1章 隣の魔法少女(2)

 肌に密着する袖なしのニット越しに、平均的な女子高生より明らかに大人びた上体のライン。そして、茶碗より重いものは持てなさそうな細い腕。もしも万が一、下水流さんに武道の心得があったとしても、この筋肉では男性には敵わないだろう。

 溜息が、勝手に漏れた。

「冗談でも、そういうことを言わないでほしい」

 下水流さんは相変わらず勝ち気な笑みをたたえたまま、

「それが一番わかりやすいんだけど。乱暴するふりでいいんだよ」

「たとえふりでも、イヤだ。ぼくは女の子にそんなことしない」

 自然、言葉に怒気がこもった。

「うわ、怒った。真面目~」

 下水流さんはおどけた声でそう言って、ぼくを上目で見やる。

「こんなことで不真面目になりたくない」

 ぼくはそう答えるしかない。 

 下水流さんはいたずらっぽい目線をぼくに投げてから、空気を変えるようにパン、と両手のひらを打って、手のひらを合わせたまま微笑む。

「ごめん、怒らないで。きみがあんまり初心者だから、手っ取り早く身体で学ぶのがいいかなと思ったんだけど」

「……魔法使えることを証明したいなら、スプーンでも曲げればいいだろ」

「ルール厳しくて。遊びで使うと違反切符切られるの」

「ぼくに襲われたなら使っていいのかよ」

「うん。身を守るための魔法は、問題なし」

 なんだそれ、とぼくは呆れる。全部下水流さんの妄想では。

困ったひとが隣に引っ越してきたな……と嘆息しながら、ぼくは食べ終わったカレー皿をふたつとも台所へ下げて、洗う。

「え、わたしするのに」

「……いいよ。食事作ってもらって、なにもしないのは心苦しいし」

「律儀ー。真面目~」

「……普通だろ、こんなの」

「台所、きれいだよね。部屋もだけど。掃除、好きなんだ?」

「……好きってわけでも。家狭いし、なんとなくやってる」

 母親がきれい好きだったから、ぼくもそうなったらしい。掃除は毎日、決まった時間にやる習慣がついていた。

「偉い。わたし、掃除は面倒でさー。料理は好きなんだけどね。ヒマなとき、わたしのとこも掃除してくれると助かるなー」

 勝手な要望を背中で聞き流し、ぼくは洗い物を片付けて六畳間に戻り、下水流さんの前に座り直す。

改めて、この部屋に現れた真意を問いただそうとした矢先。

「クソゲーやりたい」

「え」

「ダンス・クリムゾン。プレイできるんでしょ?」

「あぁ……」

 下水流さんはどうやら、ぼくが思う以上にこのクソゲーをやりたいらしい。

「踊りながら戦うってどんなのか、気になってて」

「そんなにやりたいなら……。言っておくけど、本当につまらないよ」

 ぼくは諦めの表情を下水流さんにむけて、押し入れをあける。

 古い段ボールのなかを手探りし、90年代に一世を風靡したゲーム機「メガ・ザバーン」本体と、最狂のクソゲー「ダンス・クリムゾン」のCDロムを取り出した。

 下水流さんが驚きを露わにする。

「うわ、ザバーン! 本物、はじめて見た!」

 四半世紀前の骨董品のようなゲーム機にアナログ/HDMI変換ケーブルを繋いでテレビに接続。

「母親が物持ち良くて。マットもある」

 さらに引き出しの奥から、「ダンス・クリムゾン」付属の家庭用フットコントローラー、正式名称「クリムゾン・マット」を取り出して、ザバーンの1p側に接続。噂ではマット二枚でふたり同時プレイも可能らしいが、幸いなことに一枚しかない。

「すごい! ほんとにあるんだ、このマット……!」

 さっそく下水流さんは畳に敷いたマットに両足を載せて、楽しげに足踏み。

 一辺1メートルの正方形マットは9ブロックに分割され、四隅のブロックには『○』『×』『△』『□』、中央をのぞく上下左右には『↑』『↓』『→』『←』、中央に『SHOOT!』の表示。

 母親によれば、ぼくが生まれるちょっと前に音ゲーが流行していて、こういう家庭用フットコントローラーが店頭で売られていたとか。

 電源を入れると、テレビにおどろおどろしいテロップが浮かび上がり、不気味で安っぽい怪獣の奇声ののち、「ダンス・クリムゾン」のタイトルが画面の四隅にぶつかったあと表示される。

