第58話 英雄誕生


 近衛府上空に、突然現れた黒竜。

 騒ぎを聞いたエルマとベックが近衛府広場へ降りて来た時には、もう黒竜対竜衛士の空中戦が始まっていた。


 空中戦と言っても、飛竜に乗った竜衛士のほとんどが、黒竜の攻撃をかわすのが精一杯という有様だったが、唯一、薄紫色の飛竜だけが、素早い動きで黒竜に肉薄していた。


「ベックさん……あの黒い飛竜、八頭いる」


 エルマはベックの袖をつかんだまま、泣きそうな顔で空を見ている。

 箱の中から消えてしまった八個の竜目石と、突然現れた八頭の黒い飛竜。この不可解な現象に関係がないとは思えない。


「ああ……たぶん、嬢ちゃんが考えてることと、俺の考えてることは同じだろう。けど、嬢ちゃんが止めなかったら、この空には十八頭の黒竜がいたはずだ。八頭で済んで良かったと思わないと」


「あ、あれは……あたしが止めた訳じゃ!」


「いいや。最後の光は、嬢ちゃんの手のひらから出てた。何より、あの光で黒い汚れが消えたんだからな────あっ、あそこに竜導師長様がいる。行こうエルマ!」


 明らかに自分を責めて落ち込んでいるエルマの手をつかみ、ベックは広場に集まった男たちの間を縫うように歩き出した。



「おおっ!」


 空を見上げていた人々の間から、どよめきと歓声が上がった。

 薄紫色の飛竜に乗った竜衛士の長剣が、黒竜を斬りつけたのだ。

 エルマはその瞬間を見ていなかったけれど、歓声につられて空を振り仰ぐと、一頭の黒竜が黒い霧となって消えてゆくのが見えた。


「ケェェェェェェェェ!」


 物悲しい鳴き声が、灰色の空に消えてゆく。


(泣いてる……飛竜が泣いてるっ!)


 魔道によってその存在を捻じ曲げられ、人に操られた飛竜が、消え去る瞬間に抗議の咆哮を上げたのだ。


(こんなの、許せない!)


 エルマはベックに手を引かれたまま、サリールの姿を探して近衛府広場を見回したが、禍々しい黒いマントの男を見付けることは出来なかった。


 エルマたちがマイラムのいる広場の中央に着いた時、再び人々の間から歓声が上がった。


「わぁーっ! ユルドゥス殿下がまた一頭仕留めたぞ!」

「さすがは王弟殿下だ!」


 広場に集まった男たちが、口々にユルドゥスを称賛する。


「おまえ知ってるか? 王弟殿下は、西の太守になる前、王宮の飛竜部隊で副隊長をなさっていたそうだ」

「へぇ。ここ数年は遊興旅行ばかりして遊び惚けてると思ってたけど、訓練は怠ってなかったってことだな?」


「殿下がいて下さって良かったよ。国王陛下じゃこうはいかない」

「あー、まぁ、陛下は飛竜に乗らないからな」

「乗らないのは良いとしても、この騒ぎに姿も見せないのはどうかと思うぞ!」

「おい、不敬罪に問われるぞ」

「ああっ! 今のは無しだっ!」


 国王であるアルトゥンが体調を崩していることは伏せられている。

 何も知らされていない者たちからすれば、この非常事態に王が姿を現さないのはあまりにも不自然で、彼らが不満を覚えたとしても無理はなかった。



(くっ……)


 周りで交わされている会話を聞いて、マイラムは思わず拳を握りしめた。

 近衛府長官のガルムも、きっと自分と同じように憤っていることだろう。そう思ってマイラムが隣を見ると、ガルムは夢中になって空中戦を眺めていた。


 ガルムは生粋の竜衛士だ。平の竜衛士から近衛府長官にまで上り詰めた叩き上げだ。そんな彼が、周りの声よりも、見事な操竜術で黒竜を斃すユルドゥスの雄姿に釘づけになるのは仕方のないことだった。


 もしも、不審な動きをするサリールや、彼を傍に置くユルドゥスに疑惑を持っていなかったら、マイラムとてユルドゥスの雄姿を讃えていたかも知れない。


「見事だ……」


 ガルムの口から感嘆の声が漏れた。


 マイラムが空を仰ぐと、近衛府上空を飛ぶ黒竜は三頭まで減っていた。

 ユルドゥスが三頭の黒竜を倒し、彼の雄姿に勇気づけられた竜衛士たちが二頭倒した。残る三頭もすでに包囲されている。


 あともう少しで黒竜を完全撃破できる。

 喜ばしいはずなのに、マイラムの心は不安で一杯だった。


「────あのぉ、竜導師長様? 話があるんスけど」


 いつの間に来たのか、すぐ近くにベックが立っていた。しかも、彼は涙を浮かべたエルマの手を引いている。


「何かあったのか?」


 マイラムが問いかけると、珍しく神妙な顔をしたベックが耳元に囁いてきた。


「回収した黒い竜目石のうち、八個が、急に光って消えたんですよ」

「八個、消えた?」


 マイラムは咄嗟に空を仰いだ。

 八頭いた黒い飛竜。その最後の一頭が、今まさに、黒い霧となって散ったところだった。



 ウォォォォォー!


 空気が震えるような、耳をつんざく大歓声が巻き起こった。


「王弟殿下っ! 王弟殿下っ!」

「ユルドゥス様、万歳!」

「王弟殿下バンザーイ!」


 近衛府広場にいるすべての男たちが、新たなる英雄を大声で讃えていた。


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