。きみの食費は下水流家が出すって。上水流家の不始末は我が家の問題でもあるから、どうか出させて欲しいって言ってた」
ぼくはしばらく黙って、カヲルの言葉を考える。
普通なら、ありがたい申し出だと喜ぶのだろうが、どうしても一語、気になる言葉が。
「……不始末って、ぼくのこと?」
父母が結婚しなかった理由を、ぼくは知らない。けれど昨夜、カヲルの話を聞いてなんとなく、家同士の問題だったのかも、とは思った。
父方の上水流家は歴史の古い名家らしいし、母親の実家はこのアパートをみればわかるように、庶民だろう。ふたりが惹かれあった結果ぼくが産まれたが、上水流家は神門家との婚姻を認めず、結婚には至らなかった……みたいな。
ぼくの質問に、カヲルは困ったように眉根を寄せて、
「あー。ごめん、言葉悪かったね。でも、我が家的に、上水流家といろいろ問題抱えてるらしくて。きみを支援しとけば、恩着せられてうれしいんじゃないかな。だから、着せられてよ、恩」
「……イヤだよ。きみの家との問題って、なに?」
「知らない。長老もおじいちゃんも、絶対教えてくれない。でもいろいろあったらしくて。わたしがここでこうしてるのも、そのへんが絡んでるみたい。わたしは東京行けるならなんでもいいから、辛気くさいことは無視してるけど。でもきみも高校生なんだから、大人に支援してもらうのは恥ずかしいことじゃないよ。いまは素直に甘えとけ」
と言われても、ぼくは受け入れがたい。
確かにぼくは父親の顔も知らない婚外子だけど、だからといって他人の家に無償で世話になるのは違う気がする。
「食費、いくらかかったか、きみが計算しといて。月末に渡すから」
「いらないって言ってるのに」
「ぼくの気持ちの問題。知らない家のひとに借りを作りたくない」
「変なとこ頑固だね。でもわかった、食費計算しとくよ」
提案を受け入れ、カヲルは壁の時計を見やった。午前七時。いつも七時半に家を出るから、三十分ほど余裕があった。
「クソゲーさせて!」
「えええ」
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