 わー、と下水流さんはクリムゾン・マットに載ったまま、笑顔で拍手。

「これ動画で見た! なんか感動!」

 オープニングムービーがはじまる。

 安っぽい戦場を走る主人公、ウォンバット越後。妙に甘い声で仲間たちへ注意喚起したあと、不思議な廃墟に迷い込み、敵の襲撃を受ける。

 そこで越後は甘く甲高い声で、そののちゲーム史に語り継がれる名台詞を紡ぐ。

『せっかくだから、おれはこの踊りで戦うぜ』

 画面が暗転し、粗くて安っぽいポリゴン画面の廃墟が登場。

「はじまるよ。操作方法、知ってる?」

「画面回すのも照準も全部、足でやるんだよね? 一応、動画は見たけど……」

 3Dゲーム画面はウォンバット越後の主観視点で描画され、画面の旋回は『○』『×』『△』『□』、照準は『↑』『↓』『→』『←』、撃つときは真ん中の『SHOOT!』をそれぞれ足で踏む。

 なぜ足で操作せねばならないのか、ゲーム中に説明は一切ない。

 説明といえるのは『せっかくだから、おれはこの踊りで戦うぜ』の一言のみ。

 主観視点なのでウォンバット越後本人は描画されず、彼が踊りながらどう戦っているのか、プレイヤーには全くわからない。ともかく足で操作していると、銃弾が出て敵が死ぬ。

 噂によるとプロデューサーが流行の音ゲー要素を入れるよう開発途中のディレクターに突然要求し、苦肉の策として「足で操作する3Dアクションシューティング」というコンセプトに辿り着いてしまったとか。

 やや不安そうな下水流さんの目の前、画面右側から「キー」と鳴きながら、小学生の落書きみたいなコウモリが襲ってくる。

「右」「え、え」

 カヲルが「↑」マークを踏み込むと、照準が移動する。だがコウモリの体当たりが早く、画面が赤く明滅し、体力の三分の一がごっそり減る。

「コウモリ、つよっ!」

「次、上」

 ぼくはやりこんでいるから、次にどこから来るかわかる。敵が表示されてから照準するのでは間に合わないのだ、このクソゲーは。

 当然、プレイ中は非常に忙しい。

 音ゲーのように派手な音楽に合わせて踊るわけでもなく、ピコピコした安っぽいBGMを聞かされながらひたすら足で3D画面を旋回させ、照準させられる苦行。下水流さんを眺めると、焼けた鉄板の上で跳ね踊る罪人みたいだ。

 下水流さんは必死に『×』マークを踏み込んで、画面を旋回させようとするが。

「反応、遅っ!」

 踏んでからタイムラグがあってようやく画面が右上をむき、すでに新手のコウモリは画面いっぱいに羽をひろげ、赤い明滅がほとばしる。

『GAME OVER』

 無慈悲な宣告ののち、「ダンス・クリムゾン」のタイトルが四隅にぶつかりながら表示され、スキップできないオープニングがまたはじまる。

 下水流さんは怒りの表情をぼくにむけ、

「クソゲーじゃん!」

「そうだよ」

「なんでこんなの買ったの⁉」

「……ぼくじゃない。母親が正月セールのとき、買ってきた……」

 ぼくは遠い目を、窓の外にむける。

「お母さん、なかなかのセンスだね……。よりによってこれを選ぶかあ……」

 下水流さんはニューゲームに挑むつもりらしく、画面をにらむ。

「マット付きで五百円だったから、思わず買ったみたい。ぼくもはじめてプレイしたときは、怒った」

「うん、わたしもいま、そんな気持ち……」

 下水流さんは生ゴミを眺める目をザバーンに落とす。

 と、ウォンバット越後の甘い声が響く。

『せっかくだから、おれはこの踊りで戦うぜ』

 下水流さんは慌てて、ゲーム画面に目を戻す。

「悔しいから、せめてコウモリには勝ちたいけど……」

 呟いて、再び鉄板上の罪人じみた踊りを踊る。左足で画面を旋回させている間、右足をマットに置いていると旋回が止まってしまうため、恐ろしいことに、使わないほうの足はマットの外に置いておかねばならない。そのためプレイヤーは常に大股びらきとなり、珍妙なすがたにならざるを得ないのだが、いま必死にプレイしている下水流さんのすがたは本当にアホみたいだ。

