第55話 弱虫毛虫


(ああ……どうしよう!)


 エルマは、ある扉の前で固まっていた。

 品評会の為に集められた市井しせいの竜導師たちは、近衛府の官舎棟にある予備の宿舎に寝泊まりしている。


 エルマとベックは黒くなった竜目石を回収するために、被害を受けた竜導師の部屋を訪ね、すでに二人の竜導師から石を回収していた。

 彼らは、エルマが黒くなった竜目石を回収したいと伝えると、すぐに竜目石を手放してくれた。黒くなった竜目石は売り物にならない。それを、わずかな金額とは言え近衛府が買い取ってくれるのなら、自分たちは「願ったり叶ったり」なのだと、むしろ喜んでくれた。


 マイラム直筆の書状にエルマが竜目石の個数を記入し、竜導師に手渡す。これを会計に提出すれば、彼らはお金を受け取れる。

 ここまで順調に仕事をこなして来たエルマだったが、あと一部屋という所まで来て動けなくなってしまった。


「どうした嬢ちゃん? ここは確か、竜の谷村から来た竜導師が泊っている部屋だろ?」


 同じ村の人間同士なら緊張することもないだろうに、とベックが不思議そうな顔をしたので、エルマは思わず苦笑いを浮かべてしまった。


 ベックの言う通り、ここは竜の谷村の竜導師のハリムと、その同行者が泊っている部屋だ。そこには当然、あの意地悪なイエルもいる。出来ることなら会いたくない相手だが、今はそんな個人的なことで躊躇ためらっている場合ではない。


(ええいっ! 弱虫毛虫はもう捨てないとっ!)


 苦手意識を投げ捨てて、エルマは勢いよく拳を振り上げた。


 ────コンコン。


「はい?」


 扉から顔を出したのは、案の定、下っ端弟子のイエルだった。

 彼は訪ねて来たのがエルマだとわかるなり、不機嫌そうに眉を吊り上げた。


「はぁ? のろまなエルマが何しに来たんだよ? 俺たち、出発準備で忙しいんだけど。あっ……おまえ、もしかして、俺たちと一緒に村に帰りたいのか? バッカじゃねぇの! そんなの、うちの師匠に頼んだって無理に決まってんだろ! おまえなんか、お城でこき使われて野垂れ死ねばいいんだ! バーカ、バーカ────」


「おいっ!」


 エルマの後ろからベックがずいっと身を乗り出すと、今までベラベラとまくし立てていたイエルがピタッと口を閉ざした。


「黙って聞いてりゃぁ、なんだオマエ? さっきからエルマの悪口ばかり言いやがって────」


 ベックは文句を言いながら、イエルにつかみ掛かりそうな勢いで腕を伸ばした。

 そのベックの腕に、エルマは咄嗟にしがみついた。一瞬でも遅かったら、きっとイエルはベックに胸倉をつかまれていただろう。


「ベ、ベックさん! イエルはいつもこんな感じなの。あたしは大丈夫だから!」

「何が大丈夫なんだ? こんなこと言われて黙ってちゃダメだ!」

「うん。わかってる。でも、今は仕事中だから!」


 仕事中という言葉で一旦は引き下がったものの、隙あらばイエルに噛みつきそうなベックを押さえて、エルマはイエルに向き直った。

 イエルが何か言い出す前に、手にしていたマイラムの書状を彼の鼻先にズイッと突き出す。


「マイラム竜導師長様が、黒くなった竜目石を買い取りたいと仰っています。ハリムさんとお話できますか?」

「えっ?」


 イエルが目を白黒させている間に、奥からハリムが出て来てくれたので、幸い竜目石を買い取る話はすぐにまとまった。


「お城で仕事が見つかって良かったなぁエルマ。じゃあ元気でな」

「はい。皆さんもお元気で」


 ハリムと最後のあいさつを済ませて扉を閉めた途端、エルマは脱力し、「はぁ~」と盛大に息を吐いた。


「よく頑張ったな、嬢ちゃん」

「ううんっ。ベックさんが居てくれたお陰だよ」


 エルマとベックは微笑み合いながら踵を返した。

 早く竜導師長の執務室に戻らなくては。そう思いながら歩き始めた時、薄暗い廊下の先にアールが立っていることに気がついた。


 イエルの暴言を聞いて部屋から出て来たのだろうか。薄い部屋着のまま廊下に立つアールは目を細めて笑っていた。


「エルマ。おまえ、強くなったな」

「あ、アールっ!」


 しばらく会えなかった淋しさと、会えた嬉しさが相まって、エルマは勢いよくアールに飛びついた。


「何だ。甘え癖は治ってないのか?」


 アールはエルマを抱き留めると、片方の手で彼女の髪を乱暴にかき回す。


「だって! ぜんぜん、会えなかったんだもん!」


「ああ、そうだな。俺は……もうすぐこの城を出る。これからは、おまえの傍に居てやることが出来ない。おまえに何かあっても、すぐに駆けつけてやることは出来なくなる。

 俺は正直……おまえがこの城でやっていけるか心配だった。でも、イエルとのやり取りを見て少し安心した。ベックも居てくれるし、きっと大丈夫だ」


「アールぅ~」


 ますますしがみついてくるエルマの頭を、今度は優しく撫でる。


「ほら、仕事の途中だろ? 早く行け」

「う、うん……」


 エルマは渋々、アールから離れた。


「また……会えるよね?」

「ああ。おまえに黙って出発したりしない」

「そうだよね! じゃあ、あたし行くね!」


 正直に言えば、アールと離れたくはなかった。けれど、エルマには黒い竜目石を元に戻すという急務もある。

 エルマは振り切るように、急ぎ足でマイラム竜導師長の執務室へ向かった。

  

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