第57話 黒竜来襲
「────キャァァァァァ!」
突然、部屋の外で悲鳴が上がった。
治癒師長の部屋で話をしていたミンツェとテミルは、女官の悲鳴と廊下を走る物々しい足音を聞いて、思わず腰を浮かせた。
「し、失礼します!」
呼びかけもなく、バタンと乱暴に扉を開いたのは、蒼白な顔をした侍従だった。
「テミル様っ! ま、窓の外をご覧になって下さい!」
言葉で説明するよりも見せた方が早いと思ったのか、侍従は扉を大きく開け放った。
「いったい何の騒ぎだ?」
訝しみながらも、テミルは急ぎ足で廊下に出た。そして、窓の外を見て絶句した。
テミルたちがいる王宮の窓からは、四角い武骨な近衛府の建物が見える。四角い建物の四隅には、まわりよりも一階分高い見張りの塔があるのだが────。
「なっ、何だあれは!」
テミルは思わず声を上げて、窓にかじりついた。
四隅にある塔のひとつに黒いモノが乗っている。塔ひとつ分とほぼ同じ大きさから察するに、かなりの大きさだ。
(飛竜一頭分の大きさか?)
テミルがそう思った時、突然近衛府の上空に、塔に乗っているのと同じ黒いモノが出現した。しかも、それは翼を広げて羽ばたき、ギェェェェェ、と耳を覆いたくなるような咆哮を上げたのだ。
「何あれ? ひっ、飛竜なの?」
窓辺に駆け寄って来たミンツェが、悲鳴のような声を上げた。
テミルは、廊下に立ち尽くす妹の肩に手を伸ばした。
「ああ。あんな真っ黒い飛竜は見たことがない。でも、あれは間違いなく飛竜だ。
東国では飛竜が狂って人を襲っていると、エドゥアルド王子が言っていた。あれが、そうなのかも知れない」
テミルは、王宮の中庭でエドゥアルド王子と話をした時のことを思い出した。
あの時は、東国の事など何も知らなかった自分を恥じたというのに、その後もテミルは東国の情報を集めようとしなかった。
(僕は、いったい、何をしていたんだ!)
悔しさに唇を噛みしめた時、隣でミンツェが叫んだ。
「お兄様っ! 今の見た? 何もない所からいきなり飛竜が現れたわ! ああっ、またっ!」
近衛府上空に次々と出現する黒い飛竜を、ミンツェは凍りついたように見つめている。冷静を装ってはいるが、口を覆った両手が小刻みに震えている。
「大丈夫だ。やつらが襲っているのは近衛府だ。すぐに飛竜部隊が出て退治するだろう」
妹を安心させる為にそう言ったものの、テミルは不安だった。
(我が国の竜衛士で、
テミル自身は飛竜と契約したばかりで、まだ飛行訓練さえしていない。この国唯一の王子でありながら、王国の危機に何の役にも立てないのだ。
不安な心を隠したまま空を見つめるテミル。
空には、まるで得物を狙う黒鳥のように、八頭の黒い飛竜が飛びかっていた。
〇〇
突然現れた黒い飛竜に、近衛府は騒然としていた。
建物に囲まれた近衛府広場には、事務方から非番の竜衛士までが集まり、放心したように空を見上げている。
(何が、起こっているのだ?)
飛竜を呼ぶ儀式は中止になったが、マイラムもまた、近衛府の広場から四角い空を見上げていた。
彼の隣では、執務室から駆け下りて来たばかりの近衛府長官ガルムが、ハァハァと荒い息をさせている。
「飛竜部隊っ! いや、今すぐ飛べる竜衛士なら誰でも良い! すぐに騎乗の準備をさせろ!」
ガルムが副官に向かって咆えた。
「指揮は、わしがする!」
勢いよく言い放ち、竜舎に向かって駆け出したガルムの前に、白いマントを
「ガルム長官! 長官はしばらく飛竜に乗ってないよね? ここは私が指揮を執るよ」
「ユ、ユルドゥス殿下! しかしっ!」
「無理はいけないよ。こんな時の為に私がいるんだ」
ガルムに笑顔を向け、ユルドゥスは白いマントをひらりと華麗に脱ぎ捨てると、竜舎に向かって走り出した。
(ユルドゥス殿下……)
マイラムは、呆然と立ち尽くすガルムの後ろから、走り去るユルドゥスの背中を目で追った。
今のところ、ユルドゥスがサリールと結託しているという証拠は無い。純粋に国を守る為に出撃しようとしている可能性もある。
しかし、サリールと二人、朝から近衛府に来ていたユルドゥスが、この時を待っていたのではないとも言い切れない。
マイラムは、どうしても彼に対する疑いを捨てることが出来なかった。
「飛び立てる者は、私に続けっ!」
竜舎の向こうに、ユルドゥスの凛とした声が響き渡った。
粉雪の舞う灰色の空に向かって、薄紫色の飛竜が濃紺のたてがみを靡かせて飛び立ってゆく。その飛竜に騎乗したユルドゥスは、勇ましい黒の鎧姿だ。
彼の鎧や、右手にある長剣が、雪雲の間からわずかに顔を出した陽の光に煌めいている。その光輝く姿は、まるで神話から飛び出して来た軍神さながらであった。
(これは……)
空を仰いでいたマイラムは、思わず眉をひそめた。
まだ若く、容姿に恵まれたユルドゥス。その人好きのする性格から、彼は王宮の中だけでなく、王国民にも人気が高い。
剣を振り上げ、飛竜に乗って空を駆ける王弟に続いて、竜衛士たちの乗った飛竜が次々と飛び立ってゆく。
絵画のようなその姿に、マイラムは震撼せずにはいられなかった。
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