 結果。

『GAME OVER』

「腹立つ‼」

「あの、もうやめたほうがいいと思う……」

 これ以上やっても時間の無駄なのは、ぼくが身に沁みてわかっている。二回もプレイしたのだから、それで充分だ。

 しかし下水流さんはスキップできないオープニングを睨みつけながら、悔しげに唇を噛む。

「コウモリ腹立つ……。せめて一面はクリアしたい」

 言い捨てたところでゲーム再開。下水流さんは奇怪な踊りを踊って、二十一秒後。

『GAME OVER』

「スタッフ腹立つ‼」

 下水流さんは歯がみしながら、バイオ茶を口にする。

「きみ、もしかして負けず嫌い?」

「自覚ないけど。家族には何度かそんなこと言われた」

「……危ないね。下手するとハマるかも」

「ハマんないよ、こんなの。今日ちょっとやって終わるし」

「ぼくもはじめはそう思っ」

『せっかくだから、おれはこの踊りで戦うぜ』

 ぼくの忠告の途中に、ウォンバット越後が割り込む。

 そして下水流さんは取り憑かれたように、四度目の挑戦に挑む。

 下水流さんが奇怪な踊りを踊るほど、胸がぶるぶる跳ね踊って、別の生き物がそこに住んでいるみたいだ。ぼくは赤面し、できるだけ下水流さんを見ないように目線をテレビへ据え付ける。クラスメイトのエロい男子なんかだと大喜びで下水流さんを凝視するのかもしれないが、ぼくは恥ずかしくてそんなことできない。

 下水流さんはぼくの気持ちなど知ることもなく、鉄板上の罪人ばりに跳ね踊りつづけて。

「やった、一匹倒した!」

「う、うん」

「次、どっち⁉」

「左」

 ぼくは思わず下水流さんから目を逸らし、画面を凝視。なんだか、見てはいけない気がする。

「ぎゃーー」

『GAME OVER』

 三匹目のコウモリに倒され、下水流さんは力なくその場にしゃがみ込む。

「……うん。……本物のクソゲーだね。二度とやらない」

「そ、そう。良かった」

「あー、ちょっと汗かいちゃった。このアパート、お風呂ないよね」

 ぼくの異変になど気づくことなく、下水流さんはニットの胸元を手で引っ張って、手のひらを団扇にして風を送る。

「銭湯、十一時に閉まるけど」

 下水流さんから目を逸らしたまままま、風呂なしアパートの先住民として忠告。

「調べてる。水曜が休みだよね。きみはお風呂行かないの?」

「ぼくは二日に一度くらい。おカネもったいないし」

母親の残してくれた貯金は、高校卒業までは充分持つくらいあるけど、できるだけ倹約している。

「そうなんだ。夜道ひとりで歩くの怖いから、できれば一緒に行きたいけど。……てなわけで、これからしばらくお隣さんだし、仲良くしようよ。明日から同じ高校に通うんだしさ」

 その言葉に、ぼくはまたしても数度の瞬きを返す。

「……えぇっと……下水流さん、ガヤ校に通うの?」

「カヲル、もしくはカヲリン」

 下水流さんはあっけらかんと頼んでくる。ぼくは咳払いしてから、

「……じゃあ……カヲルさん」

「さん、いらない」

 下水流さんはにこやかにそんなことを言う。女の子を名前で呼ぶのは恥ずかしいが、呼べというなら。

「……カヲル」

「なに、ツカサくん?」

 なんだか、くすぐったい。

「えぇっと……カヲルは、ぼくの高校に通うつもり?」

 ぎこちなく質問すると、カヲルは微笑む。

「うん、東京の高校に通うの夢だったんだー。今回の話を受けたのも、東京生活したかったからだし。じゃなきゃ、こんなめんどくさいことしないよ」

ぼくは改めて、カヲルを遠く眺める。

 このひと、奇行が多いが、ルックスはとてもいい。

 わずかな動きで彩りを変える紅の瞳も、後ろで束ねたつややかな髪も、背景が透けそうな白い肌も、さっきからぼくの鼻をくすぐっている柑橘類みたいないい香りも、歯切れの良い言葉も、全部きらきら光ってる、というか。

 カヲルの笑顔には、いろんな種類がある。

 口元に手を当てて笑ったり、胸を張って偉そうに微笑んだり、挑発するような勝ち気な笑みだったり、他愛ない言葉でころころ笑ったり。笑うたびに光の粒子が散るようで、もっといろんな笑顔がみたいな、と自然に思ってしまう。

