第59話 栄光と代償
『王弟殿下バンザーイ! バンザーイ!』
舞い落ちる雪を溶かさんばかりの熱気と歓声。
竜舎広場に向かって下降する飛竜部隊から離れ、ユルドゥスの騎竜は大歓声に迎えられながら近衛府広場に降り立った。
薄紫色の飛竜から滑り降りたユルドゥスを誰よりも早く迎えたのは、黒いマントを纏った銀髪の竜導師だった。
「おめでとうございます殿下。大歓声に迎えられるのはどんな気分ですか?」
「ああ、悪くないな」
ユルドゥスが黒い兜を脱ぐと、周りを囲んでいる群衆からは更なる歓声が沸きあがる。
「ここに居るすべての者が殿下を讃えています。彼らの中には、あなた様こそが真の主だと気づいた者もいるでしょう」
割れんばかりの拍手と大歓声。そして、寒さを吹き飛ばすほどの熱気が、目に見えぬ波のように押し寄せてくる。ユルドゥスはその熱気に酔いしれていた。
「殿下はもう、ただの王弟ではありません。この国の英雄になったのです。これからあなた様の行く道は、きっと光輝いている事でしょう。私も遠く東の地から、殿下の栄光をお祈りしています」
深々と頭を下げるサリール。耳に心地よい言葉を並べているだけようにも見えるが、常に淡々とした彼のことだ。恐らくこれは辞職の挨拶なのだろう。
ユルドゥスは高揚した気分のまま、首に下げていた革紐を鎧の下から引っ張り出した。紐の先には小さな布袋がついている。その袋を、ユルドゥスは抱えていた兜と一緒にサリールに手渡した。
「約束の物だ」
「ありがとうございます」
サリールが再び頭を下げた時、人垣の中から近衛府長官のガルムが姿を現した。
「ユルドゥス殿下!」
「長官!」
ガルムに応えるように手を上げたユルドゥスに、サリールがそっと耳打ちしてきた。
「最後のご奉仕に、殿下の足を引っ張るであろう人間を、消して差し上げましょう」
「は? 何のことだ?」
問い返しても、サリールは微笑を浮かべたまま答えない。
ユルドゥスは仕方なく、「勝手にしろ」と答えた。
「おおうっ、殿下! お見事でした! 近衛府を代表して御礼申し上げます!」
サリールが離れて行き、ユルドゥスは興奮したガルムから雨のような称賛を受けていた。
広場にいる誰もが、ユルドゥスに注目していた。
だから、離れた場所に立つサリールの手のひらが、ユルドゥスに狙いを定めるように向けられたことに、気づく者はいなかった。
ただ一人を除いて────。
「ユルドゥス様っ!」
人垣の中から、ひとりの男が飛び出して来た。
男は必死の形相でユルドゥスに駆け寄ると、ユルドゥスの体を押し退ける勢いで彼の背後に体を滑り込ませ────そのまま地面に崩れ落ちた。
余りにも一瞬の出来事で、周りにいた者たちは何が起きたのかわからなかったが、彼の一番近くにいたユルドゥスだけは気づいていた。
彼に突き飛ばされて後ろを向くと、音もなく迫り来る黒い光が見えた。
だが、次の瞬間には、彼の体がユルドゥスの視界を遮った。
黒い光が何なのか分らぬまま呆然とするユルドゥスの前で、彼の体がゆっくりと崩れ落ちてゆく。
その時になって、ユルドゥスは初めて理解した。彼が自らの体を盾にして、自分を守ってくれたことを。
「────バハ、ル?」
石畳の地面に倒れた従者の姿に、ユルドゥスは目を瞠った。
「バハルっ!」
地面に膝をつき、倒れたバハルを抱き起す。手に触れた彼の体は氷のように冷たく、固く閉じられた瞼はピクリともしない。
(何故だ? 何故、こんなことに?)
ユルドゥスは呆然としたまま顔を上げた。
バハルを地面に横たえ、彼は立ち上がりながらサリールの姿を探した。
黒いマントが、ユルドゥスの薄紫色の飛竜の後ろ側へ消えてゆく。
「だ……誰かっ! あの男を捕らえろっ! 傷つけてもかまわぬ!」
ユルドゥスは叫んだ。
サリールのことは高く評価していた。彼の話は面白く、その豊富な知識から生み出される様々な提案は舌を巻くほどだった。だからこそ、長年仕えてくれた従者よりも、彼の言葉を重んじた。それほど彼を信用していた。
そのサリールが最後に実行したのは、ユルドゥスの従者を消し去ることだった。
ユルドゥスは、今までサリールの提案を疑ったことはなかった。だが、地面に崩れ落ちたバハルを見た瞬間、体の半分をもぎ取られたような気持になった。
(何故だ……バハルは、常に、私に忠実だった。何故、サリールは、バハルが私の足を引っ張ると思ったのだ?)
ユルドゥスは呆然としたまま、大勢の竜衛士や近衛士がサリールを追ってゆくのを見守った。
だから────人垣の中からひとりの少女が飛び出して、倒れたバハルに駆け寄って来たことにも気づかなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
サリールを追って行った竜衛士たちの間から、悲鳴が上がった。
屈強な衛士たちが、円を描くようにじりじりと後退してくる。
何事が起きたのだろうか。ユルドゥスが駆け寄ると、衛士たちが囲んだ輪の中心に、得体の知れない黒い物体が転がっていた。
「な……んだ、これは?」
鼻を突く腐臭。黒いマントの下から、赤黒く広がってゆく不気味な染み。
「じ、自分が剣で斬りつけたら、あの男が急に崩れて……」
震えながら、ひとりの衛士がそう言った。
「これ、どう見ても、腐っていますよね?」
ついさっきまでサリールだったモノが、ドロドロと溶けている。
ユルドゥスは腐肉と化したモノから目を離せないでいたが、衛士たちの視線はユルドゥスに集まっている。
「……いったい、何が起きているのだ?」
震える手で口を覆ったユルドゥスの横に、ようやくガルムが追いついてきた。
「これが、本当にあの男だったのか? ううむ……殿下の竜導師は、確か、東国で拾ったのでしたな? もしかしたら、殿下は
「死人使い?」
「東国には、黒魔道を操る魔道士がいて、屍を動かすことが出来ると聞いた事があります。何にせよ、殿下がご無事でよかった。死人使いも操る屍がなくなっては、これ以上悪さも出来ないでしょう」
ガルムは気味悪がりもせずに、竜衛士たちに向かって後処理をしておくように指示を出したが、そうしている間にもドロドロに溶けた屍は、やがて黒い
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