第56話 はじまり


「集めた竜目石は、全部で十八個だ」


 竜導師長の執務室に入ると、ベックは黒い竜目石の入った箱をローテーブルの上にドサリと置いた。


「今日中に、全部きれいにするからっ!」


 エルマは気合を込めて腕まくりをすると、箱の中から竜目石をひとつ手に取った。


 全力で竜目石を拭きはじめたエルマの姿を眺めながら、ベックは首を傾げた。

 昨日はひとつの竜目石を磨くのに夕方までかかった。それを考えると、どう頑張ってもきれいに出来るのは一日につき二、三個が限度だろう。

 ベックは、顎ヒゲをいじりながら「うーん」と唸った。


「なぁ嬢ちゃん。その石は、何も汚れてる訳じゃないんだろ? なら、そんなに力いっぱい拭かなくても良いんじゃないか?」


「へっ?」


「ほら、侍女さんが見たっていう例の男は、手のひらを石にかざしてたんだろ? 嬢ちゃんもそうやってきれいに出来んじゃないか?」


 ベックの言葉を聞いて、エルマは目を丸くした。


「ベックさーん。あの人は魔道が使える……ううん、きっと魔道士なんだよ。そんな人の真似をしたからって、あたしに出来るわけ────」


「そんなのやってみなきゃわかんねぇだろ? 俺から見りゃあ、石の声が聞こえたり、共鳴の光が見えたりするエルマたちだって十分普通じゃない……って、いやいやいや、スゲェと思うけど?」


「えぇ~?」


 エルマが呆れ顔でベックを見上げた時だった。

 箱の中に並べてあった黒い竜目石のひとつが、ポゥ、と淡く光りだした。黒い部分は光っておらず、わずかに残った灰色の部分だけが脈動するように点滅している。


「え……なんか光ってる?」

「ちょっ! エルマ、触るな!」


 光る竜目石に手を伸ばそうとしたエルマを、ベックが鋭い声で制止する。

 びっくりしたエルマが箱の上で手を止めた途端────淡く光っていた竜目石が、突然、かき消すように消えてしまった。


「……ええっ?」


 二人が呆然としているうちに、箱の中の竜目石が、またひとつ光りを灯す。


「ど、どうしよう、ベックさん!」

「どうするって……とにかく触るのは危険だ! エルマをさらおうとした奴が仕掛けたんだからな!」

「で、でも!」


 エルマとベックがオロオロしているうちに、煤けた竜目石は、ひとつずつ〝光を灯しては消える〟という不可解な現象を繰り返し、とうとう箱の中にあった竜目石のうち、半分近くが消えてしまった。


「どうしよう! このままじゃ、全部無くなっちゃう!」


 きっと、サリールが、魔道の力で竜目石を引き寄せているのだ。

 この王宮のどこかで、あの銀髪の男が笑い声を上げている。そんな想像をしてしまうほど、エルマは恐ろしくてたまらない。


 そんなエルマの目の前で、竜目石がまた一つ淡く光りはじめる。


「だめっ!」


 もうこれ以上、サリールに竜目石を渡す訳にはいかない。

 エルマは飛びつくように箱の中に手を伸ばした。


 カッ────


 エルマの手が竜目石に触れた途端、そこから溢れ出した真っ白い光が、部屋全体を白く染めた。


「わぁっ!」


 箱の中から溢れる眩い光に、エルマは反射的に光から顔を背けた。

 瞼の裏ではまだ残光がチカチカしていたが、エルマが恐る恐る目を開けてみると、閃光のような光は収まっていた。


 目の前で、ベックがポカンとした顔で箱の中を見下ろしている。


「嬢ちゃん、これって……」


 エルマは箱の中を見て息を呑んだ。


「汚れが……消えてる?」


 箱の中に残っていた竜目石は、ただのひとつも煤けてはいなかった。

 普通種ウォロティの竜目石らしい、艶のある灰色に戻っていた。


「よし、触っても何ともない。大丈夫だ」


 ベックが手に取り、しげしげと石を眺める。

 元の姿に戻った竜目石は、光りだすことも、消えることもなくなったけれど、ほんの数分の間に、十八個あった竜目石のうち八個が消えてしまっていた。



 〇〇



 その頃。

 ミンツェとテミルは、治癒師ちゆし長の部屋にいた。

 長椅子に座る二人の向かいには、白いローブを纏った白髪の老人が座っている。


「それで、父上の具合はどうなのだ、治癒師長?」


 テミルが先をうながすと、治癒師長は眉間を険しくした。


「殿下方もご存知のように、陛下は日頃から健康に気をつけておられました。お酒も嗜まれる程度です。今回の体調不良は軽い風邪の症状によく似ておりますが、我々王宮治癒師が代わる代わる光治療を施しても、どういう訳か回復しないのです」


「それは……どういうこと?」


 ミンツェは青ざめた。


「心の臓に、影がございます。陛下のお身体から毒物は出ておりませんが、心の臓に直接働きかける何かを摂取された可能性はまだ残っております」


「何かって……」


 テミルとミンツェは顔を見合わせた。


「治癒師長。今の話を、誰かにしたか?」


「いえ。これが初めてでございます」


「頼む! 僕たち以外、誰にも話さないでくれ! それから、治癒師を父上の傍に常駐させてほしい。昼夜交代で二人ずつ。頼めるだろうか? もちろん、警備の近衛士も今より増やすつもりだ」


 必死のテミルに、治癒師長は深く頷いた。


「テミル様が何を憂慮されているか、わかっているつもりです。ご安心ください。我ら王宮治癒師は、必ずや陛下の命をお守りいたします」


「ありがとう治癒師長!」


 テミルは、枯れ木のような治癒師長の手をガシッとつかんだ。

  

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