 ぼくの学校でなくても、こんなに明るく元気な美少女が転入してきたなら、全校で評判になるのは間違いない。

 そして当然、カヲルの隣の部屋で暮らすぼくも、興味のクチバシでつつき回される。

「ぼくと同じアパートに住んでることは、どう説明するつもり?」

「遠縁の親戚ってことで。さっき言ったけど、上水流家と下水流家って、血のつながりはないけど二千六百年以上前から知り合いだから。だいたい親戚みたいなもん」

ぼくの父方、上水流家はそんな古くからある家なのか。母親からはなにも聞いてないけど。

「ということで、明日が楽しみ~。友達できるかな。ツカサくん、エスコートしてね」

カヲルの安穏とした笑顔を、ぼくは諦観とともに眺める。

 こんなかわいい子がぼくの隣の部屋に住んでいると知ったら、暑苦しい男子生徒がハアハアしながら近づいてきそうでイヤだ。ぼくはつつましく穏やかなスクールライフを望んでいるのだが。

 と、カヲルは壁の時計を見上げ、

「うわっ、もう九時半じゃん! ヤバ、うちのこと全然やってないよ、遅くまでごめん、クソゲー、ありがと! すごいつまんなかった!」

 冗談めかしてそう言いつつ、カヲルはいきなりつかつかと六畳間を歩み去り。

「そういうわけで、明日の朝、ここでごはん作るから。今後ともよろしく、お隣さん!」

 笑顔で手を振って、カヲルはドアをあけて部屋を出た。

 すぐに隣の部屋のドアがひらく音がして。

 しばらくがさごそ、家具を動かしているとおぼしい物音が聞こえ。

 それから、隣の部屋に面する壁から、コンコン、とノックが聞こえた。

 ボロアパートなので、壁は薄い。隣のテレビの音なども、筒抜けに聞こえる。

『おーーい。聞こえるーー?』

 カヲルの声が、壁のむこうから届く。

 どうやら押し入れに入り込んで、話しているらしい。

「……夜だから。下におばあちゃん住んでるし。大声やめよう」

 返事すると、壁のむこうからカヲルの笑い声。

『あははっ。ヤバいね、このアパート。隣の音、まる聞こえじゃん』

 普通の声音で話しても、そのまま通じるくらい壁は薄い。

 壁のむこうは、カヲルの部屋の押し入れだから、カヲルは押し入れのなかに入って話しかけている様子。

 試しにぼくも押し入れの下の段へ布団をどかして入り込み、薄いベニア板越しに小声で話しかけてみる。

「ぼくの声、聞こえる?」

『やばっ、近っ! 全然普通に話せるね』

 カヲルの感心する声が、三十センチほどの至近距離から聞こえる。

 隣とぼくの部屋の境界は、俯瞰で見ると押し入れが互い違いに嵌まっていて、いまふたりを隔てているのは薄いベニア板一枚。互いに押し入れに身体をねじこんでいるから、ベニア板を挟んで密着しているに等しい。

 ぼくの耳元にカヲルのささやきが届く。

『押し入れ通信と名付けよう』

 厚さ五ミリほどのベニア板のむこうからささやきだけが聞こえてくると、なぜだか、鼓動が高まる。

 ぼくはなんとか平静を取り繕い、注意喚起。

「物音、ほんとに全部聞こえるから。必要ないときは、ここ、入らないようにしよう」

『なんで? 楽しいじゃん。ヒマなとき会話しようよ』

 あくまで明るいカヲルの言葉に、ぼくの口がへの字に曲がる。プライバシーの感覚ないのか、この子。

 と、またいきなり。

『さて、銭湯行ってこよ! またねー』

 ばたばた、隣から物音がして、しばらくしてから外廊下を歩いて行く音がした。

 アルミの張り出し階段が、かんかんと音を立てる。

 ぼくはなんとなく、すだれをあげて、開けていた窓から顔を出した。

 アパート一階の中庭を、ジャージに着替えて洗面器を持ったカヲルが歩いていた。

「場所、わかる?」

 なんとなく、二階の窓から声をかけた。

 カヲルは敷地と道路の境目あたりでぼくを振り仰ぎ、スマホをかざして、

「だいじょぶ―。ありがとー」

 片手を振って、カヲルは地図アプリを眺めながら、街灯の照らす夜道へ消えていった。

 ぼくは窓から頭を引っ込め、ちゃぶ台の前に座り、テレビを見る。

 出しっぱなしのクリムゾン・マットの乱れを見て、さっきまでここでカヲルが踊っていたことを確認。

「なんなの、これ」

 今日起きた出来事を改めて振り返ってみるが、よくわからない。

 わかったことはただひとつ。

 これからあの少女が隣の部屋に住んで、ぼくと三食を共にし、さらに明日、ぼくの学校へ転校してくるということだ。

「意味がわからない」

 独りごちた。

 が、ぼくの内面はなにやら、これからいろいろ想像を越えたことが起こりそうだと、怪しい予感をささやいてくる……。

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